華の金曜日、4時間目終了を知らせるチャイムが教室に響き、あちらこちらから息を吐く音や机の上を片付ける音が聞こえる。
玲奈もその一人で、先ほど出た宿題を終わらせたのを確認しシャーペンを筆箱にしまってから立ち上がる。隣の席の巨人、紫原敦は未だぐーすか眠りこけていた。

「紫原、もう昼休みだよ」
「……………………」

反応がない。
ただの屍のようだ、というドット文字を頭に思い浮かべた玲奈は紫原をそのままに、教室を出る。下手に起こすのも可哀想だ。ご飯を食べ損ねたとしても紫原が悪い。

財布と弁当を片手に、飲み物を買うべく一階を目指す。
この学校には食堂と売店、そして購買がある。新入生はよくその三つの見分けがつかないものだが、食堂は定食を注文してその場で食べることができ、その隣にある売店は唐揚げやおにぎりなど軽食を売っていて、購買はルーズリーフやシャーペンなどの雑貨を売っている施設だ。

弁当を毎日持参している玲奈はあまり使う機会はないが、食堂の日替わりメニューはコスパがいいと評判が高い。

自動販売機は食堂の前に置いてある。全部で五つある自動販売機は食堂の前だからなのかいつも長蛇の列だ。なので昼休みまでの休み時間に利用する人が多い。それでも列になるのだから相当な人が集まる。

一階に着いた玲奈は、食堂とは真反対の方向へと歩き出す。
それは何故か。わざわざ長蛇の列に並ばずとも飲み物が買える方法を、玲奈は知っているからだ。

職員玄関を出てすぐ近くにテニスコートがある。そのテニスコートの入り口の横に、一台の自動販売機があることを知っている生徒は数少ない。誰も彼もがその秘密の場所を隠し通そうと考え、結果偶然通りかかった人のみがその場所を知ることになるのだ。

わざわざローファーを履くのを面倒がった玲奈は上履きのまま、外に出る。
コンクリートで舗装された道は日光を吸収しているようだ。
そのまま数分歩き、テニスコート脇の自動販売機に辿り着く。
自動販売機前に一人の人影が見えた玲奈は、その影をよく見ようと目を凝らした。

「あれ、レイナじゃないか」
「……………一応校内だけど、いいの?−−−辰兄」

くるりとこちらに振り返ったのは、背の高い教師−−−氷室辰也。
辰兄、と玲奈が呼ぶと彼は嬉しそうに目尻を下げた。

「聞かれなければセーフ、だろう?」
「確かに」

くすりと玲奈が笑うと、氷室は自動販売機の取り出し口からお茶を取り出す。一歩退いた氷室が作った空間に立ち、財布から小銭を取り出そうとすると、氷室は何も言わずに500円硬貨を一枚、小銭入れ口に挿し込んだ。

「あ、ちょっと」
「はい、何でも選んでいいよ」
「………また子供扱い?」
「レイナはこんなに小さな時から、オレにとってのお姫様だからね」

こんなに、と言いながら彼は自身の腰の位置を手で指し示す。流石にそんな小さくはない、と思う。

この氷室辰也という男、彼こそが父の友人で後輩、玲奈の家に押し掛け約二年間共に過ごした人だ。
純日本人な彼はアメリカで生まれ育ち、ほとんど日本語が喋れなかった。
それでもたどたどしい日本語を駆使してどうにか玲奈を説得しようとするその姿勢が、完全に冷え切った玲奈の心に入り込み、結局その熱意に折れ同居生活を送ることになったのだ。
日本の警察に配属になったはずの彼が何故高校教師をやっているのか、何回聞いても教えてくれない。きっと何か事情があるのだろう。

玲奈は500、の表示が浮かぶ液晶を見て、次いで氷室の顔を見上げる。

彼は結構頑固者だ。こういう時、絶対に折れてくれない。今までの経験から察した玲奈は素直に彼の厚意に甘え、サイダーを選ぶ。一番上の段にあるボタンを背伸びしつつ押すと、ガタンという音がして取り出し口に落ちてきた。

