8:猫の記憶-中編-

二日目の仕事を終えた夜。
未登録はウィンリィだけに告げ、買い出しに出掛けていた。

辺りに人の姿は無い。
しかし道の先を吹く風になんの声も無いかといえば、小さな鳴き声を聞いた。
街灯の影に黒い猫が居る。
猫は目が合うなり、足元に擦り寄り高く鳴いた。
最近、猫に縁があるなと独りごち、未登録は小さく笑った。

両腕に抱えた買い物袋には食料が詰まっている。
一番重いのは牛乳だろう。
他の材料も揃えたし、ホテル内で調理スペースを借りる目途も立った。
シチューを作るというエドとの約束を今夜にも果たせそうだ。

「…ちょっとなら、いいよね」

買ったばかりの牛乳を取り出し、手に注いで差し出すと、猫は美味しそうにそれを舐めた。


猫は嫌いじゃない。
馴染みのない黒猫も、相手から近づいてきてくれるなら緊張はしない。

本当に真っ黒な毛をした、見事な黒猫だった。
闇に紛れるような漆黒。
それなのに、瞳だけは鮮烈な色で。




覗き込みたくなる。
その瞳の奥を。


「……」

掌に溜めた牛乳の表面が、小さな波紋を描いている。

どうして、ただの猫にまで重ねてしまうのだろう。
そんなに自分は、彼を思い出したいのだろうか。

手の平で乳白色の泉が枯れるのを眺めながら、
沈んでしまう思いを、未登録は性懲りも無く心の上澄みに浮かべ直した。








日によっては明け方まで起きているエドに、未登録は夜食をプレゼントした。
サプライズのつもりだったが、どちらかといえば未登録の姿が急に見えなくなった事の方が兄弟を驚かせた。

「あー…、この世の牛乳が全部シチューになれば世界は平和になるのにな」

「兄さんてば、子供みたいなこと言って。…だけど一人で出掛けたって聞いた時は本当に驚いたよ」

「ごめんね…二人とも」

「まあ無事だったからいいけどよ。でもこういう事ははっきりしといた方がいいかもな」

「はっきりって?」

首を傾げるアルの横で、エドは口の中の具材を噛み砕いて飲み込んでいく。

「そりゃ出来れば、あいつらが未登録に危害を加えるつもりがないって直接確かめられたら一番いいけどさ」

そう言い終えると、エドは一度スプーンを置いた。

「いいか未登録。チャンスがあったら俺達に構わずいつでも帰れ。…ただし!もしも何かされそうだったり、ヤバそうだったらすぐ戻って来るんだぞ。いいな!」

「兄さん…」

まるで未登録のお父さんみたいだ。
アルはそう言い掛けてやめた。
未登録の本当の父親はもう居なくて、それは他ならぬホムンクルスのせいだからだ。


「お前が帰るとこに居るのがまともな奴なら…、もうちょっと気楽に構えられるんだけどよ」

三人の間の空気が静まり、沈黙の中でエドはまた匙を運び始める。
どこまでも自分の身を案じてくれるエドに、未登録は噛み締めるような笑みを浮かべた。

「ありがとうエド。でも…彼なりに優しいところもあって。あ、それにね、ああ見えて文句言いつつ面倒見もいい、し…」

はっとして未登録は顔を赤らめた。
エドは白目を剥く勢いで硬直する。
アルは、未登録って結構残酷かもと思ったが、やはりそれも黙っておいた。


「そ、想像出来ねぇ…」

ていうかしたくない、とエドは拒絶するように首を振り、
忙しくスープ皿のシチューを掻き込んだ。

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