6:待罪-後編-




「最後に、一つだけいいかな」

最後。その言葉に促されて再び視線を合わせた。
予想した質問の殆どが、まだ訊かれていないままだった。
少し拍子抜けしながら、一体何だろうと考える。

“君はあそこで何をしていた。あの中には誰が居た?”だろうか。

錬金術師の事も石の事も、知らない振りをするより他にない。
だけどどう言い訳したものか未だ考えつかない。

未登録はテーブルの隅に、小さなパンの欠片を見つける。

…猫が、世話していた猫が居なくなって、あのビルに入って行くのを見掛けて、どうしようか迷ってた…とか。

我ながら、どうしようもないな。

野良猫の世話をしてるんですと言ったなら、
「そういえば先程も猫が…」とホークアイ中尉が口添えしてくれる事もあるかもしれない。
其処まで妄想した後、未登録は覚悟を決める。


でたらめだって押し通すくらい強気で行かなくちゃ。
もう何もかも暴かれていたとしても、だ。


そんな事を思う未登録を、ロイは静かに見つめ、やがて言った。



「君は、今のままでいいと思っているのか?」


決して、大きな衝撃を受けた、とは言わない。
それでも予想外の方向から切り込まれた心地がした。


自分の瞳が俄かに揺れた気がする。
気づかれたかもしれない。


このままで、いいのか。

どういう意味か訊き返す事は出来なかった。
それはそのままの意味でしかない。
未登録は曖昧で心許ない場所に、壊れそうな籠の中に座り込んで居る。


動揺しなくていい。
そう言い聞かせる自分の声は細い。


「エルリック兄弟が君を探している」

落ち着いた力強いその声に、足先がびくりと震えた。

聴いては、いけないのかもしれない。
未登録は直感で感じ取る。

「君が彼らをどう思っているかは分からないが、助けを求めるという選択肢はまだ生きている」

彼の低く通る声は得体の知れない重圧を齎し、今度は膝を震えさせた。
目線はいつの間にか、彼の襟元くらいまで下がっていた。


…聴いてはいけない。
この人の言葉は、膨大な熱を持っている。



今、マスタング大佐はどんな顔をしているだろう。
その黒い瞳はどれほどの冷たさを持って、自分を見ているだろう。

真実を隠して悪に加担している。正しい行動を取らない事を非難しているのだろうか。

…それとも信じているのだろうか。
エド達の想いを踏みにじった人間の事を。
だから肝心な事を何も訊かないのか。

突き刺さる、彼の視線と有り余る熱。
その手に嵌める為の白い発火布を思い出して背が凍った。



「…兄弟と会って、安心させてやってくれないか」

怯える未登録とは対照的に、何処までも静かにロイは言った。

恐る恐る目線を上げると、ロイは少しほっとしたような、それでいて予断を許さない緊張感をその目に湛えた。
硬質な声から想像していたような顔を、彼はしていなかった。
真剣ではあるが、その瞳からは、少なくとも憤りや憎しみ、苛立ちは感じられない。



なんで会ったばかりなのに、こんな優しい目。

未登録はどうして良いか分からず瞳を泳がせる。



「……」

考えるまでもない。

この人は兄弟の事を誰より気に掛けて、大切に思っているから。
だからその幼馴染である自分の事も、同じように守ろうと。






自分の目に映る全ての人が、
しあわせになれるように。









「…私は、自分で選んだんです」


強い瞳が、未登録を見つめている。
一言一句、目の前の少女の気配すら逃すまいとするように。

未登録はなんとか息を吐き出すと、その両目を漸く見上げることが出来た。
真っ直ぐに彼の瞳を見据える。


「脅迫も強要もされていません。…二人には…もう会えません」

私は、自分の為に…。

自分の望みの為だけに。



汚い事もした。
知らない人を傷つけて。

多くはない、
自分を想ってくれる人達を切り捨てた。



全ての温度を振り払ってきた。



「…君は」

不意にロイが言った。
その言葉の続きは紡がれないままに時が流れる。


未登録は酷く驚いた。
気を抜けば感情が溢れてしまいそうだ。

その感覚がとても温かいのにも気づいて、少し苦しくなった。
胸元から上昇してくる熱が人間らしさの名残にさえ思えた。


あの時みたいだ。
あの時もこうやって、この街の片隅でエドとアルに会った。

この人の持っている温かさは、少しエドと似ている。
自分が思うよりも弱っていたらしい心を、揺さ振られる。


違うのは、今の自分にはもう、泣く理由が無い事だ。


すぐそばで、かつんと靴音がしてはっとした。
包むように掛かる人影。
歩み寄ってきた彼は、ふわりと未登録の頭を撫でた。

「君が、一人で苦しむ事はない」

その時初めて、その目を間近で見上げた。
オニキスのような黒い瞳は揺らがない光を見せる。

人間の目だ、と変な事を思う。



強く生きる人間の目。


自分もこんな風に生きていけたら良かったのかもしれない。

淀みなく、迷わず。


…それでも私は。

籠の中で身動きが取れずに苦しくなる時も、負けたくはない。
自分が望んだのだから。

他の誰が、エド達がそれを望まなくても。




不意に、彼の笑う気配がした。


「君が兄弟を大切に想うなら、あまり彼等を見くびらない方がいい」

「……?」

二人を、見くびる?

よく、分からなくて。
暫くぼんやりと見つめていると、
ロイはまた困ったように笑い、未登録の瞳を見つめ返した。

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