例えば苺のショートケーキ。俺は苺を最後まで取っておいて後から食べるようなまどろっこしいことはしない。真っ先にそれを食べて、後のスポンジはあまり好まないのでそのまま捨てるだろう。

「それなら最初からショートケーキじゃなく苺だけ買って食べたらいいじゃない」

珍しく独り言を拾ってくれた我が優秀なる秘書様が、くだらないとばかりに眉を寄せながらそう吐き捨てた。
その際、彼女の両の手はよどみなく山積みにされた書類を捌いており、その仕事ぶりこそ俺が優秀と認める所以のひとつである。

「わかってないなぁ、波江さんは。あの絶妙に安っぽい生クリームが少しついた苺がいいんだよ。ああ、だからって今度は"クリームを苺につければいいじゃない"はやめて欲しいね?だって俺はあくまで"ショートケーキのメインたる苺"を食べるのが好きなんだよ」

敢えて鼻唄なんかを交えながらリズミカルに俺はパソコンのキーボードを叩きながら答えてみせた。
優秀たる秘書の上司も優秀でなければならないと俺は考える。だから俺だって口は淀みなく動かしながらも作業を中断なんてしない。

「…正確には"誰かが楽しみに取っておいたショートケーキの苺"を食べるのが好きなんじゃないのかしら?どうでもいいけれど」

気付けば処理の終わったらしい書類をファイリングしたものを忌々しげに持った彼女が目の前に立っていた。
お世辞にも愛想がいいとは言えない彼女は常から無表情が多い。しかし今日はそこへ更に苛立ちが目に見えて孕んでいるのは、聡明な彼女故にわざわざ仕事と銘打ち呼び出された本当の理由にどうやら気付いていらっしゃるようだ。

「それよりさっさと本当の用件を言いなさい」

けれど勿論申し訳ないだなんて俺は思わない。だってこれちゃんと時給が発生してるんだからさ。

「ワーォさすがは波江さん!いやはや君には参ったよ、実に参った!さすがは俺の相棒なだけはある」
「相棒だなんて不愉快だからやめてくれないかしら。それとその無様に腫れた頬をいい加減に冷やしなさい。見苦しいわ」
「…ご指摘痛み入るよ」

―――そう、俺の左頬は今痛々しい程に腫れ上がっていた。それもあり得ない程に。
ちなみに今朝洗面所でこれを見て、思わず写メってしまったくらいには俺は驚いた。
そしてピロリロリーンだなんて間抜けな音にいぶかしながら洗面所に入ってきたこの頬を腫らさせた張本人は、無言で洗面所を飛び出し、歯すら磨かず家を出ていったのだから笑ってしまう。

「ねぇ…波江さん。いくらなんでも親に手をあげるってこれ俺の教育がやっぱり悪かったのかな?」
「きっとそうね」

気持ちいい程の肯定に少しばかり虚しく思う。
いやね?せめてごめんなさいお父様の一言くらい土下座付きで欲しかったわけだ。だいたいありがとうとごめんなさいは人に取り入る基本だって俺は教えてきた筈だ。
なのにあの子ときたら一体何を聞いてきたんだ?バカか?やっぱり単細胞なの?

「っていうかだいたい俺シズちゃんに手をあげたこと一度もないんだよ?あのとてつもなく出鱈目な身体にそりゃ刺したら死ぬのか気になって試したいと常々思っているさ?けどナイフを刺したことなんて一度もない!一度もだ!」
「人間として当たり前ね」

エンターキーをことのほか力強く押した俺に優秀かつ冷静たる秘書様は用は済んだとばかりに帰り支度を始めやがっていらっしゃる。
しかし彼女は俺には非情であるが仕事には律儀なのできっと俺が満足に話終わるまで待ってくれるに違いない。
むしゃくしゃしながら俺はデスクへしまっていたシズちゃん人形8号を取り出し、自慢のナイフでそれをザクザクと切り刻むことに決めた。中々の力作ではある8体目のシズちゃんであったが仕方ない。

「なのにシズちゃんは俺を殴った。たかだかショートケーキの苺ごときで、だ」

ザクリザクリと小気味のいい音をたてながら俺はシズちゃん人形8号を切り刻む。中の綿が宙を舞ったが今の俺にはどうでもよく思えた。だってこれを片付けるのは俺じゃない。
ああ本当にシズちゃんがこうして楽しく刺せたらどんなに気分爽快なんだろうなんて考えるのはもう何度目のことだろう。

「…くだらないわね。湿布、戸棚に入っている筈だからいつまでも拗ねてないでさっさと貼りなさい。私はもう帰るから」
「ああ…ちょっと待って波江さん」
「?」

タイムカードを切ろうとする波江さんが不思議そうにこちらへ視線を向けた。
先程から数台のモニターで確認したのだから間違いない。
全くこんな朝から財布も持たずに池袋まで走るとはやはり化け物だ。

「これから先の俺の発言に意味はない。聞いてさえくれればいい。ついでに明日は休みでいいよ」
「…何よ」

エレベーターの防犯カメラから送られる映像を顎でしゃくってみせれば、彼女は面倒そうに眉をひそめた。俺はといえば、漸くむしゃくしゃした気持ちから解放されて逆に高揚感を抱き始めていた。
20秒、10秒とカウントしながら俺はペロリと唇を舐める。


ドアが開く音、
慌てた足音、
ドアノブに手が、

「俺とさ、付き合ってよ波江さん。やっぱりさ、俺には君しかいないんじゃないかなって思うんだけど」


バキリ


わざとらしく振り向けば、ひしゃげたドアノブを握るシズちゃんが、それはもう呆然と立っていた。

「おや、シズちゃん」
「…ッ!!!!」

きっとあの闇医者からもらったのだろう。シズちゃが投げた袋から包帯やら塗り薬やらが床に派手に音をたてて転がった。
そして一目散に自室に向かったらしいシズちゃんの足音を確かめてから、一部始終を見ていた彼女はタイムカードを切りこちらを振り返る。

「…これで用は済んだのかしら?」
「まぁね」

クックッと肩を揺らして答えれば遠慮のない侮蔑の視線を投げられたが勿論そんなのは気にならない。

「貴方たちの親子愛って歪んでるわ」
「ははっ君には言われたくないね」

だって俺は気付いてしまったのだ。彼は俺に、親子以上の愛を求めていると。

「たかだかケーキの苺を取られただけで癇癪を起こす可愛い息子へのお仕置きさ」

無惨になったシズちゃん人形8号を俺がゴミ箱へ投げ捨てたのと、彼女が玄関の扉を閉めたのはきっと同時のことだった。





(20111003)

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