小説 | ナノ


▽ 茜さんとちったい露葉くん



赤軍同士の小競り合いの処理に追われ、はや一週間がたった。赤いものを身につけていると言うだけで、警戒するような視線が飛んでくる毎日。ほとほと疲れきった俺は、久しぶりに永久さんの家を訪れた。
おや、と思ったのは、玄関を開けてすぐのことだった。綺麗に並べられた靴の中に、ひとつだけ、見慣れない物があったのだ。
小さい小さい子供靴。
「そういえば、前に飯食いに行った時、子供を拾ったって言ってたっけ」
あの時は酒も飲んでいたし、いつもの冗談の類だと思っていた。だって永久さんが子育てなんて、なぁ?全然似合わないだろう?
どんな子供を拾ったのか俄然興味が湧いてきた。俺はいそいそと靴を脱いであがりこむ。
「お邪魔します」
声をかけると、リビングの方から物音がした。家主は不在のようだから、件の子供が、来客に驚きでもしたのだろう。扉を開ければ、案の定、小さな男の子が目を丸くしてこちらを見ていた。
「お兄さん、誰?」
「俺?俺は永久さんのオトモダチさ」
適当なことを喋りながら、子供の顔をまじまじと観察する。ふわふわの白髪に青い目。永久さんの話では11歳前後ということだったが、それにしては小柄な矮躯。この年頃の子供には不相応な、覇気のない表情が目に付いた。子供は怯えたようにソファにしがみついたまま、目だけはこちらから逸らさない。どうやら向こうは向こうで、俺が信用できる人間かどうか考えているようだった。
「永久さん、今日は留守?何時くらいに帰るか、聞いてるか」
「……わかんない。いつも、帰ってくる時間、バラバラだから」
ぼそぼそと呟く子供の声を見ながら、俺は壁の時計を確認する。午後七時。そろそろ腹がすいてくる時間だ。せっかくだし夕飯でも作って待ってようか。そう思ってキッチンに移動すると、パタパタと小さな足音がついてきた。どうやら見張っているつもりらしい。
「なあ、お前、腹はすいてる?」
冷蔵庫に手をかけたまま振り返ると、子供はこくこくっと頷いてから、慌てたように首を振った。
「どっちだよ」
「空いてる……けど、夕飯前に食べるなって」
「そ。なら先に手早く飯作っちゃうわ。苦手なものとかないよな」
「とわさん帰ってきてないのに、もうご飯にしちゃうの?」
「ああ、俺たち二人で抜け駆けしようぜ」
にやりと片頬をあげると、子供もつられて表情を緩めた。やっぱり腹が空いていたらしい。空腹は簡単に人を素直にさせる。
「お前も手伝ってくれ。溶き卵くらいなら作れるだろう」
そう言って卵を割り入れたお椀を渡すと、子供は大事そうに両手でうけとった。危なっかしい手つきでかき混ぜるのを横目に見ながら、俺はコンロに火をつける。炒飯を作るつもりだった。これなら腹にたまるし、残しても取っておけるだろう。
卵とご飯を混ぜ入れ、具材を適当に突っ込んで強火で炒める。フライパンをガシャガシャ揺すっていると、こちらを見上げる子供と目が合った。
「何だ?」
「すごい、料理してる」
表情が乏しくてわかりにくいが、どうやら子供は感動しているらしい。何度も俺の顔とフライパンを眺めては、ため息をついている。
「永久さん、料理はしないのか」
そう聞いたら、無言で棚を指さされた。並んでいるのは、様々な種類のレトルト食品。貧相な食事事情を知ってしまった。今度からもう少し飯作ってやろうと誓いながら、大皿に炒飯を盛り付ける。面倒な時は一つ盛りだ。皿洗いの手間も省けていいだろう?
「ほら、好きなだけ食べな」
そう言って食卓にどんと置く。子供はスプーンを握るやいなや、ものすごい勢いでがっつき始めた。さっきまでの大人しい印象が一瞬で崩れ去る。というかこれ、噛まずに飲み込んでるんじゃないだろうな?よく見ればスプーンを持つ手もぐーの形だし。
「食事の時くらい落ち着いて食べな。別に炒飯は逃げたりしないから」
見かねて口を挟むと、子供の肩がぴくりと跳ねた。そろそろとスプーンを引き戻して、口の中のものを咀嚼する。なんとか飲み込み終わったのか、ふう、と息をついてから、子供は少し肩を落とした。
「ごめんなさい。俺、こういうのあんまり慣れてなくて」
