命の欠片
日本政府発表の情報によると今日から二か月後に大規模な隕石だか小惑星だかが地球に直撃するのだそうだ。ハレー彗星?マックホルツ?ああ、いややっぱり隕石だ。さっきまたニュースのアナウンサーが、狂ったように叫んでいる映像が流れた。
リモコンのボタンを押してテレビの電源を切る。
ああ、世界は大騒ぎだ。そう思いながら学校に向かう。


予想通りというかそれ以上というか。
廊下に群がる生徒と教師を掻い潜って教室に入る。
「おはよ、ちーちゃん」
「はよ。何この騒ぎ」
「隕石で地球消滅ってやつ。ニュース見てないの」
「ああ見た見た」
頷いて椅子を引く。前の席から身を乗り出した某友人は早速その話題をふってきた。
「ちーちゃんはどうするよ」
「何が」
「ロケット乗らないの」
地球脱出のロケット。定員は千人。うち幾つかは既に世界的偉業を成し遂げた才能人達とその家族で埋まっている。それに乗ることが生き残る術だと散々テレビで流れていた。
「興味ない」
「死にたいんだったもんね」
イチゴ牛乳のパックを潰しながら飲む癖は相変わらずで、今も派手なピンク色のパッケージの底を解体し始めている。
「お前はどうすんの」
「俺も乗らない」
「ふーん」
「千人中一般公募の人数なんてたかが知れてるし」
「ふーん」
「……ほんと興味ないのね」
「まぁねー…」
呆れた声に適当に相槌を打つ。持ってきた教科書も今日は要にならないだろう。何せ、教室の大半の席が空席だ。授業も何も成り立たない。
ふと目前のキツネ色の頭を見つめる。
「お前なら」
「うん」
「お前なら、ロケットに乗れるだろ」
何せこの男の父親は、高名な科学者だ。ノーベル賞の候補者に名があがるほどの。
ストローを前歯で挟んで友人は器用に笑った。
「まぁね。実はチケットもあるんだけど」
そう言って机の上に映画のチケットに似た紙を置いて肘をついた。
偽造出来ないように特殊な印刷が施された長方形の上質紙。この紙切れがロケットの搭乗券らしい。こんな紙切れと人の命が同価値だなんて、笑わせてくれる。
消滅する惑星に億単位の人口を残して選ばれた人間は宇宙に飛び立つ。SF映画で幾度となく描写された光景が、二か月後正確に言えばもっと早い時期に全世界に中継される。
我先にと駆け込む姿か、沈痛な面持ちで乗り込む姿か。謝罪の言葉のひとつでも口にしてくれるのだろうか。
どちらにせよ自分がそちら側に居ないことだけは確かだ。
「ロケットに乗ってそれからどうするか知ってる?」
「知らない」
「漂流するんだって。宇宙を」
「へぇ」
「そんで何とか生きられて二十年。どうしたってそれ以上は無理だ」
奇跡が起これば別だけど。
無感動に言ってイチゴ牛乳を嚥下する。ストローがわずかにピンク色を透かした。
「無謀だよね。いくら三年前から分かってたって、ロケット作るのが精一杯。宇宙ステーションなんてもんが出来れば人類は生き残れたかもしれないのに」
手の中でピンク色のパックが潰れる。折角底を剥したのなら最後まで綺麗に解体すればいいものを、そうはせずに握り潰した。
かすかに残っていた中身が飲み口から飛び出して、親指側面に零れた。
「ロケット乗れば」
「何で」
「二十年でも二か月よりは長いだろ」
「遅かれ早かれ死んじゃうし」
「その分長く生きられる」
「……ちーちゃんからそんな科白を聞く日が来るなんて想像してもみなかった」
零れた液体を舐め取って、友人は苦く笑う。
「俺は早く死にたいけど、お前は長生きしたいんだろ」
あと五十日と少し。
地球が消滅して人類は滅亡する。わずかに選ばれた人間は、空に向かって飛び立ち執行時刻を先延ばしにする。
「ちーちゃん俺はね」
始業のベルが鳴った。しかしながら教壇に教師の姿はない。生徒の数も疎らだ。それでも尚、早死希望者と某友人は席を離れることはない。
「ちーちゃんが行かないなら行かないんだ」
「何で」
「だって俺一人で行ってもつまらないでしょ」
「………」
「二十年も一人は嫌だよ」
「……俺はロケットには乗らない」
「知ってる。だから行かない」
指先で摘んだ搭乗券を躊躇なく縦に裂いて握り潰す。手の中で搭乗券が無惨に潰れて、ピンク色のパックと一緒に傍らの屑籠に捨てられた。
命の形をした紙切れは、見るもあっけなく殺された。日常の片隅で一人の人間が命を捨てたことを知るのは、早死希望者の僕の他誰も居ない。
「よし、夏休みは海に行こう」
何事もなかったように笑んで友人は言った。
「世界の最後を生で見られるなんて、最高の夏休みだ」
地球消滅まで残り五十日と一週間。








†カウントダウンスタート







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