神のこどもはみな眠る | ナノ





春がきた。
そう告げていかにも嬉しそうににっこりと笑った悟空を見て、三蔵は溜息をついた。
悟空を塞ぎ込ませていた冬は緩やかに去り、暖かい春がやってきたのだ。
毎春花粉症に悩まされている三蔵としては手放しで喜べる事でもなかった。しかし、破顔する悟空を見て心が動かされてしまった事も事実。どうもこの小猿に絆されきってしまっている。決して態度や表情には出さないが、彼の一挙一動に心を縛られている。
どうしたものかと溜息をもうひとつついて、どうしようもないかと諦めた。考えてどうにかなることならばとっくにどうにかなっている。とすれば考えるだけ無駄ということに他ならない。ニコニコと嬉しそうにまとわりつく悟空の頭を撫でてそう結論付けた。

「もうすぐ誕生日か」

にべもなく告げる。すると悟空は先程とはまた違った笑顔を見せた。
花が綻ぶような、本当に嬉しいーーーとでも言わんばかりの笑顔。彼の笑顔には種類がある。器用なものだとそう思う。
煙草を取り出して火をつけた。何か日常を反芻しないと、とんでもなく愚かな事をしでかしてしまいそうだ。

「何が欲しい」
「一日一緒に居たい」

すっかり毒気も抜かれた。三蔵は自分の手をしばらく眺め、煙草から立ち上る煙を見つめた。それから言った。
「しょうがねぇな」

本当はちっともしょうがなくなかった。
そして今日、4月5日。
彼の望みのまま、三蔵は休みをとった。何がしたい、と聞くと悟空は出掛けたいと言った。
どこに行こう、まるで悪巧みのように二人で声を落とす。遠くに行きたいと悟空が言った。冷静に考えて車がない。そして休日は今日だけということも加味して、寺院の裏手の山へ出掛けることに落ち着いた。遠くへはまた今度な、と言うと、彼は残念がるどころか次の約束を取り付けたと笑った。
そんな風に笑うから。だから心を攫われるのだ。結局常の鋭さも冷たさも持ち合わせていない「そうかよ」という言葉だけが口の端からぽろりと零れた。
出発は昼前になった。
悟空が途中で腹を減らしてもいいように厨房に申し出て弁当を作らせて、それを片手に二人寺院を後にした。

「俺、すげー楽しい!」

そう言って走り出す悟空の背を見て、改めて時間を割いて良かったかもしれないとごちた。
山は新緑に溢れ、其処彼処から命の息吹が聞こえるようだった。ひとつひとつ、確かめるように悟空は花や葉を見つめた。あまりにも足を止めるものだから、三蔵が置いて行くぞと怒鳴ったのも数回のことではない。
程なくして二人は山頂に辿り着いた。
そこは開けていて、眼下には寺院も街も一望できた。しばらく悟空と景色を楽しみ、頃合いを図ったように鳴り出した腹と空腹を訴える悟空の口に弁当を押し込んだ。
がっつく悟空とは対照的にゆったりと昼食を摂って、食後の一服を堪能している三蔵は、ふと悟空がじっと立ち尽くしていることに気付いた。
何をしているのだろうか。悟空の目線の先には真っ白の花をつけた木蓮があった。丁度背丈は悟空の頭一つ大きい位の木だった。手を伸ばせば容易に触る事が出来る位置に、零れんばかりに花をつけている、白木蓮ーーーー。
悟空は目の前の花を表情の無い目でひとしきり眺めていた。珍しい、そう思った。あんなにくるくると表情が変わる子供なのに。それに今までの経験から言って綺麗なものは貪欲に欲しがる傾向にある。にも関わらず、欲しがるでもなく喋るでもなく彼はじっと白い花びらが揺れるのを見ていた。

「…悟空?」

三蔵はどことなく乾燥した声で言った。普段ならばそんな三蔵の声に敏感に反応するのに、悟空はピクリとも動かない。まるでテレビ画面の向こう側に話しかけているようだ。こちらの動きは何か見えない壁に阻まれて届かない。
じわりと足元からえも言えぬ感情が湧き上がる。
ふと、悟空が動いた。
彼の目の前で揺れている木蓮の花をひとつ、恐る恐る撫でた。
壊れないように、壊してしまわないように。思いを巡らせて行為に移したような、ひどく頼りない手元だった。
ーーーこんな悟空は知らない。足元に湧き上がった感情は、今やすっかり大きく形造って三蔵へと乗し掛かってきた。
彼を止めなくては。このままでは悟空は何処か三蔵の知らないところへと消え去ってしまうのではないかと思った。
その時。