氷室にはい、と手渡されお礼を言いつつ受け取る。キンキンに冷えたボトルを頬に当てると気持ちがいい。

「まだ昼食を取っていないのかい?」
「え?ああ、飲み物買ってからにしようと思って」
「そうか、じゃあそろそろ戻るべきだね」

玲奈の弁当箱を見た氷室に促され、二人は日陰から出て玄関へと歩く氷室の隣に並んだ。
他愛もない世間話をしつつ、職員玄関から校舎に入る。

「オレは授業の準備があるから、これで」
「うん、頑張って。飲み物ありがとう」
「いいや、レイナと話せるのならこれくらい安いものだよ」

そうそう、と氷室は何事かを思い出したように手を打つ。首を傾げた玲奈に、氷室は悪戯っぽく微笑んだ。

「今度から外に出る時は靴に履き替えるんだよ、シンデレラ」
「……………あ」

すっかり上履きのまま外に出ていたことを忘れていた玲奈は、自身の上履きを見下ろす。
くすくすと笑うと、氷室は手を上げてその場を去っていった。

シンデレラ、って。クサい台詞をよくもまああんなにサラッと言えるものだ。アメリカ育ちだからだろうか。彼の感性はよくわからない。

まあいいか、と玲奈は方向転換し歩き始める。屋上に行かなくては。
にしても、今何時だろう。昼休みあと何分で終わりだ?

時間を確かめるために、ブレザーからスマホを取り出す。電源を入れようとボタンを押した瞬間、角から何かが突然現れ、真正面からぶつかった。
玲奈は思い切り尻餅をつき、強く打った鼻と額を摩る。

「あ、スマン………ってなんや、墨村かいな」
「……………げ」

ぶつかって来たのはどこのどいつだ、と頭上を見上げると、胡散臭い関西弁が聞こえる。そこにいたのは、糸目と眼鏡、関西弁という胡散臭さMAXな男−−−今吉翔一。

この学校の数学教師だが、頭の良さが尋常じゃないため理数系は勿論文系科目でさえも教えることができる人物だ。実際、誰か先生が風邪などで休む際は必ずといっていいほどこの男が代理でやってくる。
エセっぽい関西弁と開かれることは滅多にない糸目、そしてダテなのではという噂のある眼鏡。
胡散臭さしか感じない出で立ちである上頭の良さを駆使して人の考えていることがわかっているかのような言動をするため、『妖怪サトリ』と呼ばれている。
ちなみにこいつのせいで数学の平均点はすこぶる低い。

そして何を隠そう、この今吉翔一という男は、玲奈の天敵なのである。

「サイッアク、よりによって今吉かよ……………」
「酷いわぁ、前をよく見んと歩いとったんはそっちやろ?」
「…………それは、そうですけど。そもそも何でこんなところに」
「ん、ああ。今人を探しててなあ、人手不足、なん、よー…………」
「…………………」

そう言って、今吉は言葉を止めた。
あ、嫌な予感しかしない。
不穏な空気を察知し素早く立ち上がると、玲奈は一息でまくし立てた。

「それは大変デスネそれじゃわたしはここで」
「待ちぃや」

踵を返し逃げようとしたのも束の間、がっしりと腕を掴まれ逃げることは叶わなくなってしまった。
仕方なく顔を今吉に向けると、彼は悪どい笑みを浮かべていて、玲奈はぞわりと鳥肌が立っていくのを感じた。

「ここで会ったのもきっと運命ってやつやろ?」
「いやいやいやいや運命論とか信じちゃってるんですか?あんたが?マジで言ってる?」
「大マジやで」
「わたし超忙しいんでー………」
「ほーん?忙しい?そうかぁーそれは残念やわぁーせっかく優しい先生がお手伝いのお礼に『アレ』、買っといたんやけどなーあ?」

『アレ』という単語に反応して、びくり、と玲奈の動きが制止した。
そのまま目をかっ開き、今吉を凝視する。

「あ、『アレ』って、まさか、」
「そのまさか、や」

ニヤリ、と唇を吊り上げる彼はドヤ顔としかいえない表情を浮かべていて。思わずグーで殴りたくなるも、拳を握るだけで必死に我慢する。

「『デラックスクリームカスタードパイ〜SAKURA〜』」
「!!!!!」

ひゅ、と息を呑む。
『デラックスクリームカスタードパイ〜SAKURA〜』、別名『なんかすごい幻のパイ』。
我が校の売店には、目玉商品と呼ばれるものがある。一日に一つしか売りださない幻のパイ、それが『なんかすごい幻のパイ』だ。
しかも毎月毎月パイの中身が変わる。

大の甘党である玲奈は、そのパイの正体を知ったのが去年の五月の時だった。そう、玲奈は四月分のパイを食べたことがないのだ。今年は必ず、と息巻いていたものの未だに買えていない。
今年も無理か、と半ば諦めていた。
その矢先に、これだ。

「ど、どうやってそれを、」
「ん〜?ああ、忘れてしもうたわぁ〜どこかの親切な生徒がワシのことを手伝うてくれたら思い出すかもしれへんなぁ〜〜?」
「………………ッ」

屈辱的。その三語に尽きる。
こいつの言いなりになるのはいただけない。鳥肌が立つ。しかし、このチャンスを逃せばもう二度と食べれないかもしれない。
玲奈の中で、大戦が勃発していた。
ぐるぐると思考を巡らせること約2秒。
玲奈は、ゆっくりとした動作で首を僅かに縦に振った。

「んじゃ、行こかー」

くるりと角の向こう側へ向きを変え、今吉は進んで行く。それに渋々ついて行くと、今吉は途中で顔だけ振り向かせ、ニヤニヤと笑いながらこう言い放った。

「墨村も可愛らしいとこ、あるんやねぇ」

−−−−−−−いつか殺す。

そう胸に固く誓った玲奈は、身体中から沸き起こる殺意を必死に抑えつけていた。

***

そして、数学研究室に押し込められ、玲奈は今吉と向かい合ってソファに座り、何故か小テストの採点を手伝わされていた。

「…………これ、生徒にやらせていいものなんですか」
「んー?まあ墨村やし、ええやろ」

いや判断基準はなんだよ。

そう思いつつも、手元の動きを止めることなく進めていく。新入生実力確認テスト、と書かれたそれは、去年玲奈が張り切りすぎて満点を取ってしまったテストだ。ああ、懐かしい。

右上の正方形の空欄に29、と書き付けると次の一枚を取る。
今吉の数学テストはクソほど難しいと有名で。玲奈がどんなに勉強をしたとしても、満点を取れたためしがない。その上それを弱点に煽ってくるのだ。自作の数学プリントを特別課題が云々と押しつけたり、雑務を押し付けたり。完全におちょくっている。
しかも、次のテストで満点を取るからどこどこの鍵を特別に貸し出してくれ、校則違反を見逃してくれ、という交換条件を玲奈は何人もの教師としているのだが、今吉はその場に出くわすと必ずといっていいほど邪魔してくる。
玲奈にとってこの今吉という教師は天敵以外の何者でもない。


キュキュ、という赤ペンが紙の上を滑る音、時計の針が働く音、そしてお互いが発する微かな音。それだけがこの部屋を満たす。
元来、こういう機械的な作業は得意だ。
右上の空欄に数字を書き込むと、これが最後の一枚であることに気づいた。

「お、終わったん?お疲れさん」
「っあ〜肩凝る〜!」

ググッと大きく伸びをし、脱力する。
すると正面の今吉は薄ら笑いを浮かべてこちらを見ていた。
どうやら玲奈よりも早く作業が終わったらしい。玲奈がキッと睨みつけると、今吉は肩を竦めて立ち上がる。
そして鞄をゴソゴソと漁っていると、何やら袋を一つ摘んで玲奈に差し出してきた。

「ほら、約束のモンやで」
「!」

その袋に反応したかと思うとすぐさま飛びつくようにして袋を受け取る。
袋の中から出てきたのは、ピンク色の袋に包まれたパイ。

「デラックスクリームカスタードパイ…………!!!」


玲奈はパアッと顔を輝かせ、丁寧に包装を解いていく。
中から出てきたのは、こんがりと狐色に焼き上がった大きなパイ。これはボリュームも中々のものなのだ。その分値段も張るけれど。

一口囓ろうと口を開けたところで、はたと気づく。
わたし、まだお弁当食べてない。
玲奈の側には袋に包まれたお弁当。これを食べてしまっては、確実に弁当は入らないだろう。しかし残すのもあれだ。ううん、と弁当とパイとで揺れていると、突然今吉がお腹減ったなあと言い出した。

「あ〜今日昼飯忘れてもうたんやったわ〜腹減ったなぁ〜」
「……………」
「あっちょうどよくここに弁当が!なあこれ食べてええ?」
「…………………どうぞ」

わざとらしいその台詞に、玲奈は小さく頷く。
おおきに、と笑うと今吉は遠慮なく袋から弁当を取り出す。
ぱかりと蓋を開けると、一段目には白米に一粒の梅干し、二段目には色鮮やかなおかずが詰まっていた。
いただきます、と行儀よく手を合わせた今吉は黙々と食べ進めていく。

「墨村これ全部自分で作っとるんやろ?すごいなあ」
「…………別に、慣れればそんなに苦でもないですし」
「それでも充分すごいて」

ワシには無理や、と笑う今吉の口に卵焼きが吸い込まれていくのを見て、玲奈はパイに今度こそかぶりついた。

濃厚なクリームとカスタードを、バターの香りが上手く包む。そして鼻を抜ける、仄かな桜の香り。ああ、美味しい。
その味に思わず頬が緩んでいる様子を、今吉は箸を動かしながら観察していた。

しばらく食べ進め、最後の一欠片を名残惜しげに口に放り込むと、正面の今吉もちょうど食べ終わったところのようだった。きちんと弁当袋に仕舞い、これ洗った方がええ?と聞いてくる。
そこまでしなくていいです、と首を振ると今吉は弁当を玲奈に渡した。

「いやーほんまに美味かったわ。想像以上やった」
「それはどうも」
「ワシのために弁当作ってきてくれてもええんやで?」
「謹んで辞退させていただきます」
「つれへんなあ」

いけずー、とからかうように笑う今吉に苛つきを覚えながらも、今日のところは見逃してやろう、と寛大な心を持ちスルーする。時計を見上げると、昼休み終了5分前だ。そろそろ行かなくては、と腰をあげる。

「パイどーも」
「こちらこそおおきに。助かったわ」

それだけ言うと、玲奈は弁当片手に扉を開く。後手に扉を閉めようとすると、後ろから声がかけられた。

「墨村ー、そう簡単にのこのこ男と二人っきりになるんは感心せえへんでー?」
「…………はッ!?」

勢いよく振り向くも、扉はパタン、と音を立て閉められた後だった。扉越しでも、あの人の神経を逆なでするような笑みを浮かべているのはわかる。

「〜〜〜〜〜ッやっぱり嫌い!」

ガン、と扉を思い切り蹴りつけると玲奈は鼻息荒くそこから立ち去った。扉には、上履きの跡がくっきり残っている。ざまあみろ。
玲奈の機嫌の悪さが全面に出されているためすれ違う人たちに何事かと二度見されるもそんなことは気にならない。

そんな時、玲奈はふと思った。
あの性格が悪くて策士でサトリな今吉が、いくら幻の品だからといってパイ一つしか交換条件に出さないのはおかしくはないか、と。
そもそもあのパイは幻の品として有名だが、そのボリュームとくどさで大抵の人は全部食べきれずにギブアップする。
玲奈のような大の甘党でない限り、血眼になって探すことはない。

それに、人手が足りないと言っていたがあれはたかがテストの採点だ。
もとより生徒が手伝っていいものではないし、正直あいつなら30分程度で終わらせていただろう。それなのに何故。

墨村やし、ええやろ。

採点を生徒に任せてもいいのか、という問いの答えだ。墨村ならばいい。これが意味するのは−−−。

「あの妖怪サトリ野郎、最初から嵌めるつもりだったのか………!」

今吉の真意に気づき、玲奈は思わず背筋が凍った。ぞわぞわと鳥肌が立つ感覚に腕を摩ると、鋭く舌打ちを打ち教室を目指す。
今日もまた、今吉に取ってやられた。
まあでもこれはただの想像だし、全ては偶然の可能性もある。
勿論玲奈をからかうためだったという可能性も充分にあるということだが。

今吉の真意は、神のみぞ知る。

***

「玲奈ちん昼休みどこ行ってたのー?」
「別に」

六時間目が終了し、下校時間となる。
隣の紫原が不思議そうに問いかけると、玲奈は機嫌の悪さを隠すことなく刺々しくそう答えた。

「はあ〜?何怒ってんの?」
「怒ってない」
「怒ってんじゃん」
「…………っ今吉と会ってたの!」
「あー………ドンマイ」
「うるさい」

紫原は眉間に皺を寄せる玲奈に慰めようという気が全く感じられない慰めの言葉をかける。
舌打ちをする勢いでスタスタと教室を出た玲奈は、家に帰るまでずっと機嫌の悪さを全面に押し出していた。

