- ナノ -


(33話)



「……月島君と…………付き合うことになった」

 ポツリと呟くと、向かいに座った綾乃とヒナは二人して顔を見合わせた。

「まぁ、よかったんじゃん?」
「うん、おめでとー!」
「……え、そんだけ?」

 もっと根掘り葉掘り聞かれることを覚悟していたのに、あっさりと引き下がられてしまった。正直、拍子抜けした気分だ。ポカンと口を開けたまま固まるさまは、さぞかし間抜けだったことだろう。ヒナは見るなり吹き出して肩を震わせた。

「なにその顔! ウケる!」
「もっと……特にヒナなんかは騒ぐと思ったのに」
「人を煩いみたいに言わないでくれるー?」
「あはは。ヒナも私も、なんとなく気付いてたからさ。言わなかっただけで」
「そゆことー」

 思ってもいなかった言葉に、思わず飲んでいたカフェラテを吹き出しそうになった。

「なっ……気付いてたって!? いつ!」
「えー? なんとなーく、二人の距離感が若干近いなーって思ったんだよね。……いつだっけ? 綾ちゃん覚えてる?」
「さぁ? 覚えてない。でも、最近だったと思う。期末終わってからかなぁ……?」
「あ! そうそう! ほら、バレー部が合宿だのなんだのでバタバタしてた頃くらい? ナマエがやたらあっつーい視線を月島君に送ってたからさぁ、こりゃ何かあったなと思ったわけ」
「おっ、送ってないし!」

 誤魔化すようにぐるぐるとコップに挿したストローを回すと、ヒナはケラケラと笑った。

 そうか。期末が終わって合宿が始まる頃といえば、ちょうど私が月島君への気持ちを自覚した頃だ。さすが、ヒナちゃんの恋愛センサーは馬鹿にできない。一瞬、自分の態度が相当分りやすかったのではとも思ったが、終わったことでわざわざ恥をかくこともないだろうと思い、その可能性は除外した。

「まぁワタシ的には影山と元サヤに戻んのかなーとか思ってたんだけどね。月島君かー。やっぱちょっと意外かも」
「私は結構前から案外気が合いそうだなとは思ってたけどね」
「マジ!? なんでそんな面白そうなこともっと早く教えてくれなかったの」
「だってヒナ騒ぐじゃん」
「騒がんし!」
「ちょっと、喧嘩しないでよ」

 どうどう、と二人を宥めていると、ヒナが大きくため息をついた。

「まぁでも高橋がちょーっと可哀想だけどね。ま、こればっかりはドンマイとしか言いようもないしね」
「高橋? 高橋がどうしたの?」
「えっ……?」
「あー、バカ。ヒナ……」

 綾乃がげんなりとした様子で顔を覆った。

「え、だって、何日か前に高橋と話したんでしょ……?」
「あー、うん。課題のコピー渡した……けど……」
「はっ!? そんだけ!? 話があるって言われたっしょ!」
「だから……課題のこと……かなって……。月島君も一緒に居たし……特に話はしなかったけど……」
「はぁ!? 月島君連れてったの!?」

 目を見開いて叫ぶヒナを尻目に、チラリと綾乃を見やると、小さな声でうわぁ……。と呟きながら首を振っていた。

「だって……部活前に一緒にお昼食べた後だったし……その後部活もあるから……」

 二人はそれっきり黙り込んでしまった。

「ってか、高橋がどうしたの。はっきり言ってよ!」
「……無理、私の口からは言えない」
「右に同じ」

 口々にそう言った二人の顔には『絶望』の二文字が貼り付いている。そんな二人の様子に、ふと頭に一つの仮説が浮かんだ。

「……ひょっとして……高橋って…………」

 私のことが好きだったりする? 声には出さなかったはずなのに、二人には聞こえたようで、二人とも同じように大きなため息をついた。

「むしろなんで気付かないのかってね……」
「ホント……そこがナマエの良い所なのかもしれないけどさぁ……ちょっと無いよねぇ……。高橋に同情する」

『最近ため息多くない?』
『なんでもないよ。ただ、哀れだなって思っただけ』

 頭の中で、先日の月島君との会話が再生された。……そういうことか。ってか知ってたんなら言ってよ月島君っ……! 思わず両手で顔を覆う。

「……だって……そんなの…………言われなきゃわかんないよ……」

 中学の時から仲が良かった高橋。私が及川先輩のファンの女どもに嫌がらせをされていた時も、綾乃やヒナと同じように庇ってくれたりしたこともある。下駄箱に虫を入れられた時に全部きれいに片付けてくれたのも高橋だ。もし、それらが彼の好意の上に成り立っていたのだとしたら、今回彼の告白を邪魔した私は、しかも付き合っている恋人を連れていった私は、どれだけ彼の気持ちを踏みにじったことになるのだろう。自己嫌悪で死にそうだ。

「……私はどうしたらいい……?」
「えー? 別にどうもしなくていいんじゃない? 今までどおりにしなよ。変に意識しないほうがいいよ」

 自分から話題を振った割には興味なさげな様子で、カールした髪をグリグリと指に巻き付けながらヒナが言った。続いて綾乃も頷く。

「そうだね。高橋は言わないって決めたんだから、ナマエも知らないふりしてあげんのが優しさってもんだよ。いつもどおりにね。それより私、月島君とのことを聞きたいんだけど」
「あ! 私も根掘り葉掘り聞きたい!!」

 私の動揺をよそに、話題は月島君とのことへと移っていった。もう終わったことのように高橋のことには一切触れない二人とは対照的に、私の心の中には高橋のことだけが居座っていた。



***



「……で? それを僕に言ってどうするワケ?」

 先日の綾乃とヒナと同じような、むしろ更に嫌悪感すら携えた顔をして、月島君がため息をついた。

 初めて彼氏を自分の部屋に招いたというのに、未だに私の頭の中は先日聞いたことでいっぱいだった。正直それどころじゃない、という感じだ。

「だって……もう頭が爆発しそうで……。っていうか、月島君は知ってたんでしょ? なんで教えてくれなかったの? 知ってたら私だって……もっと色々とやりようがあったのに……」

 もしかしなくても月島君は高橋の気持ちを知っていたのだろう。だからあえて一緒に行くと言ったのではないかと思った。でも、そういう話をされるとあらかじめ知っていたら、私だってさすがに告白の場に彼氏を連れていくなどという酷い仕打ちはしなかった。

 すると、月島君はピタリと動きを止め、静かに息を吐き出して言った。

「……じゃあなに。高橋が君のことを好きだって知ってたら、君はどうしてたの? 高橋と付き合ってた? 今から僕と別れて高橋と付き合う?」
「まさか! そんなこと考えてもないよ! 私が好きなのは……月島君だし……」
「じゃあ何がしたいの? 告白のやり直し? それで振るわけ? わざわざ言わせて?」
「それは……そうじゃないけど……」
「高橋は君のことが好きだったかもしれない。それを君に告げようとしていたのかもしれない。でも、僕と付き合ってるの知って最終的に言うのはやめようって思ったわけデショ? それを蒸し返して告白させて、それで友達でいましょう? それって高橋のためじゃなくて自分がスッキリしたいだけだよね。それこそ高橋を馬鹿にしてるんじゃないの。君ってそういうとこホント無神経だよね。直した方がいいんじゃないの」

 一息にそう言われ、たまらず黙り込む。すっごいボコボコに殴られたサンドバッグの気分。……でも月島君の言うとおりだった。私のはただのエゴで、高橋のためなんかじゃない。この罪悪感をどうにか消化して、自分がスッキリしたいだけなんだ。

「……ごめんなさい」
「謝る相手は僕じゃないと思うけどね」

 だからって高橋に謝ったらそれこそ最悪だけど。ため息と共に吐き出された言葉には、私への嫌悪感がありありと見て取れた。

「ごめんね、月島君……」
「だから、なんで僕に謝んの」
「…………怒ってるから」

 小さな声で呟くと、月島君は視線だけをこちらに向けた。

「じゃあ聞くけどさ、僕が何に腹を立ててるか、くらいはわかってるわけ?」
「……私が馬鹿だから?」
「君は元々馬鹿デショ」

 吐き捨てるようにそう言われ、ぐうの音も出ない。

「……少し前に、僕に告白してきた女の子居たでしょ。覚えてる?」
「覚えてるよ。……当たり前でしょ」
「たとえば、僕がその子のことを気にしてぐだぐだ言ってたら、君はどう思うわけ? あの断り方は可哀想だったかな。もっとちゃんと話を聞いてあげれば良かったかな。そんなことをぐだぐだ言ってたらさ、君はイライラしないわけ?」
「…………する」
「自分と付き合ってるのに、なんでそんなにその子のことを気にするんだろう。ひょっとして、本当はその子と付き合いたかったのかなとか、思ったりしないわけ?」
「…………思う」

