B
早くも――いや、最初から、つまり神夜が襲われるずっと前の事から考えると、遅すぎたくらいなのだが、ともかく、事態はもう秘密裏には動かせなかった。
翌日、それでも高等部のみだったのだが、月とアディの事が知れ渡っていた。
ただし、そこは守の計らいがあったのか、事実とは少し違う形で。
2人が何者かに襲われて、意識不明の状態である、と。
校外には知れていないのが、学校にとっては幸いと言えた。
勿論保護者には迅速に説明しなければならないのだが、それは理事長、校長、担任、あるいは守のすべき事であり、ただの一生徒である神夜にはさほど関係のないことだった。
いや、面識が無いと言えば嘘になる。
しかし、この犯人を一刻も早く指摘する事こそ、今の神夜にとっては一番大事な事柄だった。
そうすることが、2人が一番望んでいることだろうと神夜は確信していた。
無論、そのつもりである。
神楽は2人の姿を見て、神夜に告げた。
「なあ…これが一体どういう事なのか、おれは皆目見当もつかないけれど、それでも、なんていうか…この事件を解くべきなのは神夜、おまえだよ。そんな気がする。勿論…サポートは惜しみ無くしてあげるよ。だから安心して、全力でいけよ」
そう言われて、立ち止まれる訳がない。
それから神夜は歩き回っていた。
聞き込み、張り込み、等など…神楽の盗聴器まで駆使して、至るところから情報を集めた。
結果、手に入れた大きな情報は、ない。
広い体育倉庫の真ん中で、神夜は舌打ちをした。
何かあるかと思って来てみたは良いが、何もないのでは意味がない。いくら眺めようとも、目の前に広がるのは、いつもと同じ風景だった。
暫くそこを観察していた神夜は、しかし、倉庫を出ようとして気がついた。
おかしい。
おかしい、おかしい、ありえない。
何故――『何も無い』のだろうか?
人が死んだ現場で、血の跡も、髪の毛の一本すら無いなんて。
犯人が掃除した?
個人部屋の掃除用具を使うには、時間がないだろう。
アディはあれで格闘技が得意なのだ、簡単にやられた訳は無い。まず逃げるだろうしな。
アディが月にメールをして、俺達が見つけるまで多くても2時間。
寮に戻ってまですべてを終わらせるには困難だろう。
しかし、倉庫の掃除用具入れは見える所には無く、一定の人間しか場所を知らないのだ。
それは何故かは知らないが、月は確か、伝統みたいなものだ、と言っていたような気がする。
『「伝統みたいなものなの。よくは分からないんだけど、知っているのは生徒の中では各運動部員の副部長だけね。見た目が悪いからかしら―――それも、体育館を使う部活の。それとそうね、神楽も多分知ってるわ。彼の事だもの、きっと隅々まで探索しきったでしょうし…後は…まぁ、会長くらいかしら。知っているかは分からないけれど、知っていてもおかしくはないわね。掃除をするのは副部長達だから、問題はないんだけど」』
頭の中でいつかに聞いた月の声を再生した。
痛んだ胸には気付かないふりをして、もう一度床を見る。
何も無い。
完璧すぎる位に―――何も無い。
容疑者は、絞られた。
もう少しだ。
神夜は胸のうちでそう呟いて、そこを離れた。
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目が覚めた時、守は生徒会室にいた。
また机で眠ってしまったらしい、知らぬ間に随分時間が経っているようだ。
携帯で時間を確認し、[29]と書かれた日めくりカレンダーを破る。
それから自分用の紅茶をいれて、高級感溢れる生徒会長専用の椅子に座り直した。
おかしいのは、と守は考えた。
一気に2人、被害に遭った事である。
自分が神夜に話をしようとした矢先に神夜が襲われ、翌日になり、2人の被害者が出た。
次は――いや、次があるとすれば、3人の被害者が出るのだろうか?
それとも1人か、2人なのか…
そこまで考えて、月城月の死体を自分は見ていないことに気が付いた。
レオン・レイモンドが発見し、一番に神夜にそれが報告され、自分が見に行った時には既に保健室は閉鎖されていた。
少し様子を見に行ってみるのも良いかもしれない、と立ち上がったその時、生徒会室のドアが勢いよく開いた。
「先輩…っ」
そこにいたのは、椿神夜――なんだかずいぶんと息を切らしている。
「椿さん…?」
「は、春斗が…っ血まみれで…!」
聞くやいなや守は駆け出していた。
すぐに神夜も走り出して守の前に出る。
「こっち、だから」
急ぎたいだろうに守の速度に合わせる神夜に、守も出来るだけスピードを上げた。
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中庭の池の横に、春斗は横たわっていた。
守はそれを見て春斗の隣に膝をつき、髪や服が濡れているのに気が付いた。
「俺が見つけた時は、池の上に…だからまず引き上げたんだ、けど」
守は神夜の言葉を聞きながら、春斗の身体に手を伸ばした。
ひやりとした感覚が指の先から刺してくるようだ。
少し観察して、全部で5つの殴打の痕と切られたような傷を見つけた。
殴打の痕の4つは紫色に変色していたが、頭にある1つだけは、切れたのだろう、血がついている。
「…乱闘…したようですね」
「…春斗は強い…、こんなこと、絶対に難しい筈なのに」
簡単だったとしてもこんな事をする奴は狂ってる、と神夜は呟いた。
一方守は疑問の方が大きかった。
何故彼は池に放り込まれていたのだろうか?
そんなことをしたからって何かのカモフラージュにはならないだろうに、わざわざ死体を持ち上げて池に入れるなんて―――と。
神夜は守と春斗を見つめ、これからのことを考えて、そして気が付いた。
これは『今日』の1人目だ、と。
神夜も守と同じ疑問を抱いていたのだ――2人目があるにしろないにしろ、注意を喚起する必要がある。
「放送室に行かねぇと」
神夜がそう言うと守も頷き、放送室へと足を運んだ。
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放送室には鍵が掛かっていた。
神夜が急いで事務室に走り、その距離のためにたっぷり3分半かけて鍵を手に放送室に来て、やっとのことで扉を開けて――2人は硬直した。
その椅子の上で、ナイフを手にしたレオン・レイモンドが、手首から血を流していたからだ。
「レオン!?」
「先生!」
暫し放心状態になっていた2人は、はっとしてレオンに駆け寄った。
しかし、お互いにもう分かっていた。
これが2人目である、と。
神夜はそのままマイクで事態を放送した。勿論、死んだ、とは言わなかった。
各自部屋に戻るように、ルームメイトが戻らない場合は内線で生徒会に報告するように。
教師は3人以上で組んで校内を見回るように頼み、それから神楽にメールをした。
守はその間にレオンの身体を調べていた。
左手首にある切り傷、手首から床に流れた血液、右手にあるナイフ―――それらを観察して、神夜に目配せをして立ち上がった。
「おかしいですよね」
「ああ、理解出来ねぇ」
それから部屋を出て、静まり返った廊下で2人は話しはじめた。
「全く…今までとは違います」
「俺もそう思った…違和感がありすぎる」
「ええ――何故、彼は――自殺を?」
自殺。
今までとはかなり異質な事件である。
しかし、自殺、という単語が守の口から出るのは当然の事だった。
右手にナイフ、左手首に切り傷、扉には鍵。
誰だって、自然にそう考えるだろう。
神夜は首を振って答えた。
「わかんねぇよ」
「ええ…そうですよね。…理由をつけるとすれば、先生が犯人だったとか…でも…」
「釈然としねぇ、…よな」
守が神夜の言葉に頷き、顎に手を当てて神夜に聞いた。
「愉快犯にしろ確信犯にしろ、一切の動機も何もわかりません。今ここで、ああなっている理由も。…神夜さん、…何か…分かりますか?」
神夜は黙ったまま首を振った。
「…いいや、俺には何も。…ただ、」
「ただ?」
「レオンは犯人じゃない。それだけは確信できる」
「……成る程、そうですか…分かりました。…僕は施錠して生徒会室に戻りますが、貴方は?」
「もう少し校内を見て回ろうと思う」
「そうですか。くれぐれもお気をつけて」
「先輩も、…やっぱ送る。先輩、弱いし」
「…確かにそうですけど…いえ、分かりました。それではお言葉に甘えましょう」
守が扉に鍵をかけて、2人でそれを確認する。
生徒会室についた時、守は神夜に言った。
「神夜さん。僕は貴方を信用していますよ」
にこりと笑って部屋の中に消えた守に、神夜は呟いた。
「俺も――信じてんぜ、先輩」
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