鳥籠の鳥
人を愛することが出来ないのだと鴉鳥は言う。濡れ羽色の双眸をひたとこちらに向けたまま、鴉鳥は毛布を抱きしめた。
夜通しつけ続けた白熱灯の下、鴉鳥と向き合った鳴上はぽつぽつと零れる言葉にただ静かに相槌を打っている。とうに日付は越えたが、鴉鳥が部屋に帰る気配はなく鳴上も何を言うでもなく鴉鳥の傍らに座っていた。
細い腕に抱き締められた厚手の毛布は、この部屋のもので鳴上のものである。ついでに言うならば、鴉鳥が座るベッドも鳴上のものだ。鴉鳥を放って夢の中へ落ちるという選択肢は端からない。仮にその選択肢が残されていたとしても、鳴上にそんな気は毛頭なかった。
鴉鳥の口から零れるのは他愛もない世間話から任務のこと、今日の夕飯、明日の予定と実に取り留めのないものばかりだ。ころころと変わる表情は年相応で鳴上は酷く安堵する。しかし、合間合間に覗く冷ややかな虚に気付かないほど鳴上は鈍感ではない。
語るそれとはまるで真逆の中身を、巧みに鎧で覆い隠した鴉鳥の言葉は酷く頼りない。
「……………俺はさあ、」
「ん?」
不意に聞こえた声は今まで以上に頼りなく脆かった。まるでつつけば崩れる砂城のようで、鳴上は思わず手を伸ばした。
存外柔らかな黒髪を指で梳いてやれば、鴉鳥が驚いたように目を瞬く。
「な、るかみ?」
「気にしないで続けな。」
囁くように促せば、髪を梳く手に戸惑いながらも鴉鳥は再び口を開いた。
「……俺はさ、戦場で戦って人を殺して、それを糧にして今生きてるじゃんか。」
「ああ。」
「それは俺が望んだことで、でも望まざるを得なかったことで。でもさ、もし、もしこの戦争が、いつかどんな形になろうと終わったとしてそうしたら俺は、どうなるんだろうって考えたら、そしたらさ…俺、怖くなるんだ。」
ぎゅうと膝を抱きしめ、毛布に顔をうずめた鴉鳥は小さいな身体をさらに小さくする。
「外の世界なんて全然覚えてないし、人殺しの術しか知らなかい。そしたらさ、俺って生きてる意味あんのかとか必要ないんじゃないかなんて考えてさ…今までそんなん考えたことなかったんだぜ?でも、でもさ…」
消え入るように萎んでいく声に、鳴上は首を傾げ鴉鳥ににじり寄る。真っ黒な頭に手を置いて、どうしたと問えば鴉鳥の肩がびくりと震えた。
「鴉鳥?」
「……ッ、あんたに」
「俺?」
「あんたに会って、あんたが恋なんていうから、俺、あんたの声が耳から離れなくて。」
どこに居ても、何をしてもあんたの声が耳から離れない。
小さくけれどはっきり告げる鴉鳥に鳴上は目を見開いた。黒い髪の隙間から真っ赤な耳が覗いている。今顔を上げさせたら、きっと茹だったタコのようになっているだろう鴉鳥を思うと、口元が緩んだ。
骨張った細い指が、鳴上の手を掴み、そのままおずおずと指先を握る。たどたどしくも何かを伝えようとする鴉鳥がどうしようもなく愛しくて、そのぎこちない指先に自身の指を絡めた。
「もし軍がなくなって、お前が誰も殺す必要がなくなったら、俺がお前を貰ってやるよ」
「……殺戮兵器じゃなくても、俺が必要なのか?」
顔を伏せたまま鴉鳥が呟く。冷たい指先が鳴上の指を強く握った。
殺戮兵器は人を愛さない。兵器に感情はなく、それは必要にすらならないものだ。
だがしかし、今ここにいる殺戮兵器は、兵器などではないただ一人の人間だ。心臓が血を送り、心が涙を流す。鴉鳥來は人間であると、鳴上はこの数ヶ月で身をもって知った。
あの日、夕焼け色の医務室で突きつけられたナイフを、今なら鴉鳥ごと受け入れてやれる自信があった。異様に思えた左頬の刺青も、今ではただ愛しい。
冗談半分でそれは恋だと告げたあの日、一目散に医務室から飛び出した鴉鳥は兵器ではなくただの人間だった。
何も知らない子供に、勝手に殺戮兵器という名を与えたのは鳴上達軍の大人だ。だから鴉鳥は自分の必要価値を見いだすことが出来ない。殺戮兵器でなくなれば、鴉鳥の価値はなくなったことに等しいと周囲が囁くからだ。戦火の中で生きる殺戮兵器、その名が鴉鳥を捕らえている。
まだ幼い指先が幾度もトリガーを引き、ナイフを振りかざし、剣を抜いた。それを思うと、この小さな身体にどれだけの痛みを抱えているのか、鳴上は想像すら出来なかった。
「鴉鳥、俺はお前が殺戮兵器だろうが何だろうがお前のことが一番大切だ。」
「……ッ、」
「だから俺がお前を必要ないと思う日なんて、絶対に有り得ない。」
毛布ごと抱きしめてやると、鴉鳥の身体が小さく震えた。微かに漏れる声に、息を吐いて鳴上は囁く。
「お前が思ってる以上に俺は鴉鳥のことが好きなんだよ。」
だから安心しておやすみ。
そう言った途端、堰を切ったように零れる嗚咽を聞きながら、鳴上は鴉鳥の背中を撫でた。







泣いてもいいんだ。
ここが君の安心出来る場所なら好きなだけ泣いて、眠ればいい。





>>20110912


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