 そこまで言われて、血の気が引いた。自分がどれだけ無神経なことを言っていたのか、ようやくわかった。他の男のことをぐだぐだと恋人から聞かされて、良い気分なわけがない。どうしてそんな簡単なことに気付かないんだろう。私が一番に大事にしなければいけない人が誰なのか、ちゃんとわかっていたはずなのに。

「……わかればいい」

 そう言って、月島君はフイッと私に背を向けた。その大きな背中が寂しげで、思わず駆け寄り後ろから月島君に抱きついた。

「ごめん。もう言わない」
「……当然デショ」

 そう言って、月島君は私の手をそっと撫でた。

 甘えすぎた。月島君が優しいからって。その優しさに甘えてばかりいたら、いつか愛想を尽かされてしまう。そうならないように、もっとちゃんと……そう、思いやりを持って――

「っていうかさ、いつまで無駄話してんの。早くテキスト出しなよ。課題の残りやるんじゃないの」

 ベリっと私の手を引き剥がして、月島君はさっさとテーブルへと向き直った。

 そうだった。今日は午後から体育館が使えないため、部活は午前で終わったのだ。由緒正しき進学クラスに通う私たちは、優等生らしく、夏休みの課題をさっさと終わらせてしまおうということになったのだった。

 席についた月島君が、視線だけで早く座れと促してくる。もういつもの月島君だ。あまり引きずらない方がいいだろう。失敗は反省して、これからに活かしていけばいい。少なくとも月島君は私の愚行についてそう判断を下したのだろう。そう信じて、私も席に戻った。


「そういえば、田中さんたちも今日課題やってるんだって。縁下さんがぼやいてた」
「へぇ」
「日向と飛雄もちゃんと課題やってるかな……」
「さあね」

 興味なさげに呟くと、月島君は数学のテキストを広げた。

「あ、ねえ。ここわかんない」
「……まずは自分で考えなよ」
「ここまではわかったの。ここから先がね……」
「…………ホントいい性格してる」
「なんか言った?」
「なんでもないよ、女王様」

 そう言いながら、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、月島君は私がわからないと言った問題をちゃんと教えてくれた。




 二時間ほど経って、ようやく残っていた課題が片付いた。

「あー、終わったぁー……」

 グッと伸びをしながら後ろのベッドへとゴロンと倒れ込むと、月島君が呆れたような視線を向けた。

「あ……ハハハ。ごめん、気が抜けちゃって」
「パンツ見えるよ」
「えっ!」

 慌てて体を起こしてスカートの裾をグイッと下げる。

「なんだ。誘ってるのかと思った」

 冗談なのか本気なのかわからないような顔をして月島君はそう言った。途端に心臓が忙しなく鼓動を刻みだす。

「つ、付き合って……まだ……一週間くらいだし…………そういうのは……その、まだちょっと早――」
「冗談だからそんなに焦らなくてもいいよ」
「じょっ……そ、そう……ですか」
「まぁでも、そのうちするつもりだから。心の準備くらいはしておいた方がいいかもね?」

 煽るようにそう言うと、月島君は口元だけで笑った。まるで今この場で丸裸にされたような、心の奥底まで見透かされたような、そんな感覚に陥り、私は小さく「はい」と返事をするので精一杯だった。

「さてと、課題は一通り片付いたんだよね?」
「うん。あ、どこか出かける? 映画とか……」

 言いかけた瞬間、私の携帯電話が机の上でガタガタと震えだした。一体誰だろう? 自慢じゃないが私の携帯は滅多なことがない限り鳴らない。不審に思いディスプレイを睨むと、思いがけない人物の名前が表示されていた。

