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その時、神夜は静まり返った廊下を歩いていた。
とっくに消灯時間の23時半は過ぎていたが、神夜にも理由はあった。
守に呼び出されていたのだ。
その日の夕方、生徒会も終わり、さぁ自室に帰ろうというときに、「椿さん、申し訳ないのですが、今夜消灯時間が過ぎてから此処に来て頂けますか?お話したいことがあるので」と、言われた。
丁寧語であるにも関わらず高圧的なその態度に反抗する理由はなく、返事はしなかったものの、無視をするには至らなかった。
という訳で、23時45分。
暗い廊下もどうってことはない。
もう何回も通っているし、そろそろ夜目にも慣れてきた。
暗闇にも臆する事無くスタスタと歩く神夜は、しかし、気付いていなかった。
後ろから忍び寄る影の存在に。
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約15分後の0時丁度。
3月の29日だった。
守は大変に驚いていた。
自分の呼び出した神夜が、頭から血を流していたのだから。
「…え、っと」
「あー、いや、大丈夫。そんな派手な怪我じゃねぇし、もう血も止まってる。けど、話の前にちょっと、そこの水道で洗ってきて良いか?」
「え、はい、それはまぁ…いえ、僕が傷を見ましょうか?救急箱もありますし、」
「大丈夫」
言うなり、神夜はさっさと生徒会室に備え付けられている給湯室へと向かった。
あまりにそっけないが、自分が襲われてしまったことへの羞恥からなのだろう、と守は考えた。仮にも総長たる自分が頭から流血している姿は、そりゃあ見られて楽しいものでもないだろう。
そして約3分後。
タオルを首にかけて戻ってきた神夜の頭には、全く赤は無かった。
「…大丈夫ですか?」
「ああ。もうあんまし痛みもないし」
「にしても、一体誰に…」
「見てねぇんだよ、…気を失って」
「そうですか…いえ、それも仕方が無いでしょう…しかし椿さん、お話というのは、それに関連しているかもしれません」
「は?」
言いながらデスクに座った守に合わせ、神夜も適当な椅子に座った。
守は眼鏡を指で押し上げ、話を続ける。
「実は最近、よくあるみたいで…一人でいるときに、何者かに襲われる、ということが」
「んなこと、初めて聞いた」
「えぇ、被害者やその友人には、僕と理事長が口止めをしているんです。あまり大事になると、その…色々と、大変になるので」
「……隠蔽、してたのか」
「勿論、それなりの対処はしています。警備員を増やし、廊下などに監視カメラも何台か設置しました。しかし夜にこんな事が起こるなんて…、すみません。僕の責任です」
そう言って、守は目を伏せた。
神夜はため息をひとつだけして、口を開く。
「…別に先輩が悪い訳じゃねぇ。隠蔽してたってのは、気に入らねぇけど…それで、その話を俺に話した理由は?」
「ええ。椿さん、ないしは椿さん達4人にお願いがあるのです。というのも、この犯人を特定して頂きたいのです。捕まえるに至らなくても結構です、何か手がかりを見つけるだけでも…それも、秘密裏に」
「あんまり、気分の良い仕事じゃねぇな」
「それは承知の上です。しかし、そうでもして頂かないと、生徒達をパニックに陥らせるわけにはいきません。どうかお願いできませんか」
高圧的な態度―――は、そこにはなかった。
生徒会長として、生徒のトップに立つ代表者としての、願いだった。
神夜はそんな守を暫くじっと見つめていたが、やがて小さく、しかし確かに頷いた。
「分かった」
「!! 本当ですか?」
「俺だって、やられっぱなしは嫌だしな…出来るかわかんねーけど、出来るだけの事はやる」
「…そう、ですか…感謝します」
「それじゃ、部屋に戻るから」
「ええ…いえ、途中まで僕も一緒に行きましょう。戸締まりをするので少し待ってください」
「あぁ…分かった」
守は安堵した。
予想外の事態もあったが、これで大丈夫だ―――切り札とも言うべきか、ある意味危険な彼らだが、頼りにはなる。
「では、行きましょう」
にこり、微笑んだその顔は、神夜が久しぶりに見た守の笑顔だった。
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その晩の内に、神夜はルームメイトの神楽に全てを話した。
何しろ、考えるのは神夜より神楽の方が得意だ。
神楽は頷きながら神夜の話を聞き、全てを聞き終えてから、わざとらしいため息をついた。
「まぁた面倒臭そうな話を持ってきたね?」
「仕方ねーだろ。先輩に言われちまったんだし。お前だって気になるだろ?」
「まぁ…それは確かに。わかったよ、月とアディには?
