可憐な非日常 | ナノ




「もう大丈夫だよ」



茶髪で猫目の忍たまが棗の額に置いていた手を自分の膝に戻して、そう言った。名は善法寺というらしい。

瞬間移動で学園に戻り、善法寺が治療をしている間に、俺はこれまでの経緯を説明された。お前らが早く助け出していれば、棗がこんなふうになることもなかったんじゃないかと憤りを感じて腰を上げかけると、棗は俺の上着の裾を引っ張った。起きているのかと覗き込んだら、少しだけ呻いて手を離した。どうやら無意識らしい。

この世界に来てからずっと気を張っていただろうし、レイプされたばかりだ。

こいつを助け出した時も目を開けて、すぐに気を失ってしまった。森から忍術学園まで戻る途中、こいつは起きる気配すら見せなかった。今回のことがきっかけで、いろいろ溜まっていたものが爆発したのだろう。





「結構熱が高いけど、安静にしていれば明日明後日には目を覚ますよ」

まるで死んだように眠る棗。けれど、触れると熱い。その熱さだけがこいつがまだ生きていることを感じさせる。

棗は俺たちが借りている部屋で寝ている。医務室ではいつ他の生徒がやって来るか知れない。超能力は、脳機能がダメージを受けたり感情が制御できなかったりすると、暴走を引き起こしたり使用不能になったりする。

あんなことがあったのだ、どんな後遺症があるかわからない。

普段、こいつは人の心を読むことに躊躇しないタイプだが、透視した情報を自分から漏らすようなへまはしないようにしている。意識が朦朧としている時に、うっかり透視したことを漏らすようなことがあってはまずいと、医務室に運ぼうとする善法寺を俺が止めた。

それでも渋る善法寺を「ガキどもが心に癒えない傷を残すことになるかもしれないぞ」という言葉でやっと承諾させた。さっきの森で起こったようなことはないだろうが、それでも100%ではない。念には念を入れておいた方がいい。同じものを見た鉢屋とかいうガキも、善法寺を説得する方向だ。

正気を失っている時と怒った時の超感覚系の超能力者を侮ってはいけない。



今、この部屋にいるのは俺と善法寺、そして、棗を尾行していた五年の3人だ。あの若い男は後始末をするとあの場に残った。人目につくということで、俺たちは裏門から入った。そこに、白い忍び装束をきた男と若い教師が立っていた。忍たまどもが、白い方を新野先生、若い方を土井先生と言っていたからそれが名前だろう。二人は、棗の容態を確認すると、薬と水、手拭いと布団の準備をしに走った。

今は、新野は医務室に戻ったが、土井は白湯をもらってくると食堂へ行った。



食堂から戻ってきた土井が、善法寺の隣り、棗の枕元に座る。俺は棗を挟んで向こう側にいるその男を見据える。

「もし、こいつになんかあったら、俺はお前らを絶対許さない」

自分でも驚くほど冷たくて落ち着いた声だった。ごくり、と土井や忍たまたちが唾液を飲み込む音が聞こえた。

「………っ、」

すると、棗が小さく呻いた。

「棗っ!!」

俺は身を乗り出して叫んだ。けれど、棗は顔をしかめて反対側を向いた。

おいっ!!俺がどれだけ心配したとっ!!!



「気が付かれましたか?」

微妙に納得いかない気持ちで座りなおすと、土井が膝の上に盆を乗せたままそう問うた。



「み、なもと…さん」



途切れ途切れに棗が皆本の名前を呼んだ。ふにゃり、と、安心しきったような子供みたいな顔で笑ってる。寝ぼけているのかと思ったが、枕元に座る土井の方に目をやるとなぜかそこには眼鏡をかけた男がポカンとした表情で座っていた。奴の膝の上に乗っているのは白湯が入った盆で、来ているのは黒い忍び装束だ。恰好は土井のはずなのにその顔は皆本光一そのものだ。



「えっ…」
「土井先生…?土井先生なのか…?」
「何で、…あれ?」



忍たまどもも混乱している。

どうやらあの一件で棗は新しい超能力に目覚めたらしい。

催眠能力は、テレパシーで他人の脳の化学物質をイメージどおりに変化させ、暗示をかける能力である。今回の場合は、棗自身が無意識に会いたいと思っている人物を催眠で見せているのだろう。熱で朦朧としているとはいえ、すごいパワーだ。いや、熱で朦朧としているから、かもしれない。

棗自身は送信より受信の方が向いていると言っていたが、高超度の超能力を複数持っているし、元々素養があったのかもしれない。



「あ、あの…、椎名、さん?」
「さ、かき…、せんせ 」



困惑ぎみに声をかけた善法寺の方を向いて、途切れ途切れにあのヤブ医者の名前を呼んだ。中途半端に腰を浮かせた善法寺は、自分ではない別の人間の名前を呼ばれて固まっている。俺は超感覚系の超能力は持っていないが、何を考えているかなんてなくても分かる。どうすれば良いのか、と戸惑っている。延ばしかけたその手を引かれて、善法寺は棗の上に倒れ込んだ。



「…えっ」
「えっ!?」
「えぇぇえええ?!!」



五年3人が驚いたように、ぽかんと口を開けている。「え」という音だけでよくもこんだけ、多様な反応が出せたものだ。土井も声こそ出さなかったものの、五年と同じようにぽかんとしている。



「な、な、な…!!!」



当の善法寺は、わたわたと両手を動かしてそれはもう大層戸惑っている。抜け出そうと必死だが、奴の首にしっかりと巻き付いた棗の腕は全く外れない。正気ではないから手加減ができていないのかもしれない。

他人が慌てる様を見るのは中々面白い。皆本をからかう少佐の気持ちが、今少し分かった気がする。善法寺の様子を見て、少し冷静になった俺だったが、次の瞬間には冷水をぶっかけられたような気分になった。





「―――、あい、たかった…、さかき、せんせ…」



かろうじて聞こえるくらいのか細い声だった。心の底から安心したような穏やかな声だった。俺はたまらなくなって立ち上がった。



「おい、何処に行く気だ!?早く何とかしろ!!」
「無理。今、こいつは正気じゃないからな。それに下手に触れたらさっきみたいにこいつの思念が流れ込んでくる可能性がある。俺は専門的な知識なんてないし、しばらく放っておいて落ち着くのを待つしかない」



忍たまどもにそう言って、俺は部屋を出た。棗のことは心配だが、今は気持ちを整理する時間が欲しい。じゃないと、次に顔を合わせた時に責めてしまいそうだ。

なぜだか、悔しくてたまらない。



倒れ込んだ棗を抱き起した時、俺の中に流れ込んだイメージ。





それは、あのヤブ医者の憎たらしい笑顔だった。











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