10:帰る場所-後編- 「お前の自由だよ」 未登録は、はっとして顔を上げた。 冷静なその声に。 暗い青紫色を眺めていると、不意に、先程感じた冷たい温度を思い出して。 僅かに心臓が熱くなる。 …自由。 私の自由。 そんなものが、そんな自由があるのは。 貴方が命令を無視したから。 「…っ」 幾年月も。 彼の腕は、指は背中はあの人の為にあって。 あの人は彼の大切な人で。 そして人間と大差ない、 あの心音の先には。 「未登録…?」 「未登録!」 「未登録、行くな」 エドとアルの声は遠く。 ごめん、と未登録は掠れた声で呟いた。 未登録が犠牲になれば二人は助かる。 それは事実かもしれないが、やはり半分嘘だ。 これは彼女に用意された隠れ蓑なのだ。 彼らは最初から二人を殺す気などなかったのだから。 今度こそ、れっきとした裏切り。 天に近づくと蝋で固めた羽根が溶けて、醜い人間は地に落ちていく。 地に落ちていく。 そして今度こそ闇の中。 汗がじっとりと滲んでいた。 鈍くなる平衡感覚に揺らされながら彼女は歩いていく。 不意にあの人が風の様にすれ違う。 後ろから金属のぶつかる音がして。 それでも未登録は振り返らなかった。 耳を塞ぎたくなった。 人柱である二人を簡単に殺さない筈だと言い聞かせ、震える手を握り締める。 そして歩いていく。 愕然とした。 自分はこんなにも酷い、醜い人間だったのかと。 ちかちかと未登録の視界が光のノイズで乱れる。 その中に彼が居た。 彼はやっぱり無表情で、何も言わなかった。 「…エンヴィー」 見慣れた腕。 いつからか見つめていた。 触れられずにいた。 その大罪の名で、彼は意識もなく罪を重ねて。 彼等はこれからも血の惨劇を繰り返す。 「……ごめんなさい…」 未登録がそう呟くと、目の前で綺麗な紫色の瞳が驚きに見開かれる。 前のめりに身体が傾くのが分かっても、彼女に遠のく意識を繋ぎ止める力は残っていなかった。 掠めた血の臭いがふわりと。 それに混じって彼の匂いが香った。 「…未登録…っ」 …私は彼女を許した訳じゃない。 模造太陽の存在を肯定する気もない。 どうして生かされたのかなんて分からない。 ただこの人間と大差ない心音の。 この脈動の先に、 模造太陽の造った魔法の石があるのだと思うと泣き出したかった。 「ごめんなさい…、…」 あと一言が、未登録にはどうしても言えなかった。 意識が沈んでいく。 そのせいで告げられなかった訳ではなくて。 言えなかった。 ただそれだけ。 …殺され掛けて言える筈ないよね。 だから言わないよ。 だけど今も、あの檻が扉を開けているとしたら。 願うだけは私の自由なら。 どうか、 どうか一つだけ。 [page select] [目次] site top▲ ×
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