3:その日のふたり




それから。どのくらいそうしていたのか。
エンヴィーに手を引かれるまま連れてこられた街の片隅のビルの上で、未登録はずっとこうして空を眺めていたのだった。


隣に座ってきたエンヴィーが、僅かに首を傾げたまま、じっとこちらの顔を窺ってくる。

傾き始めた太陽が、彼の斜め後ろを照らしていた。
一番高くに達すると同時に沈みにかかる星は、強大なのになんとも儚く、時の流れに従順だった。
一体どのくらいこうしていたのだろう。
彼はその間、つかず離れずの距離でずっと、何も言わず待っていたのだろうか。


「あのさぁ、無反応ってのが一番困るんだけど〜?」

まるで人間のような事を言いながら、げんなり、といった顔をした。

気を遣ってくれていたのかもしれない。
人間嫌いの彼なりに。


外気を寄せつけない膜でも持っているかのような剥き出しの肩。

この空気の冷たさも、風の抵抗も、そして時間の干渉さえ其処にはない。







「私は平気。もう、平気だから」

はっきりとした声で、未登録はそう言った。



もう随分前から自分は歪んでいて、他人の命に無頓着な筈で。
知りもしない誰かが死ぬ(消える)度動じるなら、それこそ狂って死んでしまっていただろう。
そんな鈍い自分が、今更何を気にする事があるのかといえば。
…ただ。

ただあの赤い結晶が。

あの石が、あの日見た赤い血溜まりの光景の、その延長線上に精製されている気がして。


未登録は記憶を辿るように、目の前の青年の黒い髪を見つめた。
黒い髪の向こうに、あの艶やかな彼女の姿が見える。

「心が痛む」なんて、貴方はきっと笑うだろう。

両親を軽んじ裏切った。
そんな錯覚を覚えている。

そう、錯覚。




「……」




…錯覚じゃ、ない。

肯定するより早く、胸の奥はじりじりと焼けるように痛んでいた。
自分の嘘を見抜くように。




「こちら側」に来たんだ。
両親の事もエド達の事も捨てて。



ぎゅっと、拳を握り締めた。
少し俯くと、「元通り」の身体が視界に映る。


『エドとアルがこの事を知ったらどう思うだろう?』

沈めても沈めても、
浮上してくる問いかけ。

人の命を使って回復した。
見かけは「元通り」になった。

でも、こうして再構築された私は、まだ私なのだろうか。





私はまだ人間なんだろうか?






そんな問いかけが浮かんでは消えた。
あの金色の少年がこんな自分を知ったら、どう思うだろう。
あの強く真っ直ぐな瞳を思い出すと未登録は苦しかった。


もとより合わせる顔なんてないのに、まだこんな事…。









「兄弟がどうしてるか知りたい?」

長い沈黙の終わりに。
エンヴィーは確かにそう言った。
未登録が驚いたように顔を上げる。


「…どうしてそんな事言うの」

エンヴィーは答えなかった。そしてうっすら笑った。
その目に、少しだけ冷ややかな色を浮かべて。



緊張が、胸の奥から這い上がってくる。
きっと本人が自覚していないだろうその色に、ほんの少し恐怖に似たものを覚える。

「近くだし見に行こうか」

「…え」

彼はそう言ったきり、すっと立ち上がって歩き出す。
未登録も思わず立ち上がるが、足は前に進まない。
また強い風が吹く。
その場に立ったまま、強風の中をすたすたと猫のように歩んでいく、その後ろ姿に視線を投げかけた。


「…気になるんでしょ?」

彼は言った。
未登録に背中を向けたまま。

その後はもう、お互い一言も話さなかった。

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