本日ハ晴天ナリ
ーーーとある昼下がり。
アカリは自室で優雅にアフタヌーンティーと洒落込んでいた。
「やるからには完璧にやりたいよねぇ」
ローテーブルには本格的な三段のティースタンド。サンドイッチ、スコーン、プチフルールが一段ずつ乗っている。もちろん全てアカリが作った。すっかり仲良くなったしもべ妖精たちと一緒に。
当時サンドイッチはキュウリのみを使っていたらしいけれど。流石にそれじゃあ味気ないとハムや卵など色んな具材を使った。
スコーンはシンプルにクロテッドクリームで。脂肪分が結構高いから、ほんの少しだけ添える。
プチフルールというのは小さいケーキのことだ。ムースやショートケーキなど5種類ほど作った。
そしてアフタヌーンティーというからには欠かせない紅茶。
ストレートが飲みたかったから、ダージリンにした。
紅茶にも種類がある。ミルクティーに適しているのはアッサム、ストレートはダージリン。
そしてアイスティーに最も適しているのがアールグレイだ。
優雅にお茶とお菓子を楽しむ。
最近のアカリの一日はいつも同じだ。
ブランチを食べ終わったら外へ。
薔薇園の手入れをし、ナギニちゃんと森でお散歩。昼を過ぎてから厨房へ向かい、お菓子作りに励む。
そしてお菓子と紅茶でアフタヌーンティー。
夕食まで本を読んだり魔法の練習をして過ごす。
そして夕食を食べお風呂で一日の疲れを取り、就寝。
また同じような一日を過ごす。
正直に言うとマンネリ化していた。サフィアやナギニちゃんが一緒にお話をしてくれるけど、サフィアにはお仕事が、ナギニちゃんは卿のそばに居なければならない。
一人で過ごす時間の方が、圧倒的に多かった。
「暇だなあ…………」
卿は最近忙しいのか、話すのは勿論姿を見ることさえない。
無言呪文も上達どころか進歩すらなくて練習しようという気もしない。
本を読むか土いじりかお菓子作り。選択肢が少なさすぎる。
「…………こういう時、話し相手がいればなー…………」
思い浮かべるは、プラチナブロンド。
あれからルシウスが来る様子は一向に見えない。
やっぱり、ダメだったのかな。残念すぎるけど、彼に選択を委ねたのはわたしだ。引き下がらねば。
「卿に別のお世話係頼もうかな…………」
ため息を紅茶で流し込み、空になったカップをソーサーに置く。
カタン、という音が静寂が満ちた部屋に響いた。
書斎にでも行って物色して来るかな。
そう考えたアカリは立ち上がると紅茶とティースタンドをそのままに、扉を押し開け廊下に敷かれた絨毯を踏み込んだ。
****
「んー………」
卿の書斎にはたくさん過ぎるほどの書物が保管されている。背の高い本棚がいくつも置かれているのだ。
卿なら余裕で手が届くような高さでも、日本人女性であるアカリは厳しい。
精一杯背伸びをしても届かなければコッソリ魔法を使って取る(本に魔法をむやみにかけるなと言われているけれど)。
時間をかけて5冊ほど見繕い、古いインクの匂いが充満した書斎を出た。
中々の厚みがあるものばかり選んでしまったため、持つのも一苦労。踏ん張りながらも運んでいると、アカリの部屋の前で立ち尽くしている人物が目に入った。
「ーーールシウスさん?」
思わず名前を呼ぶと、弾かれるようにして顔を上げる彼。
どう見ても、ルシウス・マルフォイその人だった。
アカリがどうしてここにと困惑していると、突然ルシウスが反対方向へと駆け出した。
「え!?ちょっと待って!」
抱えていた本達をやや乱雑に床に置き、追いかける。
しかし足の長さやら持久力やらアカリは彼に劣る。この時ばかりは日本人体型の自分を恨んだ。
仕方ない、と声を張り上げる。杖は取り出すのが面倒だ、いいか。右手を前に突き出し、掌を彼へ向ける。
「インカーセラス!」
すると出現したロープがはるか彼方を走っていたルシウスの足に絡みつき、彼は突然の妨害に為す術もなく倒れてしまった。
…………ああ、あれは痛い。
慌てて駆け寄り、フィニートをかけ顔を上げたルシウスの額は、強く打ち付けてしまったのか赤くなっていた。
