4:空に徒花 アジトへ戻ると、身にこびりついていた雪が急速に溶け出し、床が水浸しになった。 濡れた髪からもぽたぽたと水滴が落ちて。 透明な水は浴びた返り血と混ざって汚れながら肌を伝った。 部屋に着いて肩に担いでいた未登録を降ろすと、すぐに雪まみれになった外套を脱がした。 体内に熱を蓄えるように吐き出される息。 大きなタオル地で濡れた髪を拭って、頬に張りついた髪を払うと、室内の明かりが青白い顔を淡く照らし出した。 「…っ馬鹿じゃないの」 俺は一人、一切の感情を込めてそう呟いた。 たまたま掠った程度だったから良かったものの、まともに食らったらどうなっていたか。 頭部に打撲、顔や手にもまた、複数の擦り傷を作っていた。 漸くこないだの傷を治して元に戻ったと思ってたのに。 もう、こんなぼろぼろだなんて。 これだから人間は…。 「………」 思わず出掛かった言葉を止め、俺は不甲斐無さの中でその煮えるような思考を閉じた。 暫くして。 目を覚ました未登録は、瞳を瞬きながらゆっくりとベッドから起き上がった。 傍らに俺が居る事に気づくと、何がどうなったのか分からないという顔をした。 「おはよう。」 「…おは、よう」 「馬鹿、おはようじゃないよ。まったく」 舌足らずに返す未登録に少し安心しながら、透かさず溜め息を吐いた。 「殴られて倒れたんだよ。ノウシントウ、だってさ。覚えてる?」 どうやら事の経緯を思い出したらしく、俺の言葉にこくこくと頷いた。 動いた拍子に何処か痛んだようで、不意に痛そうな顔をして息を詰める。 途端に、憤りに似たやりきれなさが自分の内側から再燃して湧き上がってくるのを感じた。 「…なんであんな事したの」 見上げてくるその目に戸惑いの色が揺らいだ。 軽い調子で話す事で、込み上げてくる感情を抑えていたつもりだったけど、最早なんの効力も無いようだった。 何を責められてるのか分かってもいない顔が、俺の苛立ちを煽る。 「…助けたくて」 少しの間を置いて紡がれた言葉。 咄嗟に錬金術を使おうとしたけど出来なかったと、未登録は要らない弁明をした。 助けようとした、という思考自体が俺には理解出来なかった。 俺を庇う事は無駄以外の何でもないし、況して身代わりなんて馬鹿げている。 俺がどういう生き物かなんて重々承知だろうに、なんでそんな事も分からないんだろう。 未登録の話を聴いていると、なんだか頭が変になりそうだった。 「お前、」 「…ごめんなさい…ただ、心配で…」 「心配?」 これ以上は言っては…。 そう思ったけど。 内側から湧き出る黒い何かは今にも溢れ出しそうで。 「笑わせないでよ。人間の癖に」 堪らず吐いた言葉に、未登録の目が見開かれる。 「二度と、あんな真似しないで」 「ちょっと。エンヴィー」 「…今呼んだ?」 「鬱陶しいわね。溜め息ばかり吐いて」 周囲の状況を確認すると、どうやらもう仕事は片付いているらしかった。 何落ち込んでるのよ、とラストに心底嫌そうにされたが、そんなつもりは毛頭なかったので何とも答えようが無かった。 「仕方ないでしょう?貴方性格も口も悪いんだから」 あたかも事情を知っているような口振りで、自らの長髪を片手で払うラスト。 その甲には布地の黒に混ざって赤が浮かぶ。 何が仕方ないんだ。 そう思ったけど言い返す気力もない。 「それに、今は無能さに拍車が掛かっている訳だし」 「言ってくれるね」 「とにかく、素直に謝れば済む事よ」 こんな話はもう終わりとばかりにラストはそう言うと、さっさと踵を返して次の仕事に向かったようだった。 この後の命令を受けていない俺は軽く溜め息を吐いて立ち上がると、 人間の死が充満するその場をあとにした。 [page select] [目次] site top▲ ×
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