「おかえり」
「ただいまです」
「………?」

珍しく起きていたらしい瀬戸と階段ですれ違い挨拶を返すと、瀬戸は訝しげに玲奈を見た。その視線をスルーして部屋に戻る。
扉を閉める時に力を入れすぎてバタン、と大きな音が立ち、その音がやけに大きく響いたことによって玲奈はハッと意識を取り戻した。

落ち着け、落ち着け、あいつが何かを企んでいるのはいつものことだ。こんなにイライラしてても仕方がない。そうだ、冷静に。

ふう、と大きく息を吐き、玲奈は部屋着に着替える。幾分か心が落ち着き、今夜の献立を考えながらリビングに入った。
今日はオムライスにでもしようか。あまり凝ったものを作る気分ではない。
キッチンに入り、オムライスを作り始める。
炊飯器を見ると、朝にセットしておいたため米はもう炊けているようだ。
ケチャップライスを作るべく冷蔵庫から材料を取り出す。切った鶏肉やらニンジンやらグリンピースやらをケチャップで味付けをした米と共に炒めるだけ。とても簡単だ。
ケチャップライスの上に、焼いた卵を載せる。ナイフでスーッと切れ目を真っ直ぐに入れると、中からトロリとした卵が溢れ出てきた。このふわふわオムライスは玲奈の得意料理の一つだ。
作り置きしてあるジャガイモのビシソワーズをスープ皿に移し、パパッとレタス、トマト、キュウリを乗せてサラダを作る。

食卓に並べると、ソファで駄弁っていた五人が移動してきた。

「おーうまそ」
「すげートロトロじゃん」
「ケチャップ置いておくんで好きに掛けてください」
「おらザキ貸せよ書いてあげる」
「いらねえよ!」
「遠慮すんなってほら」
「あ、ちょっ」
「じゃあ俺が瀬戸のに書いてやろう」
「えー………変なのにしないでよ?」

わいわいと騒いでいる五人を尻目にカウンターと食卓を2往復して皿を運び終えた。途中でゴン、というよくわからない音が響いた気がする。
玲奈が食卓に着くと、それぞれのオムライスには文字が書かれている。
そして何故か山崎と原が頭を押さえて机に突っ伏していた。

「瀬戸さんが『眠』、古橋さんが『魚』、原さんが『髪』、山崎さんが『橙』、………花宮さんのは?」

よくケチャップで書けたな、というような文字を読んでいると、何故か花宮のだけケチャップがぐちゃぐちゃになっていた。当の花宮はケチャップがべっとり付いたスプーンを持ち、とても不機嫌そうに顔を顰め舌打ちを打つ。
首を傾げた玲奈に、突っ伏していた隣の原がそっと耳打ちした。

「『眉』」
「ぶはっ!」
「一哉もっかい頭出せこのマゾ野郎」

その一文字を聞いた途端、玲奈は耐えきれずに噴き出した。花宮は鬼の形相で二人をを睨みつけ、原はだって本当のことじゃん、とヘラヘラ笑っている。山崎はツボに入ったのか再び机に突っ伏した。
取り繕うように咳払いをして、玲奈はスプーンを手に取った。我関せず、というようにもう食べ始めている瀬戸と古橋に倣い、玲奈も食べ始める。
花宮は額に青筋を立て、傍らのフォークを指で挟んだ。

「死ね」
「うわっ」

原に向かって豪速で向かっていったフォークは、すんでのところで避けた原の頬を掠め背後の壁に突き刺さった。
突き刺さった反動で揺れるフォークと原の頬から垂れる一筋の血を見て、玲奈は顔を青ざめさせる。

「っぶねえな、血ィ出ちゃってんじゃん」
「テメェこれがナイフじゃなくてよかったと思えよ」
「ちょ、危ないですよ何してるんですか!」
「玲奈ちゃん、花宮に何か言っても意味がない」

時間の無駄だ、と静かに首を振る古橋の横で、瀬戸も同意するように頷く。
壁からフォークを抜いた原が袖で先を拭い、ついでに頬の血も拭って食卓に着いた。袖は少し茶色に変色してしまっている。
何事もなかったかのように食事を再開する彼らに、玲奈は気にしちゃだめだ、と言い聞かせた。

「………そういえば、ずっと気になってたんですけど」

口の中の卵を咀嚼し、飲み込む。
僅かに顔を上げた瀬戸はすでに三皿目に突入している。彼はよく寝るしよく食べる。その食べたものがどこで消費されているのか甚だ疑問だ。

「皆さんってお仕事してるんですか?」
「あーやっぱそこ気になるよね」

彼らがこの家にやってきて、五日が経つ。玲奈が朝家を出て、夕方に帰ってくるまで何をしているのか知らないが、いつもみんな家にいる。花宮や瀬戸はだいたい自室に籠もっているが。
毎日家で過ごしているであろう彼らは、何か仕事をしているのか。犯罪集団の活動だけでは食べていけないのではないか。ふと、疑問に思ったのだ。

「無職なわけねえだろ」
「まあ仕事はちゃんとしてるよ」
「そー、今は有給取ってるだけだしねー」
「有給、ですか」
「ああ、一応俺らは公務員だからな」
「こ………っ!?」
「まあやっぱそういう反応だよな」

うんうん、と頷いた山崎を一瞥した花宮は嘲笑うように鼻で笑った。

「犯罪は趣味みてえなもんだ、趣味を実行するためには金がいるだろ」
「……………悪趣味すぎますね」
「言い得て妙だな」
「山田ァ、座布団一枚!」
「山崎だけど!?」
「そっちかよしっかりしろよ山田」
「山崎だっつってんだろ!」
「こだわりが異常」

はは、と乾いた笑いを漏らす玲奈に原がケラケラと声を上げる。

公務員。犯罪集団が、公務員。
世の中何があるかわからないものだ。
世間の怖さを身に感じ、玲奈は最後の一口を飲み込むとごちそうさまでした、と手を合わせた。

***

片付けを終え、ソファでのんびりしていると、玲奈のスマホが震えた。
画面には桃井からのLIMEの通知。
なんだろうと思いつつも開けてみる。

【ぴーち:玲奈ちゃん!】
【ぴーち:明日、空いてたりしない?】
【ぴーち:日曜日にみんなで遊びに行くでしょ?その時の服買いに行きたいなと思って】
【ぴーち:玲奈ちゃんさえよければ、一緒にどうかな?】


その文面を読んで、そういえばお花見は明後日だったと思い出す。
服とか何も考えていなかった。わざわざ買いに行くとは、これが女子力というものなのか。そう思いつつも明日は特に何もないし、断る理由もない。
玲奈は了承の文字を打ち込み、送信ボタンを押した。

【玲奈:いいよ、デートしよう】
【玲奈:駅前のショッピングモール?】
【ぴーち:本当!?やった!】
【ぴーち:うん、あそこリニューアルしたから行ってみたくて】
【ぴーち:玲奈ちゃんと二人で出掛けるの久々だから楽しみ!】

喜びに溢れる文を読んで玲奈は思わず頬が緩む。キセキの友人としてそこそこ有名な玲奈は友達があまり多くない。その上あまり外に出かけたりしないタイプの玲奈は、休日に友達と遊ぶことがそんなにない。
たまにキセキと遊んだり、今回のように桃井に誘われたりするくらいだ。

集合場所と時間を決め、スマホを閉じる。原がちょうどゲームでボスに勝ったところらしく、山崎が歓声をあげていた。他三人はいない。自室だろうか。
原がリビングから出て行ったのを見て、玲奈は風呂に入ってしまおうと腰を上げる。山崎は原から引き継いでゲームをスタートさせていた。

部屋から着替えを持って洗面所に向かっていると、トイレから出てきた原と鉢合わせる。
お互い何のアクションも起こさずにすれ違うと、玲奈の背後で原があ、と声を上げた。

「玲奈ちゃん風呂?」
「え、はい」
「ふーん、背中流してあげよっか」
「……………はい?」
「原チャン一肌脱いじゃうよん」
「あはは遠慮しときま、いや何で脱ぐの!?」

いつもの戯言だろうと苦笑を漏らしつつ流そうとしていた玲奈の眼の前で、原がシャツを脱ぎ始めた。驚きのあまり敬語を抜いてしまったもののそんなことを気にしてはいられない。

