ハル03 | ナノ





まわり道





小日向かなでは軒下でぼんやりと座っていた。水嶋神社の境内は、お祭りを除いては普段酷く静かだ。特に平日の午後ともなれば参拝客の姿もまばらで、車道からも遠いせいか、車の排気音もほとんど聞こえない。時々木々が風に吹かれてざわめき、鳴く鳥の声がきこえる程度。
なんとなく外界から離れたこの場所では、夏のじめじめした空気も、流れる風のお陰でたいして気にならない。
いいところだなあと思いながら足をぶらぶらさせていると、不意に横からはしたないですよと声がかかった。
振り向くとハルが麦茶の入ったグラスを手に仏頂面でこちらをみている。
「ごめんね、でも気持ちよかったから」
つい、と笑うかなでにハルはやれやれとため息をついた。かなではいつまでたっても子供みたいに純真だなと思う。
グラスを渡すとありがとうといってかなでがまた笑った。
「横に座っても?」
「どうぞ、どうぞ…ってここはハルくんの実家じゃない」
私に許可を求めてどうするのと笑うかなでにハルもまた苦笑する。
よいしょと境内の張り出した床に腰をかけると、涼しい風が舞い込んで、そのここちよさに目を細めた。
「ね、ぶらぶらさせたくなるでしょ?」
「ぶらぶらはしません」
悪戯っぽく笑うかなでにハルはもう大人なんですからという。
そう、大人だ。
かなでもハルも、高校を卒業し、大学を卒業し、社会人ももう三年目にはいろうとしている。
そろそろけじめをつけるべきかと、大学に通いはじめてから足が遠退いていた実家にこうして二人顔をだした。
父も母も幾分老けてはいたが、元気に二人を迎えてくれたのだが。
「おばあちゃん、元気なかったね」
「…年ですから」
しみじみというかなでにハルはどうしようもない現実を口にした。
ハルの祖母はもう齢にして80を越えている。まだまだ元気だとはいえ、老だけは防ぐことはできないのだろう。
しばらく離れてみて驚くほど祖母が小さくなったことにハルはショックを隠せなかった。
そして、同時に時間が限られたものであることも再認識して、あらためて二人の関係にけじめをつけようと思う。
つまりは―――
「かなでさん」
「?どうしたの、ハルくん」
不意に真剣な声で名前を呼ばれ、かなでは不思議そうに小首を傾げた。
ハルはしばらく沈黙したあと、ゆっくりとかなでに向き直って口を開く。
「結婚、しませんか?」
「っ!」
ハルの言葉にかなでが大きく目を見開いた。先程まで麦茶を飲んでいたはずなのに、喉がからからに乾く。
結婚、とかなでは小さく言葉を繰り返した。結婚。確かに二人はもうそういう時期まで来ている。
嬉しい。だが、その反面不安があった。

