パステルピンクのお年頃
彼は他人を愛したことがないのだという。

人を殺す為に生まれてきたような人間だ。食扶持とも言える人間を愛するなど、彼に言わせれば家畜を愛でる事と何ら変わらないのだという。
「何のつもりだ」
「………」
低く問う声に無音が答える。軍医とはいえ、こんな子供に遅れをとるとは不覚だ。
突き付けられたナイフの切っ先は寸分違わず喉笛を捉え固定されている。背後で硝子戸が不穏な音とともに、かたかたと揺れた。
目前の彼は何故だか不思議そうな表情を浮べナイフの柄を握っている。
首筋から左頬にかけて刻まれる幾何学模様が子供染みた表情に不似合いだ。
「離しなさい」
「なんで」
「その物騒な物を退けろ」
「嫌だ」
「何がしたいんだお前」
「……わからない」
そう言う彼は本心からそう思っているらしくきつく眉根を寄せ、しかし緩慢な動作でナイフを退けた。
昏い瞳は奈落の底に続く穴のようだ。空ろな空洞。どこまでも墜ちていく。
まるで彼の人生そのもののようで憐れに思う。
わからないのはこっちだ。
何をどうしたらこういう状況になる。一回りも年下の子供、数字付きというだけのガキのくせに。生意気にもほどがある。
「わからない?」
「わからない」
「何が」
「自分が」
「意味が分からない。軍医が必要な用件か?」
「あんたじゃなきゃ意味がない」
さらにわからない。
そんな真顔で一体何を言ってるんだこいつは。
「具合でも悪いのか。それとも悩み事か」
「よくわからん」
「なんだそりゃ」
「………泣きたくなる」
呆れた直後聞こえた台詞に面食らった。
泣きたくなるだって?
平然と人を嬲り殺して、それでも尚顔色一つ変えないような人間が。泣いて命乞う人間を慈悲も情けもなく一刀に断ち切ることが出来る人間が。ただの殺戮機械が泣きたくなるだって。
「それで?辞めたくなったとでも」
「いや、仕事は天職だ」
「じゃあなぜ泣きたい」
「それを聞きに来た」
平然ととんでもない事を言ってくれる。しかしこれも仕事の一環であると思えば我慢出来る。
「意味がわからない」
「あんたなら知っていると思って」
「他人の痛みは他人にわかるものじゃない」
「そうじゃない」
「じゃあ何だ」
一瞬の逡巡。その目に暗い影が差し、苦しげに表情が歪んだ。
「あんたを見てると泣きたくなる」
「何…」
「心臓が痛い」
「あ、」
「殺してみたらこの苦痛は治まるのかと思った」
「と、」
「でも余計に苦しくなった」
「り、」
「だからわからない」
「あとり……」
彼は泣いていた。殺戮機械が泣いている。消毒液の匂が充満した部屋の中。朱色の太陽が部屋を染める。その中央で無防備なほど幼く脆く泣いている。
「あんただけなんだ。だから余計にわからない」
咄々と語る彼のその苦痛の理由を悟って視界がぶれた。
それを知ったら彼はどんな反応をするだろう。
彼は人を愛したことがないのだという。それは彼が殺戮機械だからだ。
血も涙も通わないただの人形。
しかしながら、その機械は今まさに目の前で苦痛に泣いている。
彼は人を愛したことがないのだという。
「鴉鳥。非常に言いにくいんだが」
彼は、鴉鳥來は、他人を愛したことがないのだという。
「何だよ」
「それはお前、あれだ」
それは彼が機械だから。
「?勿体ぶるな」
「あー…"コイ"だよ」
機械は感情をもたない。
「………鯉?」
「恋。お前、俺が好きなんだよ」
だから愛するという言葉を知らない。
「………」
「………」
「……うそ」
「であって欲しいな」
「何、俺――…ッ!」
ばたん!扉が閉まる。
足音がフェードアウト。
遠ざかる気配に軍医は手の甲で額を押さえて天を仰いだ。
(嗚呼もう全く)
なんて心臓に悪い。


子供に愛されるなんて思ってもみなかった。






年の差恋愛方程論壱






戻る


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -