バレンタイン | ナノ



彼の存在は知っていた。周りの女の子が噂をしているのを何度か聞いたことがあったから。

「西高の玄奘三蔵ってかっこいいよね」

西高といえばうちの高校とわりと近い。そんなところにそんなにかっこいい人がいるなんて。
そうは思ったが、幼い頃からどちらかというと色恋には疎い悟空のこと。へーそうか、と相槌を打ちつつも心の中ではコンビニ新発売のチョコレートのことを考えていたりした。
だから、分からなかったのだ。
毎朝電車で乗り合わせる、金髪の美男子がその渦中の玄奘三蔵であるなんて。

ある日、いつも乗る時間より少し遅れて電車に乗った。
いつもなら寄らないコンビニに寄ったからだ。その日は以前思っていたチョコレートの発売日だった。誘惑に負けて電車の時間を一つ遅くずらした。
チョコレートは入手できたもの、一番混む時間帯の電車に乗る羽目になってしまった。
(あちゃー…やっちゃったなぁ…)
今更そんなこと思っても後の祭り。この電車に乗らないと確実に遅刻だ。
意を決して車両へと足を運んだ。
軽いシューという音とともにドアが閉まる。悟空はドアの真ん前、小さい窓に押し付けられるようになりながら必死にチョコレートを庇った。
(ううぅー!キツイ…)
こんな事ならやっぱり電車を遅らせれば良かった。もうすでに後悔し始めたが、途中で降りるわけにもいかず、狭い車内をまんじりともせずに耐えていた…が。
(…ん?)
なんだか変な感じがする。腰、というかお尻。なんだか手でふにゃふにゃと揉まれているような。
(…痴漢かよー!)
必死で体を捩ってその名の通り魔の手から逃れるように動く。が、流石は痴漢、そんな悟空の動きが分かるとでも言うように執拗に追いかけてくる。いっそ感心するような手つきは慣れているのだろう、悟空の背を戦慄させた。
殴るか、それとも折れるまで手をねじり上げてやろうか。いやいや、こんなに狭い車内。騒いだら迷惑になるかもしれない。それに、もうすぐ降りる駅に着く。頑張れ耐えろ、あと少しだ。
すると、そこまでは撫でるようだった痴漢の手がスカートの下から割って入ってきた。
(〜〜もう我慢できねぇ…!)
満員電車で暴れるのは迷惑になる、と今まで我慢していたが、傲慢な痴漢には思い知らせてやらないといけない。グッと拳を握ると振り返り、その最低痴漢野郎を…殴ろうとした瞬間。

「痛ッ!」
「何やってんだ」

振り返ると、手をねじり上げられる中年親父と、金髪紫眼の美丈夫がいた。

「何なんだあんた!手を離せ!!」
「人の目の前で痴漢すんじゃねーよ」
「痴漢!?な…何を言っているのか…」

途端に目を伏せる中年。こんな奴に何分も触られていたかと思うと腹が煮え繰り返る。
ちょうど降りるべき駅へ到着し、すぐさま悟空と痴漢、それを取り押さえる金髪の男性が降りた。

「離せ!そんな短いスカート履いている方が悪いんだ!」
「はぁ!?意味わからねぇ!」
「例え短くとも欲望に負けて触る方が悪い、サッサと白状しろそして罪を償え」
「離せッ!」
「あっ!」
「チッ」

金髪男性の一瞬の隙をつき痴漢はあっという間に逃走した。
小さくなる後ろ姿を見ながら、悟空は盛大に叫ぶ。

「このクソ痴漢ヤロー!!次会ったらただじゃおかねぇからなー!!」
「…口悪いな」
「だって尻触られたんだぜ?ムカつくー!あ、助けてくれてありがとう。おれ、悟空。孫悟空。」
「…玄奘三蔵だ」

げんじょうさんぞう?何処かで聞いたことがある。目の前の金髪を見上げると、紫の眼とかち合った。
ーーーかっこいい。
かっこいいといえば、確か女子が噂してた、西高の。玄奘三蔵。

「…あ!玄奘三蔵って、西高の?」
「ああ。そうだ。」
「へー…クラスの女子がかっこいいって噂してたんだ。うん、ホントかっこいいな。」
「…」

嫌そうに顔を背ける三蔵に、悟空はあわてて目を伏せた。

「ごめん、ジロジロ見て悪かったな。今日ホントありがとう。すごく助かったよ。じゃあな」

ぺこりと頭を下げて、悟空は踵を返した。あんなにかっこいいんだ、きゃあきゃあ言われ慣れててあんまり嬉しく思わないんだろうと、悟空は少し反省しながら歩いた。が。

「…え?」

手を。引かれた。その反動で振り返ると、三蔵が悟空の手首を掴んでいた。驚いて三蔵を見上げる。

「…悟空」
「なに?」
「明日はいつもの時間に乗れ」
「…あ、うん。そーするつもり。…わざわざありがとう。…あ、そういえば。」

一連の事件ですっかりグシャグシャになってしまったビニール袋を出す。ビニール袋は見るも無残にグシャグシャだったが、チョコレートの方はなんとか安全だった。
それを取り出して、三蔵へと差し出した。

「なんかもみくちゃになったから、あれだけど…これ、お礼。あげる。バレンタインだし、ちょうどチョコレートだし」
「…いいのか」
「うん。ホントは、これ買ったから電車遅くなったんだけど…また買えるし。」
「そうか」

うん、と首を縦に振ると、三蔵は柔らかく笑った。そんな笑顔を見ると、悟空も嬉しくなった。
なんだ、ちゃんと笑えるじゃんか。

「うん。…玄奘さんもチョコレート好き?」
「三蔵」
「え?」
「三蔵でいい。しばらく付き合ってやるよ。朝駅で待ってるからな」

受け取ったチョコレートのパッケージに唇を寄せると今度は三蔵が踵を返した。
その後ろ姿を見ながら、何故三蔵が悟空の使う駅を知っているのか、何故いつも乗る時間を知っているのか、どうしても分からず首を捻った。
そして翌朝、単純に『電車の通学に付き合ってくれる』と思った悟空と『男女としての付き合いを開始する』と思った三蔵との温度差に、また首を捻る羽目になった。


end

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