4:空に徒花

「エンヴィー、あのお嬢さんの事だけど」

「だーから、口出さないでって言って…」

「そうじゃなくて」

口早に遮られ、一層眉を寄せる。
赤い月のように細くなった瞳に、入り混じる感情の色は薄く。

ラストは一言、「仕事よ」と付け足した。

寒空に現れた白い息は一瞬本物らしく振舞って、
飲み込まれそうな青の中へすぐに消えた。















「お帰りなさい」

俺がドアを開けると同時に、未登録が振り向いて、読み掛けの本を閉じた。

顔を綻ばせながら掛けられる言葉。

いつから、こんな風に笑うようになったんだっけ。
もう思い出せないみたいだ。

「しかし毎日毎日、よく飽きないね」

机の上やその周辺に山積みになった書籍を呆れながら見やる。
山が二つに分かれているところを見ると、既読と未読に分類してあるのだろう。
自分で取ってきておいて何だが、どちらも凄い量だった。

「だって、他にする事もないもの」

「それもそうだね」

命の保証をしかねるから基本的に部屋から出ないように言ってあるし、この部屋には机とベッド以外見事に何も無い。
未登録の専門とする錬金術の文献ではないにしろ、恰好の時間潰しにはなっているようだ。

「そういえば。許可、下りたから。外出の」

「ほんと?」

未登録が、嬉しいと口にして息を吹き返すみたいな笑顔で笑う。

此処最近「外に出たい」と言っていたから、もしかしたら俺が思っていたよりも限界だったのかもしれない。


「もしも街に行けるなら、買出しに行きたいな。それから…」

楽しそうに、あんまり無邪気に笑うから、少し眩しく感じて俺も目を細める。



折角こんな風に。

だけどぶち壊さなくちゃいけない。



「これからは、未登録にも仕事して貰う事になったから」


出来るだけ何でもないように言ったけど。
未登録は一瞬何も分かってない表情をして、それから顔を強張らせた。

「私が…?」

驚きと共に、次の言葉を待つように密度のある眼差しが投げ掛けられる。

「って言っても、いきなりは無理だろうから当面は俺と二人でだけど」

「……」

未登録は黙ったまま視線を落とす。
どんなものを想像しているんだろう。
一言で仕事と言っても、別に人間を殺す事だけじゃない(結果的に人間が死ぬ事は多いが)。

でも、もしも殺しだと思っているならその勘は正しい。

仕事は殺しだけじゃないけれど、お父様はそれを選んだ。
まるで、未登録が此処に居る事を認める為の通過儀礼みたいに。

今までも仕事の現場には度々連れ出しているから、何もかもが初めて、という状況にはならない。
死体だって多少は見慣れている筈。

だけど当然、見るのとやるのとでは…。


「…未登録」

その手を取って、宥めるように指に触れた。
見た目よりもずっと柔らかい。

無意識に爪の上に指を滑らせていると、よく出来た細部に気づいて目を止める。

肌、骨、うっすらと透ける血管、神経。
この組織の、細胞一つ一つが生きているなんて目眩がする。
おぞましいほどの奇跡だ。

本当は、汚い事なんてさせたくない。
命の成れの果てなんて見せたくも触れさせたくも、ない。


「あ〜あ。ほんっと嫌になっちゃうよね〜」

「…エンヴィー?」

未登録の手を掴んだまま、ぼすっとベッドに身体を沈めてみる。




望む事は、いつだって同時には叶わない。


「……」

それでも、
この手を引いたからには。





「…出来るよね?未登録」


シーツの上から見上げて囁くと、未登録は逡巡するような、少し傷ついたような面持ちで見つめ返してきた。
それを瞬きひとつせず、試すように見据える。


うん、とも分かったとも答えは返ってこなくて。
内心、ほんの少し安心した。

だけど次に見上げた時には、その瞳はいつもと変わらない強い色をしていて。

重力に任せて動く気配のない手も、シーツの波間で当然の様に掴まれたままになっている。



逃げたっていいのに。お前は。




まるで捨て身のその態勢に、時折こちらが追い詰められていくようで。

唯、どんなに残酷でも、見慣れ過ぎたこの手を離せない自分が居た。

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