広いガラス張りのエントランスホールには社内の人間が皆一様に忙しそうに交錯する。俺もそんな内の一人であって、これから外に出るというときに非常に厄介な人物を遠目に見つけてしまったのだった。
「もしもし亮、来た。」
「あ?」
携帯越しの亮の声はいつもより低く聞こえる。俺もあっちも忙しいし、あんまり長い時間喋ってもいられないから手短に。これは跡部に習ったことだった。
◇
「やあ、宍戸。」
「…あんたも暇なもんだな、」
「部下が優秀だからね。」
岳人から月に一度の短すぎる連絡の後、その連絡の意味とも呼べる人物が俺の部署の前を通り掛かった。あいつのところに行くにはまず俺んとこを通らないと辿り着くことは出来ないから、だから最初の足止めは大概俺だった。あとたまに、
「宍戸さん、この書類揃い…あれ?」
「やあ鳳くん。」
うちに来すぎてこいつうちの社員の名前把握してんじゃねえか、とは思うが跡部じゃない。跡部じゃないからそれは有り得ないだろう。視界のはじで長太郎がおろおろと、戸惑っている。毎度のことだからおまえも慣れろと溜め息をひとつ。
「あー…毎度のことだけどあんたの目的は?」
「景吾に会いに来た。」
にっこりと花が咲くような笑顔。跡部とは違う系統だが美人だ。笑えば様になる。
「まあ俺んとこはすんなり通れるだろうけど、」
「後が面倒なんだよね、どうにかしてくれないかなぁ…。」
「それだけ跡部さんのことが大事なんですよ、みなさん。」
ちらと見上げた長太郎は自信ありげな顔で笑っていた。それを見てお互いの顔を見やる俺と幸村。くすりと笑った幸村は、俺たちの横をすり抜けていってしまった。
◇
悠々と社内を闊歩すれば、すれ違う社員たちがみんな俺に頭を下げたり挨拶されたりするようになった。ちょっとしたくすぐったいような感情を抱きながら歩を進める。そうすれば前からよく絡んでくる、濃茶と薄茶の髪色をした純日本人コンビ(俺が勝手に呼んでる)がこちらに向かってきていた。
「あ、」
最初に気づいたのは日吉くん、薄茶のほうだった。
「日吉?」
「いや、あれ、」
「あれって酷いなあ、日吉くん。やあ、滝。」
また来たの、と滝はあからさまに露骨な、嫌そうな顔をその綺麗な顔に浮かべた。日吉くんは相変わらずの仏頂面で、うちの赤也と同い年なのにこうも違うものかと感心すらしてしまう。でもやっぱり俺としては赤也みたいなおばかさんの方が好みかな、ひねくれてるのもかわいいけど、うちにはそういう性格のやつが一人いるからもういいや。
「あー、そうか…。」
「滝さん?」
「今日は月に一度の魔王の日か…。」
額に指をやる姿は俺もよくやる。悩んでるときとか、心底面倒くさいとき。これは多分後者だろう。しかし本人を目の前に魔王の日とは、その度胸逆に見習っちゃうなあ。
「あんた本当に暇人なんですね、」
「どういうことかな?」
「……あんたも社長で、でもうちの社長よりも暇そうで、なんというかとてもイラっとしますね、あんた見てると。」
「うわ、日吉も言うねえ。俺の中で昇給してあげよう。」
本当に、ここの社員たちは跡部のこと大好きだなあと思ったよ。あの日吉くんが、きっと無意識だろうけど跡部の心配してるんだから。なんだかそれが微笑ましくなって、余計にはやく跡部に会いたくなってしまった。
◇
「うん、いつも通り最後はどちらかだと思ってたんだけど。二人ともだったとは予想外だね。」
「そんなこと思ってねーくせにぃ、」
「まあ意味のないことっちゃあそうやねんけど。」
そういう訳にもいかんやん。と笑ってるようで笑ってない忍足。本気で笑ったら可愛いだろうに。
わざとらしく顎に手を当てて驚いて感心したふりをする俺を見て、嫌そうな顔。
「跡部もおんなじポーズするけどおまえがやると腹立つな。」
「おー怖い。ねえ、意味がないならなんで続けるの?わざわざエスカレーターで一階一階上ってる俺も俺だけど。」
「うーん、まあおまえと同じ心理やろ。多分、」
「会いたくないし会わせたくないけど、こないとちょーし狂うっていうの?わかんねーけど。」
「君たちが俺のこと嫌いだってのはいっそ清々しいくらいだよね、」
ほんとう、正面玄関入って遠目に見つけた向日も、人事部の部署の前であった宍戸も鳳くんも、三階の廊下であった滝と日吉くんも、今目の前にいる忍足と芥川も、俺に会ったら一番最初にすっごい嫌そうな顔をする。それも清々しいくらいに。
「別におれら、幸村のこと嫌いじゃないしー。」
「せやで、普通に、そんな毛嫌いする理由一個しかないし。それがなかったらなあ、」
長い髪を後ろに払った忍足は、それまでのとっつきやすかった雰囲気も一緒に払ってしまったようで、その感情はまったく読めない。(これがあのポーカーフェイスってやつか…)芥川もブン太といるときの雰囲気とはまるで違う。
「君たちは跡部を大事にし過ぎなところがあるよ。」
「おまえには言われたないわあ。」
「当たり前だよ、あとべのこと、好きで好きで苦しいし。」
ぴんと、張り詰めた。今までたわんでいたのに、急に、芥川の言葉が弛んでいた糸を張り直した。
「あとべが好きで苦しいから、大事にしたいし、一番は褒めてもらいたい。」
「…早い話がおまえのポジションが羨ましいんや。」
キラキラと笑う芥川と照れ臭そうに微笑む忍足。なんか、俺ってどこまでも悪者だなと笑ってしまった。二人の隣をすり抜ける。跡部までもう少しだ。
◇
「お、まえ。」
社員室の重い扉を開け放てば、跡部が丁度樺地くんからコーヒーをうけとっているところだったろだった。
「樺地…、暫く外せ。」
「ウス、」
お互い何かを言いたげにして、樺地くんは部屋から出ていった。跡部の大きな溜め息は聞かないふり、かつかつと響く踵の音は跡部と俺の間合いを詰める。
「おまえは本当に…、俺の都合は丸無視か。」
「それでも相手してくれるのは跡部だよ、はあ疲れた。」
「疲れた?」
跡部は知らない。俺が跡部に会うまでにどれだけの労力を犠牲にしているかなんて。ああもう健気だなあ、跡部は鈍感さんなんだから一生気づかないよ、ストレートに伝えないと。
ま、それでもいいんだろうけどね。
「気にしないで。それより跡部、このあとのご予定は?」
「生憎他社の社長様がお食事にと誘ってくださっておりまして。」
「へえ、」
「おまえのことだよ、ばあか。」
「うん、わかってるよ。」
跡部との時間っていうご褒美を考えたら、別に悪くないんじゃないかな。
HARURUさんへ