- ナノ -



 信じられるだろうか。このITの発達した昨今。こんなボロっちい引っかけ式の鍵一つで閉じ込められることになるなんて。しかもこの真夏に。クーラーどころか扇風機一つないこの体育館倉庫に。

 ジロリと諸悪の根源である灰色髪の男を睨みつけるが、男はポカンとした顔をして宙を見つめていた。

「…………ナマエ、俺たち閉じ込められたんじゃね?」

 誰のせいだ誰の。そう心の中で呟いて、とりあえず私は大きく息を吐き出した。


Stuck



 ことの発端はこうだ。所属するバレー部の合宿で、夏休みだというのに泊まり込みで部活に参加することになった。そのこと自体はまぁいい。我が音駒高校バレー部には私しかマネージャーが居ない。合宿ともなると、マネージャーが居ないと雑務をやる人間が居なくて大変なのだ。したがって、私が参加するしかない。だからそのこと自体は全然問題じゃない。

 問題は次だ。合宿会場は毎回持ち回りで各学校を使って行われる。今回はうち『音駒高校』でこの合宿が行われた。しかし、梟谷や他の私立高校と違い、うちはしがない公立高校だ。何が言いたいかというと、つまりお金が無い。したがって設備の面で他の高校に比べると大きく見劣りしてしまうのだ。

 話を戻そう。このオンボロの体育館倉庫は、築何年かは知らないが、おそらく創立当初からあるのだろう。もう所々ボロが出ているというのに、もう何年も改修が入っていない。扉に申し訳程度についた、このカシャンとスライドさせるタイプの鍵は、私が入学した頃から建て付けが悪く、ふとした拍子に鍵がかかってしまう。しかもかかってしまうと中からは開かない。それを知っていたので、私が入るときはいつも扉にストッパーを引っかけて開けっぱなしにしていたのだ。

 ……それなのに、この男、木兎光太郎は中に入って扉を閉めた。そして運悪く鍵がかかった。部活中だったので、当然私も木兎さんも携帯電話なぞ持っていない。こうなったら誰かに外から開けてもらうしかない。


「とにかく、暑いから窓開けようか」
「窓!? 窓なんかあんの!? ってか窓から出れんじゃん!」

 嬉しそうに目を輝かせた木兎さんの言葉には答えず、はるか頭上にある高窓を指さした。

「ちっさ!」
「無理でしょ? 私でも出らんないよ。でも、このままじゃ蒸しちゃうし。窓開けとけば声も聞こえるかもしれないから」

 ってかこの真夏にこんな密室とか、数時間で死んでしまうかもしれないし、死ななくてもその後の練習に支障をきたしてしまうかもしれない。自分はともかく、強豪校のエースをこんなところで死なせるわけにはいかないのだ。

「とりあえず、木兎さんしゃがんで。肩車したら届くと思うから」
「おう! 任せろ!」

 ドンッと拳で胸を叩きながら、木兎さんが笑う。

 木兎さんに肩車をしてもらってなんとか窓を開けると、ほんの少しだけ風が流れるようになった気がした。あとは飲み物とか欲しいなぁ……さっき作ったドリンク持ってくるんだった。っていうかいつ気づいてもらえるかな。多分今みんなご飯食べはじめたばっかりだから、あと一時間か……そのくらいかな。一時間なら多分脱水には――

 自分に言い聞かせるように思案を繰り返していると、不意にポンポンと肩を叩かれた。

「大丈夫! すぐあかーしとか黒尾が見つけてくれるって! 心配すんな!」

 もはや閉じ込められた原因も忘れたのか、木兎さんは自信満々にそう言うと、ニッと笑った。なぜか、この人のこういう所は憎めない。そして、彼にそう言われると本当に大丈夫だと思えるから不思議だ。

「……そうだね」


 どれくらいの時間が経っただろうか。時計も無い空間では、時間の経過すらわからない。暑い。汗がダラダラと滴り落ちてくる。

「ってかさ、ナマエ暑くねーの? ジャージ脱げば?」

 木兎さんは怪訝そうな顔で首を傾げながら、私の着ているジャージを指さした。

 言われてウッと言葉に詰まる。……脱げるものならとっくに脱いでいる。でも脱げないのだ。

 ……なぜなら、この下はブラジャー以外身につけていない。さっきリエーフと水鉄砲で遊んだ時にびしょ濡れになったため、Tシャツは日当たりの良い場所に干している。もうそれすら悔やまれる。なんでキャミの一枚くらい着ていなかったのか。一人ならまだしも、他の男と密室で下着姿を晒すわけにはいかない。

「……平気。このままで」
「汗ダラダラじゃん。脱げって。なんだっけ、アレ、……あ! 日中症になんじゃね?」
「……熱中症でしょ」
「おお! それ!」
「…………脱げないの。下、着てないから。だから平気」
「は!? 下裸なの!? なんで!?」
「裸なわけないでしょ。ブラジャーはしてる。Tシャツが濡れて洗濯しちゃったの。お昼終わる頃には乾いてるかなって思ってジャージ着たの。……ってか暑いから思い出させないでよ!」

