為い為い欺騙す


全く、余計なことをしてくれるものだ。
背後から聞こえたそんな台詞に鳴上は反射的に顔を上げた。一体どこの誰がそんな台詞を吐くのかと、訝しんだまま首をめぐらせば視線の先に背の高い男がいる。
肩幅が広く上背がある。その所為か、否が応でも感じる威圧感。身に着けた黒の軍服は数字付きの上位級ともまた違う。階級章は付けていないが、そんな物がなくともこの男が何者であるかなど、軍に属している人間であれば誰もが知っていた。
鳴上は舌打ちをしたくなるのを抑えて、目の前の男に対峙した。
「何かご用でしょうか、斑鳩中将。」
上官に対して相応しくない鳴上の口調に、目の前の薄い唇が笑みの形に歪む。
斑鳩郡司。西方軍師団長にして現軍隊内における最高指揮官であるこの男が、鳴上は苦手だった。
常に感情の読めない切れ長の目と、精悍ながら人を見下したようなその容貌は、相対する人間に酷薄な印象を与える。その印象に違わず、斑鳩という男は冷酷極まりなかった。
西方軍の全てを掌握する斑鳩にとって、兵士はチェスや将棋の駒でしかない。
過去に、斑鳩が指揮を執った大規模な掃討作戦の終結は今や、西方軍での語り種になっていた。その一件以来、中将に昇格された斑鳩は冷徹ながら無駄のない指揮能力と、隊内の者ですら有無を言わせぬ冷酷さをもって軍内の総指揮を執っている。その冷徹さは一貫していて、それ故か、齢三十云歳にして一師団の総指揮を取る裁量は群を抜いて秀でていた。
それこそ人の命を貴ぶなどという道徳的な説教は、この男の前では塵芥と変わらない。
「相変わらず愛想がないな。」
「必要のない相手に振りまく愛想は持ち合わせていないもので。」
あからさまな嫌悪も、斑鳩は歯牙にもかけない。腕を組んだ長身を壁に預け、鳴上を見下ろしている。
居心地の悪さに、胸焼けがする。眉間に皺を刻んで、鳴上は踵を返した。
「……失礼します。」
「うちの人形に余計な事を吹き込まないでもらえるか。」
鳴上を呼び止める形でかけられた声は淡々としていた。踏み出した足を元に戻し、再度斑鳩に向き直る。
「一体何のことか見当もつきませんが。」
「惚けてもらっては困る。」
平然と嘯く鳴上に斑鳩は芝居がかった動作で頭を振った。
白衣の影で握り締めた拳が熱い。手のひらに食い込んだ爪の感触で、どうにか眼前の男と対峙出来ている。
いずれ、こうなることは目に見えていた。蘇芳に釘を刺されたことは記憶に新しい。
「私の知る限り、うちの軍に人形なんてものは居ません。」
「ああ、そうだな。訂正しよう。優秀な殺戮兵器に余計な入れ知恵をしないでもらおう。」
「……ッ、」
悪びれる様子など更々ない、事務的な口調。一気に血液が沸騰するような感覚に鳴上は、強く奥歯を噛み締めた。
そんな鳴上の様子にも頓着することはなく、斑鳩はその余裕に満ちた表情を崩そうとはしない。
「鴉鳥來は我が軍において貴重な兵器だ。君の一時の気の迷いで、鴉鳥の兵器である自覚を無くしてもらっては困るんだよ。」
「ふざけるな。鴉鳥は人間だ、まだ16年しか生きていないただの子供だろうが。そんな子供に、兵器だ何だと勝手なことを抜かすな!」
ガンッと鈍い音を立てて、ぶつけた拳が熱く熱を持って疼いた。しかし、鴉鳥の抱えてきた痛みに比べればこんなものは痛みですらない。
声を荒げた鳴上に、斑鳩は息を吐いてさも億劫だというように身体を起こした。
「だから何だ?ガキだから、そんな理由であれの価値を潰す気か。」
「価値?あんたの言っている価値ってのは、兵器としての価値だ。そしてその価値を鴉鳥は望んでいない。」
「望もうが望むまいが関係ない。その能力を認められた時点で鴉鳥は兵器でしかない。」
薄ら笑いを浮かべ淡々と語る斑鳩に、鳴上は絶句した。
この男は本当に、人を人と思わないのか。有事の度に戦地へ赴き命を落とす部下に何の感情も感慨も持たないというのか。
だとすれば、この男こそただの機械だ。血の通わない作り物だ。
そんな男に、あの子の何がわかる。
あんたはあの子が泣く姿を見たことがあるのか。愛することも愛されることも、他愛ない会話の仕方すら知らなかったあの子が、今はちゃんと笑えることも、あんたは知らないだろう。
そう思えば思うほど、胸焼けが酷くなった。眼前の男を睨め付け口を開く。
「あんた、人間を何だと…」
「君に言われたくはないな。鳴上恭丞くん。」
「何……」
「第一連隊を率いた最前線での活躍を忘れたとは言うまい。」
ひくりと鳴上の頬が引きつる。その様子に愉し気な笑みを浮かべ、斑鳩はさらに言葉を続けた。
「何の罪滅ぼしで医科に転属したかは知らないが、過去を消すことは出来ないんだよ。」
君のその手が鴉鳥と同様、否それ以上の命を奪ったことは消しようのない事実だ。
何も言い返せず立ち尽くす鳴上を一瞥し、斑鳩は踵を返した。黒衣の裾がはためいて鳴上の視界を滑る。
「価値がなくなれば、置く意味もなくなる。」
賢明な君ならわかるだろう。
捨て置かれた言葉の意味に、目の前が白く光る。熱を帯びたように身体が熱い。それは、斑鳩の意図は。心臓がぎりぎりと締めつけられるようだ。きつく閉じた視界が真っ赤な色に染まる。
強く握りしめた手のひらに血が滲むのにも気づかずに鳴上はそこへ立ち尽くしていた。




幾度重ねる嘘



水葬




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