「こん…ぜん…」

悟空は虚ろに呟き、撫でていた花に口付けた。その瞬間、三蔵は弾かれたように地面を蹴り走り出した。

「悟空!!」

その勢いのまま悟空と木蓮の間に割って入り、悟空の頬を乱暴に掴み、視線を合わせる。
飲み込まれそうな深い金色がそこにあった。何者をも寄せ付けない神の色ーーーーサッと冷たいものが背を伝う。

「悟空!しっかりしろ!湧いてんじゃねぇ!」
「…こん、ぜ」

悟空はどこかぼんやりと言った。その目は三蔵を映していない。
何を言っているのだ。目の前にいるのは三蔵だ。三蔵の他には誰もいない。誰もーーー。
三蔵は振り返った。そこには白い花を揺らせる木蓮が静かに咲き誇っていた。何か目に見えない力が働いて、悟空を縛っているのはこれに違いない。
カッと頭に血が上った。断りもなく誰に何をしやがったんだ、この木は。妖気のようなものは感じなかったし、本当に何が起こったのか分からなかった。
ーーーー意識を逸らさなくては。
悟空に向き直ると、その身体を力一杯抱き締めた。
木蓮の花も空も何もかも見えないように、己の法衣で包む。その上から手のひらで目蓋を覆った。そしてゆっくり耳元で囁く。

「ーーー悟空、悟空。」
「………ん、」

ゆっくり、ゆっくり、何度も。
悟空の中に浸透させるように、ひとつずつ。言葉を紡ぐ。

「悟空、悟空…悟空」
「…んぞ、 ぞう」
「悟空…悟空」
「さん ぞう 、三蔵」
「悟空。分かるか?」
「三蔵……、あれ、三蔵?何?」

ほっと、三蔵は知らずに強張っていた身体の力を抜く。そのまま、脱力しきって悟空へと上半身を預けた。
すっかり自分を取り戻した悟空は狼狽した。何が何だかわからない、そんなところだった。
確か二人で弁当を食べていたはず。それから…それから、どうした?すっぽりとそこからの記憶が抜け落ちて、三蔵に抱き締められている。しかも目には三蔵の手が覆われていて、辺りを伺うこともできない。躊躇いがちに三蔵を呼ぶ。

「えっと…三蔵?」
「お前、」

何かを思い出したのか。

三蔵は言葉を飲み込んだ。あの悟空の様子、木蓮を見ていた切なげな目。意識を失っても尚、呼び続ける事が出来る相手が、悟空には居るのではないだろうか。
思い出させると、もしかしたら悟空は三蔵の元を離れていくのではないだろうか。
ーーーーーゾッとする。
乗し掛かるものの正体は不安だった。明確な形をもったそれに途轍もなく揺さぶられる。
いつか、いつか悟空が全てを思い出すかもしれない。もしかしたらこの手を離すかもしれない。その時に、己はどうするのだろう。

「何?俺なんか変なことした?」
「いや…何でもない。」

そう、何でもない。何でもないのだ。
彼が思い出す前に何度もこうして踏み躙ればいいのだ。その目を閉じさせて、耳を塞いで、彼が自分だけを想うようにしてしまえばいい。それを悟空が望むとも望まなくとも、三蔵はそれだけのことが出来得るのだ。

「…帰るぞ。」

身体を離して、悟空の手を引いた。
二度とあの木を彼の目に入れないように。
この感情は、愛情のより深いところにある、奥行きの深いものだと思う。他の何物にも変えることは出来ないものだとそう思う。

悟空の手を強く握る。柔らかなその手を別の誰かが引いていたのだろうか。
三蔵は黙念する。
その誰かは、今この瞬間には居ない。悟空の手を引いているのは己であって、この手を離すつもりはさらさらない。それが誰で有っても。
ちらりと振り返ると、木蓮が一斉に花を散らせていた。丁度いい。切り倒す手間が省けた。
ーーーーー誰にも渡さない。三蔵は強く思った。

その晩、執拗に攻められて意識を手放した悟空の項に、三蔵はきつく跡を付けた。毎日ひとつずつ、これを施す事によって、身体のどこかで三蔵を感じ続けることができるように。或いは身体の深いところで。

木蓮の花は、それから一度も見ることはなかった。






2014年悟空生誕記念。





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