冬眠 | ナノ
部屋は静寂に包まれていた。
冷たい寝台と温かいコーヒーカップ。
置き去られたカップから立つ湯気からするに、三蔵が出ていってからまだそれほど時間が経っていないようだ。
もう少し眠ろう。そう思ってより深く布団へと潜り込む。
外気は驚くほど冷たかった。毛布もほしいな、眠りかけた頭の隅っこで少し考える。毛布があれば、凍えることも無いし冷気からだって身を守れる。
たしかまだ旅を続けていた頃。行けども行けども街らしき街に遭遇することはなくて、真夜中を過ぎた頃に嫌々通算3日目の野宿が決定された時のことだ。
吐く息が白かったこと、三蔵が普段より機嫌が悪かったこと、そう、寒かったことをうっすらと覚えている。
誰だって男まみれで凍死など望んでなかったから、たしか焚き火をした。途中で三蔵の煙草がついに切れて、悟浄の煙草を替わりに吸って更に機嫌が悪くなった。
八戒秘蔵のウィスキーも飲んだ。その後に三蔵と反比例するように機嫌が良くなった悟浄が絡んできて、三蔵の銃で脅された。八戒は静かに飲んでいた。
ああ、抱き締められたっけ。不意に思い出す。
あまりに寒くて縮こまっていたら、三蔵が急に抱き締めてきた。他の2人は寝転がっていたから、はたして本当に寝ていたのか寝たふりをしていたのかは分からなかったけど。
「寒いか、猿」
言われた。ウィスキーとハイライトの落ち着かない匂いがする吐息が耳を擽った。
あの時は舞い上がって分かんなかったけど、三蔵は酔ってたんだな。間違いない。
「寒いよ。三蔵だって寒いだろ?」
「ああ。寒い」
なんだよそれ、だから抱き付いてくんのかよ。
酔っていたからだ。寒かったからだ。でもどんな状況を足してもあの三蔵が、寝ているかどうか分からない悟浄と八戒の前で俺を抱き締めるだろうか。

他人にだって俺にだって、きっと誰にだって三蔵は弱さを見せない。
心が強いから弱くない、そんなんじゃなくて、無理して弱い部分を見せまいとしている。強くあろうとしているからだろうと最近思う。
本当の三蔵はそんなに強くない。迷ったり見失ったり、きっと普通にする。
でも見せないだけだ。弱さを見せたら命に繋がる。最たるものはそういう人生を送ってきたからだろうとそう思う。
頼っていいのに。
素直にそう思う。口に出したらハリセンで即座にしばかれそうだけど、でも。
他の誰でも嫌だけど、俺にだけは頼ってくれないかなって思う。頼られるってことは即ち信頼されているって事だ。
三蔵の肩に背負うものが重くて、本当に重たすぎてどうにもならないときは、倒れるより先に俺を呼んで欲しい。
でも三蔵はきっとそれをしない。絶対にしない。
それが三蔵。
いつか倒れはしないだろうか。膝をついても、這いずってでも独りになりたがる。
「寒かったらさ、俺を呼べばいいじゃん」
「…?」
「三蔵がさ、どこに居ても」
「…、」
「俺、行くから。三蔵んトコに。」
「……猿なんか呼ぶか」
「呼ぶ」
「呼ばねぇ」
「嘘だ、」
振り向いて、三蔵を見つめた。真正面から見た三蔵の頬はウィスキーのせいか寒さのせいか赤かった。
そのまま三蔵の頬に吸い寄せられるようにキスした。乾いた唇と乾いた頬がぶつかって、さらさらした感触しかなかった。
共有したいな。もっと深く。素直にそう思って、今度は唇へと口付けた。頬よりも若干冷たいなって程度だった気がする。
体温よりも鼻をつくウィスキーの匂いに俺は目眩がした。
「…呼ばねぇ」
唇を離した途端に消えるような声で告げられた。ああ、そう。
「うん」
「俺は、いや、皆そうだ。誰だって独りで生きて、独りで死ぬ。」
「うん」
「お前だって、」
「…、」
「お前も、そうなんじゃねぇのか?」
うん、正解だけど外れだね。珍しい。三蔵が俺のことで読み違えるなんて。
「俺は、死ぬときは独りだけど、」
「…ああ」
「生きていくときは、生きている時間は全部三蔵と共有したいよ」
「……、」
紫色の眼が見開かれる。ゆっくりと戸惑いに揺れて。
ああ、言うんじゃなかった。即座にそう思ったけれど、もう手遅れだ。
「今も、これからも、この先もずっと」
「…」
「三蔵の、傍に…ん、」
「…ッ」
「ふ…ぅ、…」
それから性急に重ねられた唇と吐息に、俺は次の言葉までも失った。
どうしてかな、三蔵は凄く辛そうな顔をしていた。
三蔵の信念を汚してしまったのだろうか。俺の正直な気持ちだったんだけど。
ただ、重ねられた唇が凄く熱くて。
俺の願いは三蔵だ。
それは年を重ねてもどれだけ時間がたっても決して変わることのない不変の真実だ。
三蔵が許す限り、三蔵の傍で。
出来ることなら三蔵が死ぬ瞬間には、俺もそこで終わりを迎えたい。



「―――――あ?」
頭の芯がぼうっとする。
半分寝ぼけた頭を覚醒に向かわせて、俺は布団の中で身じろいだ。
何時だろうか。差し込む光からするに、まだ朝と昼の真中ぐらいだろうけど、生憎近くに時計がない。
「…起きたか?」
「……ん、」
寝台の傍には三蔵が立っていて、俺を見下ろしていた。
視界の隅に写るカップ。微睡んだ夢を思い出した。
旅。寒い夜と、毛羽立った毛布と、ハイライトの白い吐息とウィスキーと、俺の願いと、三蔵の夢。
そうだ、三蔵が居る。俺の傍にまだ立っている。
あれだけ独りが好きなくせに、何年も飽きずに自分の隣を俺に許してくれている。
他の誰にでもない、俺だけに。そういうのって、なんか、すごく。
「なんかさ、俺」
「あ?」
「すげー、幸せ」
「……、馬鹿か」
馬鹿で結構。比喩したような笑顔を向けたら、溜め息混じりの三蔵が体を重ねてきた。それはもう少し傍に居ることを許してくれるって事かな。言葉にしたくて堪らなくなった。
「俺、居るから。三蔵がうんざりするまで、傍に」
「……上等だ」
互いに笑いあう。その反動で俺の体温を充分に吸った寝台が大袈裟な音を立てて軋んだ。
ちょうど冬眠する生き物の寝言のようで、俺は少し笑った。


end




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