「えー、と。すみません手荒にしてしまって」
「……………」
すっくと立ち上がったルシウスはこちらに顔を向けようとしない。
でも、わたしの部屋の前にいたということは、多分。
「………ね、ルシウスさん。わたしの部屋でお茶しません?お菓子作ったんですよ」
固く握られている手を取り、思わずビクついた彼を気にせず歩き出す。
振りほどかないということは、了承ってことかな。
されるがままのルシウスさんを少し気にかけながらも部屋まで戻る。
どうぞ、と扉を開けると躊躇うように俯く。肩から綺麗なプラチナブロンドがさらりと零れ落ちた。
このままでは埒が明かない。腕を引っ張り、部屋に入れてしまった。
聞かれる心配が無いとは思いながらも小声で防音呪文を唱えておく。
彼をソファに座らせ、わたしもいつもの定位置に座る。魔法でポットを温めてから紅茶を注ぐと、芳ばしい香りが部屋に漂った。
「………………」
「………………」
2人分の紅茶を入れてしまうと、もうやることがない。
ちら、と目の前の彼を盗み見るも紅茶の表面を見つめるだけで微動だにしないし。
…………どうしたもんか。
ああ、なんて気まずい空気。
カップに手を伸ばす時に目線をやや上げるだけで、それ以外に何の反応もない。
わたしが話を振るのもアレだし。本当にどうしよう。
−−−本当のことを言うとほんの少しだけ、期待してる。
わざわざ出向いてくれたということは、もしかして、なんて。
しかし、律義に断りを入れに来たというのも否めない。
そこらへんは本人に聞かないとわからないところ、なんだけど。
その本人がこれじゃなぁ…
どうしたもんか、と遠い目をしかけた時、彼の薄い唇が微かに動いた。
「……あの後、私は色々と頭を悩ませました」
揺らめく琥珀色の波を見つめ、息を吐くようなか細い声を零す。
「貴女はとても変なお方だ。今までに会ったことがない」
褒められているのだか貶されているのだかわからない声色だが、アカリは気にしなかった。
「最初は、貴女に上手く取り入って私、ひいてはマルフォイ家の地位を少しでも上げようと考えていました」
そこで言葉を切ると、伺うようにしてこちらに目線を向けた。
そのグレーを何も言わずに見つめると、すぐに逸らされる。
「穢れた血を敬わなければならないことに不快感を抱いていましたが、それもマルフォイ家のため。そう割り切って、線引きをし接するよう努めました。なのに貴女はーー」
ギュッと眉間に皺を寄せ、カップを持つ手に力を入れる。
「境界線を引いたというのに、土足でズカズカと踏み込んで来た。そうして私の中を振り回し、思う存分暴れたかと思ったら身を引いてしまう。」
「貴女のことが私にはよくわからない」と口にしたかと思うと盛大に顔を顰める彼が可笑しくて、つい笑いが漏れてしまう。
くすりと笑いを零したのに反応し、こちらを睨むものの、困惑の色が隠し切れていない。それがますます笑いを助長させた。
「何がおかしいのです」
「え、ああ、ごめんなさい」
誤魔化すように咳払いをするものの、彼は今だにしかめっ面をしている。
「いいんじゃないですか、それで」
もうすっかり覚めてしまった紅茶を一気に飲み干し、ポットから新たに注ぐ。
とぽとぽと琥珀色の液体が注ぎ込まれていく様子を眺めながらアカリは口を開いた。
「他人の考えなんてわからないのが普通なんですし。そう思い詰めることもないですよ」
紅茶の香りを楽しみ、不可解な表情を浮かべているルシウスに微笑みかける。
「気楽にいきましょうよ。そう気難しく考えていると、将来禿げますよ?」
特に前髪が。そう言い放ったアカリの言葉に、唖然としていたルシウスは、諦めたようなため息を漏らす。
「………なんだか真面目に考えていたのが馬鹿らしくなってきました」
特に貴女のことについては、と言ったルシウスの顔には呆れと諦めの表情が浮かんでいた。
「わたしのお世話係、やってくれますか?」
「………貴女が望むのならば、喜んで」
ルシウスがそうおどけたように恭しくお辞儀をしてみせると、2人同時に笑みが零れた。
「そうそう、敬語は仕方ないとして、様づけはやめてくださいね」
「いえ、しかし」
「2人きりの時だけでいいんです」
わたしもそうするから、と懇願したのが効いたのか渋々頷いてくれた。
「それじゃ、ルシウスって呼ぶね。わたしはアカリでいいよ」
「………アカリ」
ニコニコと嬉しそうなアカリを見て、ルシウスも呆れたように小さく笑みを浮かべた。
****
「ーーーホグワーツに?」
「ええ、9月1日から新学期が始まるので」
ルシウスはホグワーツに通っている学生だ。今は夏の休暇中だからいいが、あと少ししたらホグワーツに帰ってしまうらしい。
「………せっかく話し相手が出来たのにな」
残念そうな表情を隠そうともしないアカリを見て、思わず眉を下げたルシウスは空に近いカップに新たな紅茶を注ぐ。
「…………まだ日はありますよ」
「!……そうだね」
まだまだやりたいことは沢山ある。ありすぎて困るくらいだ。
「すみません、私はそろそろ」
「え?ああ、もうこんな時間か」
壁掛け時計を見ると、もう18時を回っていた。そろそろ夕飯時だろう。
「また来てね、待ってるから」
暖炉の上にある、銀細工の施された入れ物から煙突飛行粉を掴み、投げ入れる。鮮やかなエメラルドが舞い上がる暖炉の前に立つと、ルシウスはこちらに振り返った。
「失礼します、………アカリ」
ぼそりと呟かれた名前に驚く間も無くマルフォイ邸、と姿を眩ませてしまった。
「……………」
じわじわと嬉しさやら照れやらが這い上がり、顔がニヤけてしまう。
………ああ、
「わたしの目に、狂いはなかった」
明日も来てくれるかな、そう思いながらティーセットを片付け始めた。
****
それからというもの、ルシウスは毎日のように訪ねて来てくれた。
ある日は菓子を、ある日は茶葉を片手に。
そうしてアカリとお茶をしながらルシウスが色々な話を聞かせた。
特にアカリが喜んだのがホグワーツでの話題だった。
どのような教科を学んでいる、こういう特集な教室がある、所属しているスリザリンはこうだ、生徒たちの間で起こった事件、などなど。
「愚かなるグリフィンドール寮の悪戯仕掛け人を名乗る生徒たちには困らされていてーーー」
「悪戯仕掛け人?」
「ええ、ポッター家のジェームズ・ポッター、血を裏切る者とされるシリウス・ブラック、そしてリーマス・ルーピンとピーター・ペティグリューという生徒たちです。
特にスリザリンの生徒に杖を向けることが多いので、困りものです」
悪戯仕掛け人という名前には、聞き覚えがありすぎた。
「特にシリウス・ブラックは、純血思想を持つブラック家の長男だというのによりにもよってグリフィンドール寮となったことで一悶着あったらしいですが」
ハア、とため息を吐くルシウスはその四人と何かしらあったのだろう。また眉間に皺が寄ってしまっている。
「ブラック家って、聖28純血の?」
「ええ、その中でも我がマルフォイ家と共に名を連ねる家系です。
そんな一族から穢れた血と馴れ合う者が出るとは恥でしょうに……」
そこでハッとしたように口を噤む。
どうやらわたしに気を使ってくれたらしい。
この人は、変なところで優しいのだ。
「ああ、わたしのことなら気にしなくていいよ。あんまりそういうの興味ないし」
「そう、ですか」
うん、と頷くと話の先を促す。
「ルシウスは監督生なんだもんね、大変そう」
「そうですね、それなりに」
「最終学年ってことは、やっぱり将来の話もするんじゃない?」
空いたカップにすかさずルシウスが紅茶のおかわりを注ぐ。ありがとうと礼を言って口に含むものの、猫舌のアカリには熱すぎたようだ。
「そうですね。私の場合、卒業後は死喰い人としての活動が本格的に入りますが、マルフォイ家当主を継ぐために学ぶことがあると理由づけが可能なので偽るのは容易です」
「そっか、もう印は貰ったの?」
「ええ、少し前に」
上質なローブの左腕を捲ると現れた、闇の印。骸骨に絡みつく蛇を象ったものだ。
「これ、入れる時痛いんだよね?」
「ええ、まあ」
その時の痛みを思い出したのか、顔を顰める。
「ごめん、ありがとう」
捲った左腕を元に戻させる。ルシウスには悪いが、やっぱり印を入れることにならずに済んでよかった。
「……あ、もうこんな時間だ。そろそろだよね?」
「はい、すみません」
「謝らないで、今日も楽しかった」
それでは、と煙突飛行を使うルシウスを見送ると、静寂が部屋を満たした。
やはり誰かと一緒にいたすぐ後の孤独は辛いものだ。
ティーセットを片付けてしまうと、夕食の時間まで読みかけの本を読むことにした。
どれほど読みふけっていたのだろうか、姿現し特有のバシッという音がして本から顔を上げた。
「お嬢様、お食事のご用意ができました」
「サフィア、ありがとう」
料理の乗ったトレーを持って現れたのは屋敷しもべ妖精のサフィアだった。
いつも決まった時間に食事を持って来てくれるのだ。
「今日のメニューは、鶏肉のシチューとバゲット、バシルと生ハムのサラダでございます」
「美味しそう、いつもありがとう」
礼を伝えると、そのサファイアような青い瞳を少し細め、丁寧なお辞儀を残し姿を消した。
静かな部屋に、食器とスプーンが立てる音が響く。
食事をする時は、だいたいが1人だ。
運が良ければ昼食時にルシウスが来てくれるが、それも稀、夕食は必ず1人で取っている。
前までは卿がいてくれたのにな、と黒いローブを思い出してみる。
最近はあの姿を全くといって見ない。きっと仕事で忙しいのだろう。それが書類を片付けるようなものなのか、マグル狩りなるものをしているのかは世間に疎いアカリにはわからないが。
最後に見たのはいつだったっけ、そんなことを考えながらスプーンを咥えると、突然部屋の扉が開いた。
「ああ、食事中だったか」
「……………卿」
噂をすればなんとやら、とはよく言ったものだとアカリは肩をすくめた。
「お久しぶりですね、お仕事はいいんですか?」
「とりあえずはひと段落ついたところだ」
向側のソファに腰を下ろしたかと思うと、こめかみを手で揉んでいる。
「………お疲れですか?」
「使えない部下のせいでな」
はっと嘲笑の色を帯びた声を聞きつつアカリは途中だった食事を再開させた。
疲れているのだったら余計なことは言わずに黙っていた方がいいだろうと判断したアカリは黙々と食事を続ける。皮肉なことに、無言で食べるという行為に慣れてしまっていた。
「……ルシウスは」
その様子を眺めていたヴォルデモート卿は、何気なく口を開く。皿に向かっていたアカリは顔を上げる。
「良い話し相手になってくれていますよ」
「そうか」
短い返事はいつものことだ、とトマトを指したフォークを口に運ぶ。
「明日から死喰い人が本格的にここを出入りするようになる」
その言葉に、アカリはバゲットを取ろうとした手を思わず止め、顔を上げた。
「あまりこの部屋からは出ない方がお前のためだと思うが」
「……そうします」
ああ、ついに来てしまった。
気軽に屋敷内を出歩くことが出来ないのはかなりのダメージだった。厨
房に行くことも、薔薇園に行くことも出来ない。
「……ルシウスを連れて行くのなら、外に出ても構わない」
思わずため息をついたアカリを見てそう淡々と告げる。
「ただし前持って報告には来い」
「わかりました」
そうか、外に出るという手があった。
思わず胸元で鈍く輝く指輪を弄る。あれからこの黒い輝きが失われることはなかった。
「それを伝えに来ただけだ」
さっさと立ち上がった卿は、足を止めることなく扉まで近寄った。
「おやすみなさい」
「ああ」
扉を閉める直前、少しだけ振り返って告げた返事を聞いて、アカリは口元が緩むのを感じた。
久しぶりに会った卿は元々白かった肌が更に青白くなっているようだった。休む間もないくらい忙しいということか。
「何か新聞でも取ってもらうように頼んでみるかな」
何かの役に立つかもしれない。
そんなことを考えながら、平らげた皿を綺麗に重ね、テーブルの上に片付けた。
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