赤の境界
「一番痛い凶器を知っている?」

原色のペンキがぶちまけられた机を前に佐神紅祢は呟いた。
元はごく有り触れた色だったろう一個の机は、セットの椅子と共に、色とりどりのペンキに塗れて廊下にあった。
それらを見詰めた彼女がいきなり問う。
「知ってる?」
「……何で俺に聞く」
「話し相手、キミしか居ないから」
「俺が知っているとでも?」
そう問い返すと、まさかと声が笑った。
果たしてその目が何を見ていたのか確かめる術はない。
(否、そんなこと興味もない)
ただ、あえて予想するのなら、恐らくそれは佐神紅祢自身の過去だろう。甦るよりもさらに以前の過去。
記憶ごと消し去ったと言ったはずなのに、この女はまたしても嘘を吐いた。
何度も途方もない数嘘を吐く。健かなようでいて弱い。
(馬鹿な奴。)
「一番痛いのは言葉だよ」
不意に呟かれた言葉に思わず首を傾げると、佐神紅祢は小さく笑んで続けた。
「暴力でもない。武器でもない。ただの蹂躙より破壊より痛くて辛いのは言葉の蹂躙と破壊だよ。心の傷は治らないって言いたい訳じゃないんだけど。そんな使い古しなんて偶像だけど。でも……ねえ、わかる?翡影。あたしの言ってる事。言ってる意味」
分かる訳がない。
鼻で笑って言い捨ててやろうとして目前の彼女を見やると探るような縋るような視線とぶつかる。
馬鹿な奴だ。
俺に何を望むのか知った事ではないが、しかしどうしようもなく何かを望まれているらしい。
一番嫌な役だ。他力本願の糧になどなりたくないのに。
(面倒な奴。)
「お前とは根本的に違う。だから、俺にはよくわからない」
「………言うと思った」
「なら聞くな」
「そうだね」
苦笑して視線を落とした佐神紅祢は、机上の赤色を指先で撫でた。その色だけペンキよりも生々しく、黒ずんだ色をしている。
生々しい。生臭い。血腥い。
人の一部を形成していたそれは、今や過去の遺物だ。
果たしてその一個体が遺物たる自身の欠片を見下ろしているのを気付いている人間がどれ程居るだろう。
「それで、気は済んだのか」
「うん?まあ、ね…」
「面倒だな。人間てのは」
「翡影も人間でしょ」
「"元"人間だ」
「ああ、そうだった」
あっさりと机から離れた佐神紅祢が隣りに立った。制服の襟首からミミズ腫れのような傷跡が覗いている。
それは彼女自身が付けた痕跡だ。責める者は誰も居ない。
「行こう」
「……よくわからない」
「何が?」
「何でも」
促されるまま廊下を進む。
授業を進行する教師の声やペン先と紙の擦れる音を聞きながら、佐神紅祢の背中を押した。直後、巨大な柱時計が鐘を鳴らしたが、その音に気付く者は居ない。





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