支配者に願う

万策尽きた。
逃走準備、撤退開始。
敗走兵に情けはない。



痛む身体に霞む視界。身体損傷が著しい。レーダーが繋がらない。誰の声も聞こえない。四肢の痺れに、悪寒まで感じる。
(何て様だ)
猶予時間は三十分。
それを過ぎれば命はない。元々既に虫の息だ。そう長く生き延びられる筈がない。何か奇跡でも起これば話は別だ。
しかし、不幸なことにここは戦場である。
血肉と悲鳴と銃声とが綯い交ぜに折り重なり狂想曲を奏でる場所だ。刃と鉛と人間とがぶつかりあい互いを淘汰する非現実的現実の空間だ。
この場所において、奇跡などという事象は万が一にも有り得ない。
ましてや我が身に起こる事など万でも億でも有り得ない。
所詮人間という生き物は、選ばれ区別され生きているのだ。見えない手と巨大な策略。何者かの手の上にある。
その何者かを何と呼ぶのかは定かではないが。
(……だいぶ詭弁だ…相当参っている)
自嘲気味に呟いて目を閉じた。
遠くなる。
景色も音も匂いも感触も。
霧の中に沈んでいくようだ。
(沈むのは地の底に決まっているのだけど)
眠い。眠い眠い眠い。
いっそこのまま眠ってしまおうか。奇跡など待っていても埒が明かない。その存在を証明出来ないのだから、根拠もない。
諦めろ。人間引き際が肝心だ。犬死で無駄死だろうが今更過ぎた事。敗走兵に変わりはない。只管に敗走兵であるだけだ。
「まだ息があるのか」
「…………」
果たしてそれは誰に対する呼び掛けで、どんな意味合いを持っていたのかその時は判然としなかった。
「聞こえてるか。答えろ。今なら、未だ手の施しようがある」
「…………だ、れ…」
それが自身に向けられたものであると気付いたのはその直後だ。
激痛に顔を顰めながらやっとの事で声の方に顔を向ける。逆光で見えない相手に情けなく掠れた声で問えば、その人物は微かに笑った。
戦場においては明らかにそぐわない、あまりにも普通で平凡な笑いだ。
「お前どこの兵士だ。北か南か…うちのじゃねぇみたいだけど」
「……あんた…東、方…」
「いや、やっぱ喋んなくていい。傷に障る。あいつはどこに行ったかな」
微かな鍔鳴りの音が耳に届く。彼の捜し人たる人間が、現れたらしい。
「手貸してくれよ」
「何で」
「こいつ助ける」
にわかには信じがたい台詞に息を飲んだ。それは、捜し人であった人物も同じであったらしい。
しかし、その驚きは敗走兵たる自身とは違う類いの物だ。軽蔑が滲む声で「馬鹿が」と呟く。
「他軍の敗走兵を?頭沸いてんのかお前は」
「まだ生きてんだぞ」
「野垂死ぬ一歩手前の人間をわざわざ」
「心臓が動いてんだ。屍じゃない」
「百害あって一利なしとはこの事だ」
「んなことわかんねぇだろ。堅物はこれだから困る」
「ガキに言われる筋合いはない」
「頼むよ奏。迷惑はかけないから」
「今でも充分迷惑だ」
深い溜め息。
敗走兵の意識はそこで途切れる。持ち時間三十分の大方が過ぎた。
虫の息、完璧な瀕死状態だ。
(これが奇跡だというのなら)
何て、純真な生への欲求。
早く奇跡だと実感させてくれればいいのに。


(助けるならさっさと助けてくれ、)






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