8:猫の記憶-中編-


「そうか。こんな世の中だからね。生き延びただけ運がいいよ」

「運がいい、ですか」

冷たい路地裏に沈んでいった人の姿が、未登録の脳裏に浮かんだ。

「私は…これでいいのかなと、思う時があって」

相手の雰囲気がそうさせるのか。
会って間もない、無関係の人間に未登録は初めてこんな話をする。
こんな人も居るのだと新鮮に思った。
人間社会で暮らしていれば、もっとより多くの人間と出会っていただろう。


「大丈夫、これからだよ」

手早く資材を集めて青年は笑う。

「生きていれば…より良く生きたいと思う。そう願う。人間ってそういうものじゃないかな」

「……」

…より良く。
未登録は心で繰り返す。

「それに人は本来、善くありたいと願うものだと思うよ。そんな君でも、こんな僕でもね」

揃いのエプロンに手をやり、青年は笑って見せた。
未登録は瞳を瞬き、少し笑った。
人から伝わる温度に、確かに心が溶けるのを感じる。
持ち場に戻ると、青年は店員の顔に戻って接客を再開した。


「未登録ってば、人と話すのは緊張するって言ってたけど」

いつの間に仲良くなったの、とウィンリィが嬉しそうに耳打ちをする。
彼女の後ろにも共に働く人の顔が幾つもある。
人に囲まれ、未登録は今その一部で。
何故だかほっとして、何とも言えない心地に未登録は包まれていた。







「君達よく働いてくれたね。あと二日よろしく頼むよ」

店じまいの刻、現れた店主が未登録達に給料を手渡す。
労働の見返りに、彼女は少しばかりどきどきした。

「ウィンリィ、今日はありがとう」

「どう、少しは気分転換になった?」

「うん」

楽しかったと笑う未登録。
ウィンリィはふとその顔を見つめた。


「…。そういえばあんた…」

笑ってるじゃない、と彼女は心中で呟く。


「え、何?」

「なんでもない。あー良かった!あんたに会えただけでも、セントラルに来た甲斐があったってもんだわ」

「そういえば、ウィンリィはどうしてセントラルに来たの?」

「ヒューズさんにお礼言いたくて!でも会えなかったのよねー」

それは何気無くした質問だった。
返ってきたのは予想外の言葉で。
その軽い口調と声色に、一瞬の内に未登録の背中が冷やりとする。


「ウィンリィ、」

「あ、エド達が来てるわ!」

店のすぐ外にエドとアルの姿が見えた。
エド達の笑顔は、とても知り合いが亡くなった事を知らされているようには見えなかった。


「仕事、終わったのかよ?」

「ばっちりよ。ほら、お給料も貰ったし、ね!」

「うん。…あ、エド。これ、このまま受け取ってくれる?」

「初給料だろ?お前の為に使えよ」

早速お金を返そうとする未登録にエドは外方を向く。
未登録からすれば初めてだからこそ、なのだが。


「そうよ未登録。近くにあんたが好きそうなお店見つけたから行ってみなさい」

結局未登録は皆に勧められるまま、その店で髪留めを一つ購入した。



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