3:その日のふたり



夕刻を前にした太陽が、一際鈍くなっていた。
暮れながら一つの宿屋の壁をじっとりと照らす。


エンヴィーが目線で促した先に、開け放たれた出窓があった。


二人の部屋の窓だ。

不安定な足元に邪魔されながら、ゆっくりと、屋根伝いに部屋に近づく。

ひんやりと冷たくなった屋根に手を着く。
すると、中から少年の声が聞こえて。
未登録はびくりとした。


張りのある声だった。
耳に浸透してくる、知っている人の声だった。

エドの声だ。
こんなに遠い存在になってしまったのに、聴こうと思えばこんなに近くで声を聴ける事が、なんだか不思議な気がした。

よく通る、元気のいい声。
それが明るく、楽しそうな色をしていて。

思わず泣いてしまいそうだった。


ぼうっと縁を眺めていると窓の隅に、二人の姿が少しだけ見えて未登録の心が震える。


エドは笑っていた。



思い出すのは哀しい顔ばかりなのに、楽しそうに笑っていた。

何か冗談を言い合って、
昔と変わらず。




ひっそりと、未登録は息を吐く。
あんまり安心して口元まで緩んでくる。

彼らはこういう人達だ。
いつまでも沈み込んだりしない。
すぐに次の目標を定められる。
笑って、何度でも戦える。




安堵する反面少し、
そう、少しだけ淋しくもあった。

幼い頃。旅立つ二人の背中をもどかしく見つめた。
自分も何か出来たらと、
二人の世界に入っていけたらと、ずっとずっと、願っていた。






彼らは大丈夫なのだ。

自分が居なくても。


そんなことは当の昔から知っていた筈だけど。


自分が一緒に居られなくても彼らは大丈夫。
ずっと今までそうだった。
そしてこれからもきっとそれは変わらない。



未登録は、少し笑った。

切ない何かが自分の中に溢れて、吐いた息と共に外へ出ていく。


太陽みたいに笑うエドを、もう一度だけ見つめて。
そんな兄を窘めながら活き活きと動く、大きな身体のアルを見つめて。

未登録はまた少しだけ笑うと、無言で立ち上がった。


「…もう行こう、エンヴィー」

風に飛ばされる髪が、表情を隠してくれた。
斜め後ろにいたエンヴィーが、探るようにこちらを見つめているのが分かる。


「もういいの?」

訊かれた事には答えなかった。
答えない代わりに未登録は歩いた。
二人の声に背を向けて。


「…ふうん。そう。もういいんだ」

エンヴィーが、何かを切り出す合図のように言った。
明らかに、納得していない、といった様子で。

だけど未登録は振り返らない。


幕切れのように夕闇が降りてくる。



「どうして此処に連れてきたの」

未登録は呟いた。
そして漸く振り向く。少しだけ眉を寄せて。

エンヴィーが出掛けることを提案したのも、二人のところに自分を連れてくる為に違いなかった。
未登録にはその理由がどうしても分からなかった。


エンヴィーは黙って視線を外すと、緩やかに目を細めて。
再び未登録を正面から見据えると、口を開いた。

「俺には人間の感情だの感慨だのは分かんないよ。でもこの数日間、未登録がずっと誰の事考えてたか。
それくらいは分かるつもりだよ」

ひた、と屋根の板の表面を、慣れた足つきで歩いていく。

二人の距離が詰まる。

「石を使った事、こっちに来た事。あいつらにどう思われてんのか気になって仕方ないんでしょ。まともに寝れないくらい」


エンヴィーは嘲るように笑った。
その冷めた声に外界の音が遠のく。
未登録の心臓が高鳴りを始める。


「…そんなに警戒しなくてもいいでしょ?」

「…別に、してない」

掠れる声。
緊張していると明確に知らせてしまう。
言葉とは裏腹、鋭さを引き摺った瞳が向けられる。

逸らす事を許さない捕食者の瞳だ。
未登録は只管エンヴィーを見つめ返した。



遠くで二人の笑い声がした。



一瞬、ちらりと宿舎の方へ目線が飛んで彼の瞳に暗い色が横切る。



魔が通るのを見た。



屋根の先のもっと向こうで、太陽が急激に傾く。





「…あいつを殺したら」

気だるい、
それでいて威圧感のある声。


歯が微かに浮いて、口の中でかちかちと触れ合っていた。



――震えている。



自覚して動揺した。
心なしか指先も振動している気がした。
それを悟られまいと無理やり握り込み、未登録はエンヴィーの瞳を、強く睨み返した。


エンヴィーは薄く笑った。


「…そんなにあいつらが大事?」






太陽が傾く。






「だったら帰ったら?」


エンヴィーが言う。



「此処に、」

彼の指が、鎖骨の下を指す。




「此処に賢者の石がある。これ持ってあいつらのところに帰ればいいだろ」












夕暮れの街は、家路を行く人ばかりだった。
皆一心に前を向いて去っていく。
未登録は、まるで全ての人が自分と正反対の場所に向かっているような錯覚を覚える。



「ちょっとー。何処行く気なのさ?」

「……」

一定の距離を保ち、エンヴィーはずっと後ろをついてきた。

エド達の宿屋はもう遥か向こう。
彼のふて腐れた声を尻目に、未登録は何かを振り払うように早足で歩き続ける。

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