心臓のかたちがわかるくらいに、きゅうと締め付けられている気がした。 手のひら、指の行く先を、予測する勇気が足りない。まっすぐに両の眼を射る黒目が、いつもより動物めいている気がする。ぎらぎらと、部屋の少ない明かりをかき集めて取り込んでいる。酸素が足りない。ここは宇宙だったのかもしれないと思ってしまうくらいは。いつも見慣れた自分の部屋のはずなのにとんでもなく居心地が悪い。 ついさっきまで、珍しく同期の男連中がうちに来てくれて浮かれていた。いつも自分一人しかいないこの家に自分以外の人の気配があること自体が特別で、なんでもないことをしているだけなのに不意に頬が緩むくらいは。どうしてシカマルだけが居残ったのだったか、「めんどくせえ」と言いながらごみやら空き缶やらが散らばった部屋でごみ袋を準備してくれた背中は覚えている。ああ、そうだ、じゃんけんで負けたシカマルが片付けを手伝ってくれると、そんな運びになったのだったか。そんなことを思い返していると、左頬に触れていたシカマルの神経質そうな指先が、するりと顎の付け根をなぞって、一気に現実へと帰る。 「なんで、なんも言わねーの」 「言っとくけど、一ミリも酔っぱらってねーからな」 そう告げたくちびるの動きから目線を外せなかった。 それってどういう意味? 自意識過剰はごめんだった。わざとそんな風にするのはよくあるけれど、冗談を言えるような空気でないのは肌で感じる。頬を伝った指の軌道が、ペンで書かれたくらい確かに覚えてしまっている。閉じることを忘れていたくちびるが痺れてきた。口にたまった唾液をごくり、飲み込む。 「だめ?」 ひどく自信のなさそうな声だった。それでも鼓膜を通すと余計に現実味を帯びない。確かにそう言っているはずなのに、どうして。シーツを握る手が、感覚を失う。一定の距離を保っていたシカマルの顔がわずかに近付く。短い睫毛の際、少しだけ震えた。 「苦しい、」 「嫌いだからとかじゃねーよ、ほんと、だから、むしろ」 次の言葉を見失うシカマルなんて、見たことがない。ああ、だとか、そんな声を捻り出して、少しうつむく。鼻筋が通ったシカマルの皮膚は乾燥ぎみでかさついていた。泣き出しそうな目元と、紅潮する目尻。自分はいったいどんな顔をしているのだろうか。 「お前はさ、違うの」 そう言ったあと答えを求めるように泳いだ瞳が俺の目線をひらりと捕まえた。違う?なにが、どう?自分の頭のなかで答えを探して迷子になった。何をどんなかたちで返せばいいか、消化しきれず膨張する。 「例えばさ、触りたいとか」 「キス、したいとか」 「そういうの、ない?俺は、」 ゆっくりと、難しい説明をするように紡ぐのは聞きなれないものだった。生憎、そういうのとは縁遠い生活だったのだけれど、シカマルは違ったのだろうか。ふとそう考えた途端にふつふつと、胸の奥が熱くなる。落ち着かない心臓の、血管が開いたような、勢いを増す血液の流れを感じる。 「顔、赤い」 自分の頬が火照るのを自覚せざるを得ない、シカマルの冷たい指先が耳を掠めて肩を震わせた。そのようすをしっかりと見つめていた、さっきまではほのかに怯えていたような目が色をかえる。くちびるがうっすら開いて、閉じる。シカマルが切り出そうとした言葉を捕まえようとしている自分の、心のありかはどこだろうか。 「なあ、」 いっとう甘い音で、そう言った。明確な答えを出さない理由はなんだろうか。拒絶されることの恐怖感は確かに覚えがあるけれど、それに似ているのだろうか。 思っていたよりも硬い親指の先、下唇の真ん中を捕まえてうっすらと開いたそこに、シカマルの薄いくちびるか近付く。残り数センチのまどろっこしさ、重なる視線の先、混じりあって溶けそうだ。見ていられない黒を、遮るようにまぶたを下ろす。 「…すき」 かすれた声でそう告げた、シカマルの息が口元を撫でた。とうとう言葉をなくした自分の、役立たずな薄い皮膚が塞がれてシカマルの体温が伝う。指先とはまるで違う、熱いくらいの粘膜。長く感じたけれどきっと一瞬。それでも離れたあとも、延々と温かさが離れなかった。 「いい?」 うなずくことさえできない俺の気持ちは、きっと掴まれてしまっている。悪くない、むしろ。重く痺れた指の先、精一杯振り絞って口元に置かれたままの薄い手の甲に触れた。 無言は同意とみなします 素敵な企画さまに提出いたします。 シカナルよ永遠に! はなちる*ちとせ |