 半ば八つ当たりのようにそう言うと、再び私は大きくため息をついた。木兎さんはしばらくポカンとした顔でこちらを見ていた。
 見つめられながら、なんとなく、今の発言は不味かったのではないかと思い始めていた。密室で男と二人っきりのこの状況で、ジャージの下は下着以外身につけていないと暴露する必要はなかったのではないか。木兎さんがどういうタイプか知らないが、危機感がなさすぎたかもしれない。襲われたりしたらどうしよう。暑くて頭の回らない中、しなくてもいい心配までしてしまって、ふと、優しい幼なじみの顔が頭に浮かんだ。

 心細い。早く出たい。助けて、クロ……。

 じんわりと視界が潤んだ時、視界の端で木兎さんがおもむろに着ていたTシャツを脱ぎだしたのが見えた。

「ちょっ……なに脱いでんの。木兎さん!?」

 さっき余計なことを考えてしまったせいで、もはや恐怖しか感じない。

 うそでしょ。木兎さんは好きだけど、そういう好きじゃない。それに、こんな埃っぽいところで初めてを迎えるなんて絶対あり得ない。
 恐怖のあまり後ずさると、木兎さんは脱いだTシャツを私に差し出した。

「……え?」
「これ着な。ちょっと汗かいてっけど、ジャージよりはマシじゃん? さっき雪っぺにシューってやつ借りたから臭くはないハズ!」

 グイッと押し付けるように渡され、思わず木兎さんを見つめる。

「俺は男だから裸でもいいけど、ナマエは女の子だからな。あ、俺ちゃんと向こう向いてるから、着たら教えて!」

 そう言って、ぐるんと私から背を向けた。

 その大きな背中を見ながら、失礼なことを考えた自分を恥じた。こんなに優しい人に、自分はなんてことを考えていたんだろう。木兎さんごめんね。ありがとう。そう心の中で何度もお礼を言いながら、倉庫の隅でコソコソと着替えた。
 木兎さんのTシャツは少し大きくて、私が着るとワンピースみたいだった。そして、やっぱり少し汗臭かった。


「ナマエー! ったくどこ行ったんだ。あのじゃじゃ馬は……」

 遠くからクロの声がする。

「クロ!!!」
「まじで!? 黒尾!!! 助けて!!」

 扉をドンドンと叩きながら喉が千切れそうなくらいぎゃあぎゃあと叫ぶと、少しして向こう側から扉を叩く音がした。

「ナマエ! 木兎も居んのかよ!」
「おう!」
「おう! じゃねえよ! 何やってんだ!!!」
「早く開けて! 暑い!」
「すぐ開けてやるから待ってろ! 夜久! 鍵早くしろ!!」

 扉の向こうでバタバタと足音が聞こえる。ようやく扉が開き、ムッとした室内に爽やかな風が入る。クロに抱えられながら日陰に移動すると、赤葦が飲み物と保冷剤を持ってきてくれた。

「死ぬかと思ったぁー」
「ったく……お前はなんでうろちょろすんの……」
「だって鍵が閉まっちゃったんだもん!」
「鍵壊れてるから中入るときは扉開けとけって言ったでしょーが!」
「えっ! マジで!!」

 木兎さんがハッとしたように立ち上がった。それを見て、赤葦が呆れたようにため息をついた。

「やっぱり木兎さんが原因か。ナマエ、ゴメン。……つーか木兎さんなんで裸なんですか」
「おっ!? わはは!」
「……で、なんでお前がエースの心得Tシャツ着てんの」
「木兎さんが貸してくれた」
「お前のTシャツは?」
「今洗濯して干してる。濡れちゃったから。ジャージじゃ暑いからって、木兎さんが貸してくれたの。ジャージだったら死んでたかも」
「おま……だから水鉄砲で遊ぶなってあれほど言ったじゃんよ……お前はなんで言うこと聞かねーの……」
「……ごめんなさい」

 もうしません。と、小さな声で呟くと、クロは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「……おい木兎。見てねぇダローな」
「何が」
「着替えてっとこだよ!」
「見るわけねーじゃん! ちゃんと目ぇつぶってたし!」
「ナマエ! 俺のTシャツ貸してやるからそれ脱ぎなさい!」
「えー、やだよ。多分もう乾いてるから自分の着るし。木兎さん、ありがとう。あとで洗って返すね」
「いや! むしろ洗わなくてい――」
「俺がちゃんと洗ってやる! 漂白してやるから待ってろ!」
「なんだとテメェ黒尾!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる主将連中を尻目に、副主将たちがやってきた。

「ナマエ、もう少し日陰で休んでから戻るんだよ」
「はい、海君」
「木兎さん。木兎さんは午後の練習は少し控えてくださいね」
「はぁ!? なんで!」
「熱中症になったらどうするんですか。熱中症を舐めないでください」
「えー!」
「元はと言えば木兎さんが悪いんですからね。反省してください」
「……はい」

 赤葦に叱られてションボリと肩を落とす木兎さんを見ながら、私はさっき見た木兎さんのことを思い出していた。

 あんな状況下で、あんな風に笑って勇気づけてくれる木兎さんは、とても頼もしかった。Tシャツを貸してくれたのも嬉しかった。

 ――まぁ元はといえば木兎さんが悪いんだけど 。

 でももし次に一緒に閉じ込められたとしても、今日みたいに恐怖心を抱いたりはしないだろう。

 ほんのりと彼の匂いのするTシャツを握り締めながら、先ほどよりも胸の鼓動が早まっているのを感じた。

 それがどうしてなのかは、わからないけれど。
 

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