10:帰る場所-後編- 「でも今夜は殺さないであげる。…未登録次第だけどね」 伏せ目がちに言った、エンヴィーの視線が少年の後ろに逸れる。 身体を引き摺り歩く少女が、こちらを真っ直ぐ見据えていた。 ほんの少し、エンヴィーは指先に力を込める。 今もあの目は光を失っていない。 「…二人から離れて」 未登録は言った。 包帯を片手で抑え、額には沢山の汗を浮かべている。 「久しぶりね、お嬢さん」 「ッ早く離れて!!」 びりびりと伝わってくる感情の激しさに、ラストは仕方なさそうに後退した。 それを確認した途端、緊張の糸が切れたのか未登録は膝を折って崩れ込んだ。 「未登録!」 「未登録、お前…」 「…良かっ…」 言葉を途切れさせながら息を吐き出す。 …間に合わなかったらどうしようかと。 二人まで殺されたら、自分はもう正気でなんて。 「…良かった…」 駆け寄ってきた兄弟に、本当に良かったと未登録は繰り返した。 エドは困り切った苦い表情を浮かべる。 苦しさをおして彼女が身体を起こすと、無機質な紅い瞳が見下ろしていた。 この闇には、朝の来る気配もない。 ラストはふっと、薄く微笑んだ。 「貴女はいい子ね」 「…?」 「聞き分けの良い、本当にいい子だわ。ぼうや達に何も教えていない。貴女のご両親を殺したのが誰か、とかね…」 「!」 両親。その言葉が未登録から温度を奪う。 永遠に消し去れない記憶。 「可哀想ね。憎む気概も、誰かに縋る覚悟もない。一人彷徨っている」 「…どうして、そんな事」 未登録の声が震える。 「本当に、憐れな生き物だわ」 「私は…!」 耐えられなくなって声を絞り出した瞬間。 辺りがすっと暗くなる。 エドとアルの腕が、彼女を庇う様に隠したのだ。 「やっぱり貴方達がおじさん達を…そして今度は未登録を…」 「今まで利用しといて、邪魔になったから殺そうとしたのか」 凄まじい剣幕でエンヴィーを睨みつけるエド。 エンヴィーは無言のまま少年と向かい合う。 その時、ラストがやけに緩慢な動作で三人へ視線を向けた。 「お嬢さんにその気があれば、迎え入れてもいい」 エドはびくりと指を震わせた。 「そんなの、未登録が望む訳ない!」 「さあ、どうかしら」 「?どういう意味…」 エドの代わりに声を荒げたアル。しかしラストは意味ありげに薄く微笑む。 その視線を、呆然としている未登録に向けて。 「私の知る限り、人は不自由を好むものよ」 「……」 未登録は何も言えなかった。 混乱が頭の中を支配していく。 何かがおかしかった。 殺されると思っていたのだ。 エドとアルまで巻き込んでしまったと。 何がなんだか分からなくて。 答えを求めて、未登録は先程から黙ったままの彼の方を窺い見た。 目が合うと、エンヴィーは瞳を淡く細めて。 そして、いつになく無表情で口を開いた。 「これは取り引きだよ。未登録がこっちに来るなら、おチビさん達の命を助けてあげる」 命の代わりにあちらに行く。 あの日と同じ二択。 いや、少し違う。 「未登録、聞くな。お前が犠牲になる事ないんだ」 「……。貴方達は、私を…」 「そうだよ。殺しに来た」 エンヴィーの瞳は静かに冴えていた。 彼らの「お父様」ならそう命令するだろう。 そもそも未登録には大して利用価値など無いのだから。 だったらこの交渉は。 未登録はもう一度エンヴィーの方を見る。 闇の中でも猫の瞳に似て映える人外の色。 これ以上は譲歩しない。 当の昔に答えを出し切っている、そんな冷たい目。 きっと彼はもう次の行動を決めているのだ。 だけど未登録はといえば、どうしたらいいのか分からない。 『お嬢さんにその気があれば』 邪魔者である筈の自分が、あちら側に行く。 それは、今度こそ「あちら側の人間になる」という事だ。 [page select] [目次] site top▲ ×
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