「まだ言ってない」
「了解、メールしとく」
「助かる」
言うなり、神夜はボスンとベッドに倒れ込んだ。
疲れていた、早く眠りについてしまいたかった。
翌朝は早く起きて、聞き込みをしないといけない。月やアディにもちゃんと話して――――
そう考えている内に、いつの間にやら神夜の瞼は閉じられていた。
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午前10時過ぎ。
神夜が起き上がると、神楽はいなかった。
代わりに書き置きがひとつ、『先に行ってるよ』というものだった。
先に聞き込みに行ってるよ、という意味だと解釈した神夜は、適当に身支度を済ませて部屋を出た。
もちろん、春休みである。
人通りは多くはない、かといって閑静な訳ではないが、平常よりは少ない。
「さぁて…どっから始めるかな」
一言呟いて歩きだした、いや、歩きだそうとした。
浮きかけた足が止まったのは、目の前の女生徒、月が目に入ったからだ。
「あぁ…よう」
「おはよう神夜、よく眠れたみたいね?でも、少し寝過ぎよ」
「別に良いだろ、休みなんだし。で、どうした?」
「アディ、知らない?」
月の直接的な疑問に、神夜は肩を竦めた。
「生憎、たった今起きたところだ」
「メールとか」
「ん、…いや、きてねぇな。…なんかあったのか?」
メールチェックをしてから携帯を閉じた神夜が、訝しげに月に聞いた。
月は首を横に振り、「分からないわ」と呟くように言った。
「分からないから聞きに来たの。神楽も知らないって言うし…今日は、一緒に中等部に行く予定だったのに」
「先に行ったんじゃねぇの?」
「一緒に行こうって、アディからメールがきたのよ。門で待ってるからって、ほんの1時間前に」
神夜は、月の言葉が終わると共に空気が冷たくなったような気がした。
いや、勿論実際に温度が下がった訳ではない。ただ、血の気が引いただけだ。
嫌な予感がする。
「…まず、アディを探しに行くか」
「ええ、そうしましょう」
2人は目を合わせながらそう言って、校舎の方へと歩きだした。
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そして1時間後。
神夜と月により、アディは発見された。
ただし、その身体は呼吸をしていなかった。
「………」
「………。」
神夜と月は、生徒会室にいた。
経緯はこうだ。
アディを探しにでた神夜と月は、教室棟を探していた。
自分達の教室、実験室や図書室、体育館まで探して――その倉庫で、見つけた。
胸に深々とナイフが刺さっているアディの身体を。
変わり果てた姿に二人は硬直し、いや、アディに駆け寄りはしたものの、冷静とは言えなかった。混乱のままに意識と呼吸を確かめ、そのまま神夜が震える手で脈を計ろうとした時、守がやってきたのだ。
守は比較的冷静だった――勿論、冷徹だった訳ではない。しかし、神夜と月を落ち着かせ、アディの身体を抱き抱えて運び出すという事を滞り無くやってのけた。
アディを倉庫から出した後、一同は真っ直ぐ生徒会室に向かった。
平日の昼前だ、人通りは少ない。と言うより、皆無に近かった。おかげで目立つことなく生徒会室へ入り、アディをソファに横たわらせた守は、神夜と同じ様に色々と調べていった。
2人はそれを静かに見ていたが、やがて、守が静かに首を横に振った。
「何とも…由々しい事態ですね」
「…ッそんな問題じゃないでしょう!?」
「おい月待て、」
「どうして2人共そんなに冷静なのよ!?そんな、それだけの言葉で、終わらせられるって言うの!?アディがっ…こんな、理不尽で、意味不明な事態、初めてよ……」
ガタンッと音をたてて立ち上がり泣きながらまくしたてた月に、2人は何も言えなかった。
神夜だって、月と同じ思いもある。
しかし、それよりも――
「椿さん」
「! え、あ?」
「月さんを保健室へ。鎮静剤を飲ませて差し上げて下さい。少し寝かせて落ち着かせましょう」
「…分か、った」
「…っちょっと!?薬ってなによ、なんで、」
「月、悪い」
「ッ―――」
とさ、と音を立てて月が倒れたのは、神夜が会長の方を向いた月の意識を失わせたからだ。
それから、神夜は月の身体を抱き上げ、扉へと向かった。
扉を開けようとしたとき、神夜は少し振り向いて言った。
「先輩。俺も、怒ってるんだ」
「僕だって…、いえ、貴方がたの調査結果に期待しておきましょう」
目を閉じて言う守に、神夜は今度こそ扉を開け、外へとでていった。
美桜高校養護教諭のレオン・レイモンドが月の死体に気付いたのは、その日の18時頃だった。
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