わたし、わたしは―――

かなでは何か言おうと口を開き、そこで不意に動きを止めた。普段からまん丸な目がさらに丸く見開かれる。
視線がハルの後ろを見ている。不思議に思い、ハルもまたかなでの視線を追ってぴたりと動きを止めた。
二人の視線の先には懐かしいオレンジ色の頭がある。その人物は境内の端のほうでほんの少し顔を覗かせて、それから困ったような笑顔を浮かべてハルに向かって手を振った。
「新」
随分あっていない間にひょろ長かった体はそれなりの筋力をみにつけたらしく、高校時代よりも随分逞しくなったいとこにハルは声をかけた。
新、こと水嶋新は一瞬きまりが悪そうな顔をしてごめんねと舌を出す。
「ばあちゃんにあったらさ、ハルちゃんが彼女をつれて来てるっていうから」
きくつもりなんてなかったんだよとおどけながら近寄ってきた新に、ハルはこめかみを押さえた。
果たして彼の台詞はどこまでが本気だろうか。
なにしろ、彼もまた高校時代かなでのことが好きだったのだ。今だって憎からず思っているのは明白である。
対するかなでは新の言葉を見事に鵜呑みにして笑った。
「いいの、それより新くん大きくなったね、高校のときも大きかったけどまだ伸びたんだね、身長」
「うん。あれからもう少し伸びたよ。それよりかなでちゃんこそ、綺麗になったよ!バイオリニストととしても有名だし、凄いよね。俺この間のコンサートのチケット取れなかったんだから」
「ふふ、新くんたら。まだまだ駆け出しだよ。皆物珍しさでくるだけ」
そういって謙遜したかなでに新はそんなことないよ、と返した。実際かなではいま新鋭のバイオリニストとして脚光を浴びている。テレビで、雑誌で、広告で。ハル自身、彼女の姿を連日あらゆる媒体で目にすることが多くなった。それは彼女の実力が確かだと言う証拠で、だからこそ不安になる。彼女がどこか遠くの人になってしまいそうで。早く手を掴まなければ、捕まえておかなければどこか遠くまで羽ばたいていきそうで。そういう意味でも結婚を申し込んだのだが―――
「本当に綺麗になったよ」
ハルの考えを読んだように新があらためてそういって、それからふと真面目な顔になってかなでとハルを交互にみた。
「かなでちゃんはまだまだ伸びるよ、日本だけじゃなくってきっと世界でも通用する。だからさ」
「?」
「結婚、もうちょっと待ったほうがいいと思うんだ」
「新っ」
とんでもない事を言い出した新の胸倉をハルは咄嗟に掴んだ。ハルも高校時代よりはずっと身長が伸びたが、新はそれよりもまだ高い。自然見上げるような形になって、それでもきっと睨みつけると新が大きく息を吐いた。それから昔よりもずっと大人びた目でハルを見下ろすと、ゆっくり口を開く。
「ハル、何をそんなに急いでるの?そんなに急いでかなでちゃんの可能性を潰すの?それがハルちゃんがやりたいこと?」
「新、俺は」
「かなでちゃんには可能性がある。でも結婚したらそれが足枷になる」
「そんなのは俺達が決めることであって!」
「いちファンからの忠告だよ。かなでちゃんは世界にいける。でも今のハルちゃんじゃ、かなでちゃんの足枷になる」
「っ!」
はっきりとそういわれて、ハルは頭をがんと殴られたような気がした。
ぐらりと視界が揺れて、体がふらつく。かなでが慌てて立ち上がってそれを支えた。
「は、ハルくん大丈夫?」
「あ、はい」
大丈夫だと言おうとして、ハルは言葉に詰まった。かなでの視線がひどく悲しげだ。まるで新たの言葉が事実だといわんばかりの目に一抹の不安が過ぎる。支えてくれる彼女の手を振り払って、ハルはかなでの細い肩を掴んだ。
「かなでさんは・・・結婚したくない?」
「そ、それは」
今度はかなでが言葉につまる。結婚したいかどうかといわれれば断然したいに決まっている。ハルのことが好きだし、ハル以外のお嫁さんになることも考えられない。
でも、とかなでは視線を新に向けた。
新が言ったこと。それはかなでが一度でいいから試してみたいことでもあった。音楽で世界に行く。でも、それには自由な体が必要だ。少なからず束縛される結婚は足枷になる。
「わ、わたしは―――」
戸惑って動かなくなったかなでにハルは唇をかみ締めた。このままかなでを無理やり頷かせても、いい結果にはならない気がする。
どくんと心臓が嫌な音をたてた。
このままかなでは夢のために別れを切り出すかもしれない。そう思うとどんどん思考が真っ暗になる。何もこたえないかなで。苛立ちが募る。
どうしてそんなことないよ、といってくれないんだろう。ハルくんと結婚するのが一番だよといってくれないのだろう。彼女にとって俺は一番ではないのだろうか。
ぐるぐるぐるぐると思考が回って、どんどんどんどん澱みを増していく。とうとう汚泥のように汚い感情が溢れて、耐え切れなくなったようにハルはかなでの肩を突き飛ばした。その衝撃でかなでは数歩たたらを踏んで後ろむきに倒れる。
「きゃっ」
「わ、かなでちゃん」
それを慌てて新たが抱き起こして、それがまたハルの癇にさわった。
もはや自制が聞かなくなって、ハルは衝動のままに言葉を発する。
「わかれましょう、かなでさんがやりたいこと、やればいいんじゃないんですか」
そのためには俺が足枷になるようだし、とハルは一気に捲くし立てて、じゃあとその場を離れた。かなでは暫く呆然とハルの背中を見ていたが、言われた意味を理解すると同時に一気に涙腺が崩壊する。
「ハルくんっハルくんやだっやだよぅっ別れるなんてやだよっ」
泣きながら立ち上がってかなではハルの背中にしがみついた。そんなのやだと泣くかなでをハルは一瞥して振りほどく。
「あなたには音楽が一番なんだろっ」
「っ!」
叩きつけるようなその言葉にかなでは大きく目を見開いた。泣いたせいで痛々しく晴れ上がったかなでの目をハルは見ていられなくなって眼をそらす。再びかなでの肩を押しのけて、ハルはその場を去った。
かなではもうすがり付いてはこなかった。



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