「玲奈ちゃん男の裸とか見慣れてない系?いーねー純情かわいー」
「ちょ、原さん服着て!」
「えーやだ」

上を完全に脱ぎ捨てた原はニヤニヤと笑っている。玲奈は咄嗟に目を逸らし、床に散らばった服を指差して声を上げる。しかし原はただニヤニヤするだけだった。

「じゃあ下も脱いであげよっか?」
「結構です着てください!」
「こうも拒否されると逆にやりたくなるんだよねー」
「ちょっと下は無理!脱がないで!」
「上はいいんだ?」
「よくない!」

ズボンに手をかけた原に焦りつつ目を逸らしていると、原が一歩玲奈に近づいてきた。ドギマギしている玲奈が反射的に一歩退くと、その分距離を狭めて来る。

「玲奈ちゃん何で目ぇ逸らすのー?」
「そ、らしてません!」
「いや逸らしてんじゃん」

ウケる、とニヤニヤしている原が突然大きく踏み込み、玲奈の両手をガッチリ掴んだ。手首を掴まれこれ以上後ろに退がれなくなった玲奈は、目の前に服を着ていない身体があるということが耐えきれず、目線を揺らす。

「玲奈ちゃーん?」
「…………なんですか」
「こっち見て?」

原の言葉通り、そろそろと顔を上げる。
予想以上に近い距離に原の顔があったことに驚き、玲奈は目を見開いた。

「どーする?ハグしちゃう?」
「しません変態ですか」
「………やべえJKに変態って言われんの興奮する」
「や、山崎さああああん!!!!!!」

ニヤァ、と口元を歪めた原を見て、玲奈は背筋がぞわりと粟立った。思わず大声で唯一マシだと思われる山崎を呼ぶ。
原が反射的に玲奈の口を片手で塞ぐのと同時に、リビングの扉が開く音がした。

「あ?なんだよ大声出し、て………」
「んむ、むぐぐぐ!!」
「んだよ、ザキ邪魔すんなよ」
「はああああ!?!!?!」

両手首を捕らえられ、口を片手で塞がれた玲奈と至近距離にいる上半身裸の原。その光景を目にした山崎は絶叫した。

「お、おま、何しちゃってんの!?」
「え?玲奈ちゃんと風呂入ろうと思って」
「ぷはっ、セクハラですよねそれ!?」
「んなことないよ」
「いや立派なセクハラだわ!」

とりあえず離せ、と山崎が原を引き離す。
玲奈は漸く原から解放され、ほっと息を吐いた。
山崎さんの頼もしさに涙が出そうだ。

「チッ、ザキのくせに」
「うるせえよセクハラ野郎」
「………お風呂入ってきます」
「おう、原は見張っとくから安心しろよ」
「や、山崎さん………」

ありがとうございます、と礼を言い、床に散らばった着替え類を手にする。原のシャツは触れないでおいた。

「うるせえな、何だよ」
「花宮、ザキがうるさい」
「お前が玲奈にセクハラしてたのがまずおかしいんじゃねえの!?」

騒ぎを聞きつけた花宮が一階に降りてきた。ぎゃいぎゃいと騒ぐ三人をその場に残し、玲奈は風呂へと急ぐ。

しっかり身体を温めつつ急いで上がり、自室へと戻る。リビングに行く気にはもうなれない。

髪の水気を切り、ベッドに身を投げ出す。ごろりと横になり、次いでスマホに手を伸ばした。桃井とのLIMEが途中で終わってしまっていたはずだ。

返事を返し、就寝の挨拶をする。おやすみ、という返事が返ってきたのを目にし、玲奈はスマホを充電器に繋げ、閉じた。

それにしても原さんは何なんだろう。頭がおかしいんじゃないか。
今までも時々片鱗を見せていたものの、ああも露骨なのは初めてだ。正直ドキッとしてしまったのが悔しい。いやでも誰だって突然目の前で脱がれたらドキッとするだろう。そういうことだ。

はあ、とため息を吐いて玲奈は天井を見上げた。
髪の毛を乾かさないといけないけど、もうなんだか眠い。疲れた。
今日くらいはいいか、と玲奈は枕を手探りで探し、頭の下に差し込む。

明日は久々の桃井とのお出かけだ。何着て行こう、と頭の隅でクローゼットを物色しつつ、玲奈は意識を手放した。




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