横恋慕
それは壁にぶつけた後頭がじんじんと痛むのを忘れさせるのに充分な出来事だった。
一瞬真っ白になった視界の中に、泣きそうな顔が見える。
事実、本当に泣いているのかもしれない。
けれど、それを理解する余裕も冷静さも今の葭原には欠片もなかった。
「大好き、隊長、愛してる。愛して愛して愛して、愛しすぎる」
「三崎、」
「こんなに好きなのに、こんなに愛してるのに、答えてよ…応えてよ」
掴まれた肩口に思いの他強い痛みが走る。きつく握り込まれた拳が掴まれていない方の肩を緩く何度も叩いた。
不意打って葭原を押し倒した部下は、責めるように言葉を続けた。
「答えて、下さい」
「……無理だ。知っての通り、」
「あの人はッあんたを見てないよ。片瀬さんばかり、」
「知ってる」
「片思いなんて、隊長報われないよ」
「ああ、そうだな」
「十六年も片思いなんて、不毛だよ無駄だよ……意味、ないよ」
それも知っていると苦笑する。
泣きそうな顔で見下ろしてくる部下の様子にさらに苦笑が漏れた。
必死に拙い言葉を向ける少年に、やはりまだまだ子供だなと内心で呟いて葭原は片手を持ち上げた。
ゆるゆると振り上げられた拳を掴んで動きを止める。
僅かに震える冷たい手を握り締めると、部下は苦しそうに息を詰めた。
「ッ、」
「今は、応えられない」
「――…いつになったって、応える気なんてないくせに」
拗ねた口調で呟いて、両腕を力なく降ろした部下は溜め息と一緒にその場にへたりこんだ。
握り締めていた筈の拳がなくなり、部下に倣って手を降ろした。
静寂が耳に痛い。
遠くの部屋から誰かの笑い声が聞こえた。
「……葭原隊長」
「何だ」
「俺クビになる?」
「何故?」
「あんた、とか…言ったし、転ばしたし、すげぇ失礼なことしたから」
「そのくらいで貴重な人員削るか」
「良かった」
笑おうとして上手くいかず、泣き顔のように歪んだ表情になる。その表情を隠すように俯いた部下の頭に手を置いて二度三度と軽く叩くと、突如大きな溜め息が聞こえた。
「何だよ」
「隊長…失礼ついでにもう一個いいですか」
「ああ」
「十六年も片思いなんて馬鹿の一つ覚えじゃないんだから、さっさと告白して玉砕してください。そん時は笑って慰めてあげますよ」
ふざけた口調のくせに、声色だけはやけに堅い。
見え見えの強がりにしかし敢えて声には出さず苦笑して肩を竦める。
「……そりゃあどうも。というか、何で玉砕前提なんだよ」
「どう考えたってそうっしょ。あっちだって、片思い歴十六年なんだから」
どうせ隊長は気付いてないんでしょうけど。と付け足して部下はふらりと立ち上がった。
覚束ない足取りで二、三歩後退りこちらを見て少し呆れたような顔をする。
「ほんとに気付いてなかったとか?やだなぁ、やっぱ隊長ってどっか抜けてるよね」
「……余計なお世話だよ」
「拗ねないで下さいよ」
少しだけ普段通りに笑んで、部下は踵を返して部屋から立ち去った。
その後ろ姿を見詰めながら、もうそんなに経ったのかと感慨深げに思っている自分は、やはりどこか抜けているのだろう。



報われないのは知ってる





35才の片思いなんて可愛くない






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