「あ、飛雄」

 口に出した瞬間、向かいに座る月島君がピクリと動いたような気がした。マズイ。さっき他の男のことで険悪になったばかりなのに、普段から仲の悪い飛雄からの電話となれば、彼の機嫌が悪くなるのは避けられないだろう。

 そっと月島君へと視線を向けると、月島君はジッとこちらを見ていた。

「……出ないの」
「……出ていいの?」

 様子を窺うように問いかけると、月島君は苛ついたように息を吐き出した。

「いいから出なよ。切れるよ」
「ごめんね」

 素早く通話ボタンを押すと、耳元で飛雄の低い声がした。

「もしもし? どうしたの」
『今暇かよ』
「暇なわけ無いでしょうよ。なに、どうしたの」
『……今…………課題をやってる』
「へぇ! えらいじゃん。頑張っ――」
『わかんねぇ』
「わかん……は? なんて?」
『今部室にいる』
「……だから?」
『……教えて……ください』
「はぁ!? 無理だから! 言ったでしょ!? 私今忙しいって」

 飛雄には悪いが、こちらも死活問題だ。さっき失敗をやらかしたばかりで、これ以上の失敗は許されない。これ以上彼に嫌われたくない。彼の機嫌を損ねるわけにはいかないんだ。
 確固たる決意と共にキッパリと断りを入れた瞬間、部屋に着信音が鳴り響いた。私の携帯は使用中なので月島君のものだろう。チラリと見ると、月島君もポケットから自分の携帯を取り出している所だった。ディスプレイを見て、嫌そうに顔を歪めている。そして少し画面を眺めてから画面をタップして机に携帯を置いた。同時に、耳元の端末の奥から「あ! 切られた!」という声が聞こえたような気がした。

「……誰から?」
「さあね、知らない人」

 マイク部分をそっと指で塞いで問いかけると、月島君はムッとした顔で答える。どう見ても見知らぬ他人からの電話ではなさそうだ。

 再び、月島君の携帯が鳴る。今回も彼は電話を取るつもりはないらしく、手すら伸ばさなかった。覗き込むようにディスプレイを見ると、『日向翔陽』と表示されていた。そして携帯はしばらく鳴り続けたのち、再び沈黙した。遠くで「今度は出ねぇし!」と声がする。

「……ねえ飛雄。ひょっとして、今日向と一緒に居たりする?」
『……そっちこそ月島と居んのか』

 耳元で不機嫌そうな声がする。

「……居ますけど」

 チラリと月島君を見ると、こちらもとても不機嫌そうだった。さすがに限界が近そうだ。もう切らないとマズイなと思いつつ、なかなか会話を切り上げるタイミングが掴めない。

「もういいでしょ。そろそろ電話切りなよ」
「いやこのタイミングで切るとか無理でしょ」

 すると月島君はこれみよがしに大きくため息をついて立ち上がった。

「貸して」
「あっ! ちょっと……」

 有無を言わさずに私から携帯を取り上げ、耳に当てた。

「何の用? 王様。……いや別に休みの日に僕が誰と何をしようと君に関係ないよね?」

 携帯から飛雄の怒鳴り声が微かに聞こえてくる。案の定始まった言い合いに、私は携帯を渡したことを後悔した。人を小馬鹿にしたこの笑い方で、月島君が今どれだけ苛ついているか、よく分かる。

「……で、あと何個残ってんの。……課題だよ、課題。…………分かった、今から行く。でも一時間したら帰るから」

 そう言って通話を切ると、月島君は私の頭の上にポンと携帯を乗せた。携帯を受け取りながら、予想していなかった流れに半ば呆然としながら月島君を眺めていると、月島君は眉間にシワを寄せた。

「行かないの? 君はここで待ってる?」
「え、行くの? 部室? なんで……」
「放っておくと馬鹿二人がしつこそうだからさ。さっさと行って終わらせた方が効率いいデショ」

 そう言って、月島君はほんの少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。

 可愛い。この人のこういうところが、たまらなく可愛い。やっぱり好きだなぁと彼への気持ちを再確認しながら、彼にバレないように心の中だけでこっそりと笑った。

 立ち上がり、彼の隣に並ぶと、私を見つめる目が薄らと弓形に変わる。差し出された大きな手を取りながら、ちっとも素直じゃないこの背の高い男を、私は心の底から愛おしいと思うのだった。
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