小説 | ナノ


▽ 14


 そこからどこをどう走ったのかはわからない。ライゼに手を引かれるままに歩き続け、気が付けば二人して森の奥深くに立っていた。
「ラ、ライゼ、手離してくれないか……」
「あ、ごめん。疲れた?」
「少し……」
 胸元を抑えて大きく息を吸う。急に激しい運動をしたせいで、心臓が大きく脈を打っている。そんな俺をライゼは気づかわしげに見ていたが、俺の手を引くと木の根元に歩み寄った。
「少し休憩していこうか」
「どうしてそんなに焦ってるんだ」
「だって、ヘクセの雛が死んじゃったら手遅れじゃない?もう巣立ちの時から一ヶ月くらい経過してるんだし、あまり時間はないと思う」
 おとがいに手を当て、思案げに呟くライゼの顔をぼんやりと眺める。先程まで確かに怒りをあらわにしていたはずの彼女が、今ではもう普段通りの穏やかさに戻っていたのが不思議だった。
 彼女だって先程は、散々貶されていたはずなのに。
「本当に行くのか」
 ふと口をついて出たのは、みっともない泣き言だった。
 周囲を警戒するように歩き回っていたライゼが、ざり、と土を踏みしめて立ち止まる。振り返った彼女の顔を見て、俺は少し後悔した。困ったような顔が、まるで迷惑がっているように見えて、一瞬胸がつきりと痛む。
「行かなくちゃ。私はそのために来たんだもの」
「どうせ、放っておいてもこの問題は時期に解決する。今までだってそうだったんだ。ヘクセの雛が病気だとわかったところで何になる?」
 これ以上は一層困らせるだけだとわかっていても、口は勝手に戯言を吐き出し続けて止まらない。彼女がどんな顔をするのか見たくなくて、顔を俯ける。わずかに滲んだ視界の中に、歩み寄ってきたライゼの靴のつま先がうつった。
「そんなことない。だって、もしゼーレくんが言うことが本当なら、この状況を打開する方法だって、もう私たちの手の中にあるじゃない。そうでしょう?」
「俺が薬を完成させれば、それで全部解決するって?薬が完成するかもわからないんだぞ。それに……」
「それに?」
「どうして、俺がそこまでしなきゃいけないんだ」
 ライゼが鋭く息を飲んだ。
「少しだけ、期待したんだ。ヘクセの暴れてる原因が分かれば、村の人たちは、俺のことを少しだけ認めてくれるかもしれないって。でもダメだった。話すら、まともに聞いてもらえなかった。……結局、どれだけ努力しようと、俺たちみたいな奴は誰にも評価してもらえない。頑張ったって、周りの奴らは俺たちのこと見ちゃいない。それなら、それならどんなに努力したって無駄じゃないか」
「私たちがしてきたことに、全部意味がなかったって言いたいの?」
「村の人達の態度を見ただろ。あいつらは、お前のハンターとしての実績を、ちゃんと認めてくれたか?俺たちがこんなじゃなければ、もっと話は早くまとまっていたはずだ。そうだろ?」
 本当は、本当はちゃんとわかってる。ライゼが努力してきたこと。その結果、ハンターとして認められていること。わかっているのに、口から出るのは彼女を否定する言葉ばかりだった。
 ライゼが苦しそうに眉をひそめるのが見えて、胸の奥が締め付けられる。それでも、一度投げつけた言葉は帰ってこない。
「そうかもしれない。でも、絶対にそれだけじゃなかった!あなたのことをちゃんと知れば、認めてくれる人は絶対いる!トレイズくんだって……!」
「トレイズのことは、今は関係ないだろ」
「どうして!」
「トレイズが、虐めとは無関係だとでも」
 吐き捨てた言葉は、妙な重みを伴って地面に落ちた。
「まだら羽根のゼーレ。俺のことを最初に呼んだのは、トレイズだ。……子供の頃、喧嘩になった時に言われた」
 ライゼは驚かなかった。多分、薄々気づいていたんだろう。ただ、きりりと歯を食いしばる音だけが、かすかに耳に届く。
「トレイズくんのこと、今でも恨んでるの」
「まさか。あいつのことを恨んだことなんて一度もない」
 あいつが俺をまだらの羽根だと罵った瞬間、周囲の目は一瞬で、疎ましいものを見る目から弱者を見る目へと変わった。そのどれもが嗜虐的な暗い喜びに光る中、あいつだけが、自分が言った言葉に自分で傷ついたように蒼白な顔をしていたのを俺は知っている。
「それまでがおかしかったんだ。わかりやすいいじめの材料があったのに、始めの頃、周りの人は全然それを指摘しては来なかった。トレイズがいたからだ。村の中でも有名人だったあいつが、俺に友好的に接していてくれたおかげで、周りの奴らは俺に何も言えなかった。俺はトレイズに守られていたんだよ。……だから、恨むなんて考えたことなかった。あるべき姿に戻っただけだ。でも、トレイズはそうは思わなかった」
「……」
「言っただろう、あいつは罪悪感で付き合ってくれてるんだって。……あいつは、今でも、自分が差別の引き金を引いてしまったと思ってる。だから俺のことを見捨てられないんだ」
「ゼーレくんは、今でも、トレイズくんがそれだけの理由で君の隣にいるって思ってるの」
「思ってる」
 ライゼは何度も口を開きかけ、それから悲しそうに首を振った。まるでため息のようにポツリとこぼす。
「ゼーレくんは残酷だよ」
「俺が?……そうかもしれない」
「ゼーレくんはすぐそうやって卑屈になるね。どうせ受け入れられないんだ。どうせトレイズくんも罪悪感だけで付き合ってるんだって。私には、まるでそれが言い訳みたいに聞こえる」

 ゼーレくんは負けたんだよ。周りに、そしてなによりも自分自身に。出来ないって思い込んで、結局自分で自分の首を絞めちゃってる。
 
「私は、そんなの絶対嫌だ」
 それは、聞いたことがないくらい強い声だった。
「私は、あんな心無い人たちに負けたくない。できないって思われたって、そんな思いに縛られたくない。何より、自分で自分を諦めたくない!」
「お前は強いな」
 心の底から思った。 それほどまでに、彼女の決意は俺にはとても眩しくて。そして。
 ……そして、自分が、ただひたすらに惨めだった。
「俺には無理だ。お前のようにはきっとなれない」
 ライゼの目からはらはらと涙がこぼれ落ちた。俺は、彼女の涙を拭おうともしなかった。ただ黙って、彼女がゆっくり後ずさり、それから走り去っていくのを見つめていた。
 どろどろとした胸の内を吐き出してしまえば、後に残ったのは寒々しい虚無感だけだ。ポッカリと空いた胸の穴から、体温までがずるずると抜け落ちていく。木の幹に背中を強く押し当てたままうずくまる。
「……寒い」
 体の熱が全て流れ出してしまっても、しばらく俺は、そのまま動くことができなかった。

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