朝焼け心中  




夜半、唐突に目が覚めた。
じんわりと現実が覆いかぶさってくる。頭が徐々に覚醒していく。溜め息を一つ、ゆっくりと吐くと身体を起こした。
突然目が醒めるのは今に始まった事ではない。どちらかというと自分は神経質な部類らしく、風の音が煩いとか気に病むことがあるとか、つまりそういう睡眠を害するものがあれば高確率で目を醒ます性質なのだ。眠りに落ちる直前まで、悟空が壊した仏具の修繕とそれにまつわる交々を考えていたことを思い出した。

西の空に開いた窓を見上げた。星はない。濃紺から黒へと変わるグラデーションが窓枠に縁取られて硝子の向こうに張り付いていた。
随分遠くまで来た。ぼんやりそう思う。
目を閉じれば思い出す、死と隣り合わせで深く考えることは何もない、体が動くままに殺し、食べ、研ぎ澄まされた剣の上を歩くような生活。今の安寧とした生活とは180度違っていた。睡眠が浅くなったのはその生活で培った自己防衛機能の粋なのだろう。
何気なく目を落とす。布団から出て幾分冷えた両手をそのまま握りしめた。未だ経文の在り処は分からない。目的はまだ果たせていない。なのに、それなのに。
ーーー穢れきったこの両手はどうだ。

「…さんぞ?」
暗闇から声が響いた。はっと顔を上げ、力を入れすぎていた両手を解いた。手のひらに爪のあとが滲んでいた。痛みに構わず隣の寝台へ目を遣る。布団の小さな膨らみがモゾリと動いた。布団の隙間から悟空が顔をのぞかせた。半分寝ているような、寝ぼけた目をしていた。
「…起きたのか」
「うん、三蔵も?」
「…」
何かを話す気にはとてもなれなくて、三蔵は目だけで「これ以上喋るな、寝ろ」と釘をさす。悟空は敏い。常ならばそれだけで三蔵の意図を汲み、ほぼほぼその通りに動くのに、今日に限って従おうとはしなかった。
それどころか、さっきまで半ば眠りの中にいたように微睡んでいた目が、徐々にしっかりとした光を湛えていった。そうして音もなく寝台から降りた。
便所か。そう己の中で納得して身体を横たえた。もう少し眠る時間はあるはずだ。先刻の夢の軌跡を辿っていく。ゆっくりと思考が夢の淵に沈み込んでいった。その時。
トン、と身体に衝撃を感じた。次いで横たわっている寝台がギジリと揺れる。驚いて身体を起こすと、悟空が横に滑り込んでいた。
「おい…!コラ猿!寝ぼけてんじゃねぇよ!」
急いで悟空の身体を揺らす。しかしもうすでに彼は深い眠りに入り込んでいるらしく、うんともすんとも言わない。おまけに暖かさを求めて三蔵の腰に腕を回してモゾモゾと人の布団に潜り込む。
「オイ!」
容赦なく拳で叩く。しかし、もう既に眠りに落ちた小猿には効かない。より一層腕に力を込めてきた。こうなってしまってはもうどうしようもない。
「…くそ」
鬱陶しい。もともと他人と触れ合うことは好まない。それこそ誰かと同衾するなんて死んでも御免だ。悟空が三蔵の寝室で就寝しているのだって、三蔵なりの最大の譲歩なのだ。
もう起きてしまおう。少し寒いが、こうして寝台に括り付けられているより100倍マシだ。そう決意しておなざりに布団を捲ると、腰に巻きついている悟空の腕がぐっと力を増した。まるで三蔵が寝台から抜け出ようとしているのを敏感に察してそれを止めるように。「…オイ、いい加減にしろよ」
もう5発ほど殴ってやろう、そうごちて悟空の頭まで布団を捲る。シーツの上に流れるようにバサリと広がった茶色の髪を掻き分けて、三蔵の太ももへ顔を擦り付けている彼の頭を乱暴にグイと上向かせた。すると。
「ーーーー…」
ふんわりと悟空が微笑んだ。きっと寝ぼけていたに違いない。そうは思うのに、思わず殴りつけようとした手が止まった。ほんのついさっきまで、例えば靴の中に入った小石のように鬱陶しい存在だったのに、今この瞬間に不思議なくらいその苛々が消え去った。悟空の笑顔なんてそれこそ何度も見たことはある。なのに、今までは一端の景色だった筈のその微笑みが、生き生きとして新鮮に見えた。
なんだ。これはなんだ。三蔵は自問する。
悟空の中にある何かが、三蔵の心を取り留めもなく、しかし執拗にそそった。そんな小さな疼きを植え付けておいて、元凶の猿はスヤスヤと眠っている。その顔をじっと見つめた。いつもはキラキラ輝いている金の眼は、今は薄いまぶたで姿を隠している。時々睫毛がひくりと動く。ふっくらしたその唇は、どんな感触がするだろうか。
指で触れたら?
空いた手を伸ばし、その薄い桃色の表面をそっと撫でる。柔らかい。温かい。そうしているうちに段々目をそらすことができなくなっていく。
ーーー唇で触れたら?
おかしい。莫迦げている。もしも唇で触れてしまったら、きっともう後戻りはできない。もやもやと形になってない想いにハッキリと輪郭が結ばれてしまう。違う。有り得ない。
なのに、どうしようもなく触れたい。柔らかい唇を食みたい。
衝動はすぐそこまで迫っている。
押し進むことも戻ることも、今の三蔵にはどちらも遠くに感じる。ただ腕にかかる悟空の重さだけがクリアだった。
滑り落ちるのは、もうすぐかもしれない。




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