虹 | ナノ
鈍色に濁った空からは、すこし大きめの雨が絶え間なく降り注いでいる。
雷こそ鳴ってないものの、どうやら当分止みそうになかった。
大型の台風が近付いて来てるんだって、たしかテレビでやっていた。部屋を飛び出す前に安いビニール傘をひっつかんでいて良かったと、悟空は内心ごちる。
足元の小石を蹴るふりをして、それからゆっくりとしゃがみ込んだ。
どうせこの雨、それに行き場所は無い。このまま数時間、此処で暇を潰すのも悪く無い。どうせ誰も迎えになんか来ない…。
今の気分を表したような空色と背後から煌々と輝くコンビニの光を交互に見つめて、静かに1人溜め息を付いた。


悟空には親が居ない。まだ悟空が生まれたばかりの頃交通事故で両親共に他界した。幼かった悟空は当然のように親戚中をたらい回しにされて、最後に遠い遠い親戚にあたる三蔵の元にたどり着いたのだった。
その時悟空は12歳。三蔵は20歳になったばかりで、あまり広くないマンションに一人で住んでいた。
この人に気に入られなかったら自分はもう施設行きだと、以前叔母から聞いていた悟空は、三蔵に気に入られるように最善を尽くした。
喧嘩は買わない、テストは頑張る、元々得意だったスポーツはさらに頑張って。
しかし三蔵は何も言わなかった。誉めるでも貶すでも無く、むしろ悟空等眼中に無いかのように振る舞った。平生、喜怒哀楽を出さない三蔵は、人の顔色を伺う事に長けていた悟空でさえ、何を考えているのか分からなかったのだ。

ただ、いつだろうか。確か三蔵の所にもらわれてすぐの頃だ。
新しい環境の為かどうしても一人で寝付けなくて、布団を抜け出した真夜中。
台所で少しだけ水を飲んで、なんとなくリビングの食卓に座っていたときだ。
もし、両親が生きていたら―――…
きっとこんなマンションか一戸建てに住んでいて、母親の手料理をお腹いっぱい食べていた筈だ。
父親にキャッチボールをしてもらって、一緒にお風呂に入ってもらって。
もしかしたら犬も飼っていたかも知れない。
柔らかな母親の手で撫でられて、温かな父親の手で育まれていたかも知れない。
考え出したらとまらなくなって、悟空は一人で泣いていた。
声は上げずに、涙だけがポトポトと頬を伝って食卓に流れ落ちていた。
「おい」
「…ッ」
やばい。突然掛けられた声に、悟空はとっさに手で涙を拭った。
しまった、気配を感じなかった。
今までの経験から、勝手に部屋を抜け出して良かったことなど一度もない。
ドキドキと逸る鼓動を感じながら、悟空はいつもの笑顔を貼り付けて三蔵へと振り返った。
「ごめんなさい、起こしちゃいましたか?」
「…いや、」
「勝手に部屋から出てごめんなさい。ちょっと寝付けなくて。すぐに部屋に帰ります」
「おい、」
「お休みなさい」
「おい!」
三蔵の苛立ったような声。次いで握られた手に悟空は戸惑った。
「…、三蔵さん?」三蔵の顔を見る。思えば真っ直ぐに三蔵を見つめたのは初めてだったのかも知れない。
なんて綺麗な顔なんだろうと最初に思ったことを悟空はぼんやりと思い出した。
「好きにしろ」
「…え、」
「ここはお前の家だ。勝手に出歩いて悪いことは何もない。好きにしろ」
「……はい」
「居たいのなら好きなだけここにいろ。我慢するな。」
「…………は、い」
「それから敬語はやめろ。」
「……うん、三蔵さん。」
「三蔵でいい」
「三蔵、」
「ああ」
「ありがとう、三蔵」

ぶっきらぼうな言葉が悟空の心に染み込んだ。
好きにしろ、我慢するな。
今まで当然のように我慢をしてきた悟空が、自らの枷を壊された瞬間だった。
救世主だと思った。
この綺麗な人に救われた、と悟空は思った。
今もその気持ちは変わらない。
その夜、悟空は【好きなだけ】三蔵の手を握り、眠りについた。誰かと寝るのは初めてだった悟空は、翌朝凄まじく不機嫌な三蔵に寝相が悪すぎると怒られた。
怒られた筈なのに嬉しくて笑ってしまい、また三蔵に呆れられた。


「おい」
突然背後から声を掛けられ、悟空の肩はあの時と同じく不自然に上下した。
振り向かなくても判る、この独特な低く甘い声は。
「…、さ んぞ」
それでも信じられなくて、目の前の光景が夢で無いことを確かめるように悟空はゆっくり声を上げた。途端に不機嫌そうにに細められる紫暗。
「寝ぼけてんじゃねぇよ、帰るぞ」
「……んで」
「…あ?」
「なんで。俺、嫌われてんじゃねぇの?俺、三蔵にとって厄介者じゃねぇの?」
絞り出すような声で、それでもはっきり悟空は告げた。
たらい回しにされた家で何度も言われた。
“邪魔だ”“お荷物”“厄介者”。
今までの家では、こうして誰かが迎えに来てくれる事なんて有り得なかった。
今まで誰も。三蔵以外は。
じわりと視界が涙で歪んだ。

「…、まぁ、厄介といえば厄介だな。よく食うし、寝相は悪い。」
「……」
「だかな、悟空」
「……」
「あそこはお前の家だ。お前は俺の家族だ。少なくとも俺はそう思っている。」
「…さんぞ」
「帰るぞ」
「…うん!うん…うん、…帰る」
こくこくと頷いた悟空へ、三蔵は静かに右手を差し出した。
おずおずと悟空は差し出された手を握る。優しい、温かい手だった。
初めて守ってもらえると思える手だった。
三蔵を見ると、じっと悟空を見つめていた。曇りのない真っ直ぐな目だった。
優しい紫色が静かに悟空を映し出していた。
途端に凄く恥ずかしくなった悟空は、なんとなく天を仰いだ。
雨はいつの間にか止んで、空には。
「…あ、三蔵見て。虹が出てる」
「ああ」
「帰ろう、三蔵」

虹の下、二人は並んで歩いた。
繋いだ手は離れずに固く握られたまま。





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