8:猫の記憶-中編-


未登録が菓子屋で働いて三日目。
最終日は夕方で閉店となった。
いつもの様に、店主が労いの言葉と共に給料を従業員に配り始めている。



…もう終わりなんだな。

人々の笑い声を聴きながら、未登録は殺風景になった店先を見つめた。
寂しいような、ほっとしたような気持ちだ。

店の外は脇目も振らず家路につく人々で溢れている。
知らない顔が重なり合い、流れていく。

人込みの中にも小さな絶え間はあり、次の瞬間には人が寄せて埋まり、また別の空間が出来る。
喧噪にぼんやりと立つ未登録の目が、そうした波間の一つを捉えた時、彼女の心臓はどきりと鳴った。


其処には、灰色の服を着た中年の男が居た。


「あ…」

未登録は思わず声を漏らす。
人々の行き交う足は止まらず、その男も背を向けた。
入れ替わる群衆の先で裏通りを抜け、路地の奥へ入っていく。






『チャンスがあれば、いつでも―――。』



未登録は駆け出していた。

テントから抜け出し、人の連なる通りを縫い。
灯りの色が濃くなり始める街へ向かい、走り去った。











「よっ、ウィンリィ。店、今日で終わりなんだな」

「あら、エドじゃない!アルは?」

「あー…、アルな。また猫拾ってきてたから」

捨てに行かせた、と声の低くなるエドにウィンリィは笑う。

「お前こそ、未登録は一緒じゃねぇのかよ?」

「え、その辺に居るでしょ…あら?」

テントの中をぐるりと見回しても、未登録の姿はなかった。
店主も給料を渡そうと未登録を探し始めている。


「未登録さんなら、さっきあっちの方に走って行きましたよ」

外を指差したのは、あの青年だった。

「なんか凄く急いでたみたいだけど…」

「どっちに行ったって!」

「C路地の方」

聞くなりエドは、未登録の向かった方へ駆け出した。











過去に、未登録は人の目の届かない路地で危ない目に遭った。

どうしようもないものを見て、心を痛めた事もある。
それでも未登録は、すれ違う人々の肩をかわすと、躊躇いなく路地道へ入り込んでいった。

先程より小さくなった後ろ姿を見つけ、入り組んだ路地を夢中で追いかける。
男はこなれた様子で、するすると先の道を進んでいく。
その人物が角を曲がる度、一瞬、見覚えのある横顔が見えて壁の奥へ消える。
親しみはない、けれど見慣れた横顔だった。

走り込んだ先で、未登録は大きく息を吸い込んだ。



「エンヴィー!!」




確信があった。
だから彼女は、彼の名前を呼んだのだ。




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