4:空に徒花



陰鬱な気分ながらも、足を向ける部屋はひとつだった。
暗い闇の先にぽつんとある扉は、室内から漏れる灯りで、その輪郭を仄明るく浮き上がらせている。




どうしようかと考えている間にもう扉は目の前で。
ドアに手を掛けようとしたが、俺は思い止まって腕を下ろした。
入って行って何を言えばいいのやら本当に分からない。


「…」

素直に謝れというラストの言葉が蘇ってくる。

憂鬱で仕方ないから、いっそこのドアを開けたらいつもみたいにあいつが本でも読んでいればいいのにと思う。

…案外もう忘れてたりして。

ぞんざいな思考に委ねると途端に馬鹿らしくなって。
俺は無造作にドアを開けた。



扉を開けた瞬間、目を向けたベッドに人の姿はなく。
その代わりに机のそばに座り込んでいる未登録と目が合った。

床には壊れたランプと細かな光の破片。
そして未登録の手に、ぼやけた色彩をした刃を見つけて目を剥いた。

「何やってんだよッ!」

一も二もなく叫んで、それを取り上げて放った。
からんと軽はずみな音を立てて転がる硝子片。
未登録の方を省みてその目を見ると、些か苦い感覚に顔が歪んだ。
部屋に吹き降ろされる沈黙の中、古ぼけた電球が、じり、と温もるのを背後に感じていた。


未登録は呆然とした状態で。

それでも、擡げた首の上で半開きになっていた唇を一度引き結ぶと、
悟ったみたいな、やけに透明度の高い瞳を不安定に揺らめかせた。
その感情を判別出来ず黙る俺に、何処までも真っ直ぐな視線を注いでくる。





「…同じ生き物になりたい…っ」




同じ生き物になりたい。

自分が想像した何れにも当て嵌まらない科白を、俺は頭の中で復唱する。
すると、切実そうな未登録の面持ちも手伝って、たちまちなんとも言えない脱力感と生温さに包まれた。


「…何、馬鹿な事言ってんのさ」

もしも、そうなったら。





今度こそ殺してしまうかもしれない。


それはごまかす意味も無い第一の感想だったし、胸の底まであっさりと落ちてくる尤もな想像でもあった。

俺の精神はすっかり馴染みの明度で、ただ澱んだ安穏に静まり返るばかりだった。
苦しげな顔をしている未登録の指先に傷を見つけて唇を寄せると、
膨らんだ血は変色して、既に溢れるのを止めて固まっていた。




目蓋の奥の青い空に、
あの花が散る。








いつか、
遠くはない日に。









「…いつか」


無意識に呟くと、未登録は目線だけをそろりとこちらへ向けた。
その目は未だ、今日の日の小さな事に沈んで見えた。

外では相も変わらず冷たくも温かくもない雪が降り積もっている事だろう。
だけど永遠に続きそうな白い世界も、明日の朝には影すら無いかもしれない。



此処に在る温度さえ奪って。






「いつか全部終わるから…」






「だから、少しでもこのままでいて」



いつかお前の居る世界の全てが退色するなら、
少しでも多く、少しでも、長く。






言い終えるのとどちらが先か、
使い切りの、その生身の身体を引き寄せて瞳を閉じた。

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