「こういうの?」
「二人だけの食事とか」
そういえば、永久さんは孤児院から拾ってきたと言っていた。あそこでは、食事時はいつも戦争なのかもしれない。常に一人一人に充分すぎる程の量が用意されていた実家とは、また勝手も異なるのだろう。
それにしても、少し叱られただけで真っ暗な目をする子供だった。スプーンを置いたまま小さく震える姿に罪悪感が湧いてきて、わしわしと頭をかく。全く、こういうのは俺の柄じゃないんだが。
「まずはスプーンの持ち方を直そう。俺と同じようにやってみて」
猫なで声をあげながら、俺は見えやすいように右手を上にあげる。子供の視線がそれを追い、それからあたふたと真似し始めた。うまく持てるようになった頃を見計らって、「そのまま炒飯に差し入れて掬いとる」と次の指示を出す。
「あんまり一気によそいすぎるなよ。自分の口に入るだけよそうんだ」
「わ、わかった」
「口の中にものが入ってる時は喋らない。次の食べ物をすくわない。動くのは口が空になってからだ」
叩き込まれた礼儀作法を思い返しながら言うと、子供は素直に頷いた。まだまだ持ち方は曖昧だし掬った米を零すしで見てられないが、じきに出来るようになるだろう。そんなことを考えながら、俺も黙々と炒飯を口に運ぶ。皿の中身があらから片付いた頃、ガチャリと玄関の戸が開く音がした。
「いい匂いがするね。ああ、茜が来ていたのか」
「邪魔してるよ」
「とわさん、おかえりなさい」
歩み寄ってきた永久さんは 子供の頭を撫で、次いで机の大皿に目をやった。
「匂いの元はこれか。私の分がないように見えるんだけど」
「心配するな。別で取り分けてある」
「ならいい。今日は、この前の件で来たんだろう?」
「ああ。どうしても不可解な件があって」
俺は言いよどんだ。ここから先は、赤軍の活動に関わることだ。いくら永久さんが拾ってきた子供とはいえ、無闇矢鱈に聞かせることでもない。同じことを思ったのか、永久さんが子供に軽く目配せした。察した子供が、ご馳走様でした、と手を合わせてから席を立つ。
「あの、俺、お風呂入ったらもう寝ます」
「うん。歯磨きも忘れずにね」
永久さんの言葉に頷き返して、子供はパタパタと扉に駆け寄る。部屋を出る一瞬、少し迷った素振りを見せてから、こちらを振り返った。
「あのっ、茜、さん」
「ん?」
「チャーハンありがとう。おいしかった」
おずおずとそう言って、子供は少しだけ唇をほころばせた。それは、どこか影のある雰囲気を纏った子供が、初めて見せた笑顔だった。
「可愛いだろ」
いつの間にか後ろに立っていた永久さんが、にやにやと笑いながら言う。
「ああ、永久さんの子供とは思えないくらい素直でいい子だ」
「前までは、もっとぼんやりしてたんだけどね。あれでも、最近は少し明るくなってきた方なんだ」
「永久さん、あの子、もしかして前の孤児院で」
「ああ。彼も、戦争で大切な家族を失くした被害者だよ」
やっぱりそうか。戦争は、いとも容易く笑顔を奪う。永久さんや俺が、唯さんをなくした時のように。
「このままで終われるものか」
俺の思考をなぞるように、永久さんが力強い声で言う。
「私たちは必ず勝つよ。そのために、あの子にも協力してもらう」
「ああ」
「それじゃ、作戦会議と洒落こもうか」
書斎への扉に手をかけた永久さんは、ふと、思い出したように言った。
「そうだ、その前に。たまにでいいから、あの子の様子を見てやってくれないかな。私が早く帰れればいいんだけど、どうにも仕事が不定期で」
「俺の役割は子守りかよ」
茶々を入れながらも、思う。
あの子供も、戦争の被害者なのだと永久さんは言った。そしていつか、共に戦う仲間にする、と。けれど今は、ただの奇妙な親子に過ぎない。唯さんを亡くしてから、どこか人と距離を置き始めた彼が、初めて選び取った小さな手。どこか暗い顔をしていた子供が、最後に見せた笑顔を思い出す。
即席で作った炒飯で、あんなに喜んでくれるなら。
また、飯くらい作ってやってもいいかもな。

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