- ナノ -


(24話)



 体育館に近づくにつれ、日向と飛雄の怒鳴り声が聞こえてくる。

「トス上げてくれるまで、放さない!!」
「お前のわがままでチームのバランスが崩れんだろーが!!!」

 慌てて中を覗くと、日向が飛雄につかみかかったり、投げ飛ばされたり、というのを繰り返していた。

「や、やめようよ……な、仲良くしよ? ね?」

 二人の傍らでは、泣きそうな顔をしている谷地さんの姿も目に入った。

「ちょっと! バカ! 何してんの!!! やめなさい!!!」

 慌てて二人の間に割って入ろうとすると、投げ飛ばされた日向が勢いよく飛んできた。したたか尻を地面に打ち付け、思わず顔をしかめていると、急いで谷地さんが駆け寄ってきた。

「ミョウジさん! 大丈夫!?」
「谷地さん、誰か呼んできて! 大地さんか田中さん。いなかったら先輩なら誰でもいい」
「わ、わかった!」

 コクコクと頷いて、谷地さんは駆けて行った。

「二人とも! やめなさいってば!! もう! 飛雄!!!」

 座り込んだまま声をかけるが、二人の取っ組み合いが終わる気配は全く無い。これは本当に先輩が来るまで何も出来そうにないな。私じゃあ止められない。お手上げだ。諦めの気持ちで見守っていると、見慣れた坊主頭が顔を出した。

「おいお前ら!! やめろーー!!!!」

 谷地さんが呼んできたのであろう田中先輩に押さえつけられ、ようやく二人の喧嘩はそこで収束した。





 学校を出てからずっと無言で歩く背中を、後ろからじっと見つめる。

「……ねえ、大丈夫?」

 声をかけると、飛雄はチラリと振り返り、再びスッと前を向いてしまった。そんな飛雄に、私は小さくため息をついた。

「私はなんとなく分かるけどな。日向の意見も」
「あぁ!? 俺が間違ってるって言うのかよ!」

 噛みつくような勢いで振り返りながら、飛雄は声を荒らげた。

「違うよ、ちょっと落ち着きなって」

 どうどう、と宥めるように声をかけるが、飛雄はまるで子供のように口を尖らせて、そっぽ向いている。

「確かにあの速攻には日向の意思は必要ないのかもしれない。むしろ合わなくなるから日向の意思はあっちゃいけないのかもしれない。……でもさ、日向は打たせてもらうだけじゃダメだって思ったんでしょ? 実際に音駒の……あー、何君だっけ? 忘れたけど。あの背の高い人に止められてたじゃない。別に飛雄のトスがどうこうじゃないんだよ。否定したんじゃないの」
「お前に何が分かんだよ!!!」

 言ってしまってから、飛雄はハッとしたように私を見た。『しまった』と顔に書いてある。

「……ほら、そうやってシャットアウトする。そういうふうに言われたら、言われた相手は何も言えなくなっちゃうでしょーが」

 言いながら額を小突くと、飛雄は言いづらそうに口を開いた。

「……悪い」

 まるで叱られた子供のようにシュンとした飛雄の様子を見て、思わず小さく笑うと、髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

「分かればよろしい。私はいいけどさ。気をつけなよ、飛雄のそういうところ、良くないよ。
 ……まぁ、今すぐ答えを出そうとしないでさ、ちょっと考えてみなよ。上手くなりたい、強くなりたいっていうのは、別に悪いことじゃないでしょ?」

 その言葉に再びむすっとした顔に戻ると、飛雄は無言で歩き出した。

 やれやれ、気難しい王様だこと。心の中でため息をついて、私は飛雄のあとを追った。



***



「おい」

 翌日、教室で友人達と一緒に昼食を摂っていると、飛雄が昨夜と同様のムスッとした顔で現れた。

「……何よ、怖い顔して」
「……放課……き合……」

 小さい声でボソボソと何か言っているのは聞こえるが、肝心なところが聞こえてこない。

「なに? 聞こえない」
「だから! ……放課後、一緒に来てくれ」

 そう言って飛雄は一枚のチラシを差し出した。

「なにこれ。『プロが教える……バレーボール教室』?」

 再び飛雄に視線を戻すと、気まずそうに視線を外したままほんのりと頬を染めている。

「……頼む」

 子供のように口を尖らせる飛雄に、思わずクスリと笑う。このチラシなら夕べうちにも入っていた。きっと、昨日の夜にこれを見て、飛雄なりにいろいろ考えたんだろう。

「いいよ。行ってみよう」

 そう言うと、飛雄の顔がパァッと明るくなった。



***



「だから早くしなって言ったのにー。もう終わっちゃったんじゃないの?」
「うるせえな! 分かってるよ……」
「まったくもう。行こうって言ったのは飛雄でしょ? なんで今更怖気づくかな」
「べっべつにそんなんじゃねえよ!」

 会場と思われる体育館からは、明らかに帰宅の途についていると思われる子供や親子連れが疎らに出てきている。直前で行く行かないと子供のように駄々を捏ねる飛雄を引っ張っては来たが、『バレー教室』は終わってしまったらしい。

「せっかくここまで来たのに……」
「しかたねぇだろ」
「なあ徹! サーブ教えてくれよ!」
「まず呼び捨てやめようか」

 聞き覚えのある声と名前に、引き寄せられるように振り返った。すると声の主もこちらを見て目を見開いた。

「「「あ」」」

 三人の声が綺麗に重なる。

 声の主はやはり及川先輩だった。偶然とは恐ろしい。まさかこんな所でライバル校の主将に会うなんて。そしてなぜか小学生くらいの少年を連れている。

「及川さん! 何してるんスか」
「甥っ子の付き添い。ナマエちゃん、久しぶり。元気そうだね」
「こんにちは。先輩こそ、お元気そうですね」

 つい先日、試合会場では姿を見たのだが、結局あの日は及川先輩やはじめ君に会う事無く帰ってしまった。なのでこうして会話をするのは練習試合の日以来だ。

「飛雄ちゃんと二人で出掛けるなんて、ずいぶん仲良いじゃん」

 及川先輩がムッと口を尖らせながら言った。

「……チームメイトなので」

 にっこりと笑って返すと、及川先輩は驚いたように目を見開いた。

「えっ! じゃあナマエちゃんバレー部入ったの!? 岩ちゃんってば何も言わなかったじゃん!」
「入って一週間くらいだよ。はじめ君もまだ知らないんじゃない?」
「そうなの!? ……まぁナマエちゃんが楽しいならいいけどさ」

 まだ少しムスッとしながら、及川先輩はそう言った。珍しい。少し前なら『なんで入ったんだ』だの『なぜ言わなかったんだ』とグチグチ恨み言を言われていたはずだ。それなのにこんなにすんなり納得するなんて。子供っぽく見えてもやはりそこは二歳差。私が思うよりも遥かに大人なのかもしれない。

 すると、ずっと黙り込んでいた飛雄が、意を決したように口を開いた。

「及川さん! 話を聞いてくれませんか?」
「いやだねバーカバーカ!」

 子供のようにべーっと舌を出しながら言う。前言撤回。やっぱり子供っぽい。


「お願いします! 話を聞いてください!」

 そう言って飛雄は深々と頭を下げる。

 お願いします! と、頭下げっぱなしの飛雄を見て、及川先輩はため息を一つついた。そして、甥っ子君をチョイチョイと手招きで呼んだ。

「猛、ここ持って。こう。飛雄動くな」

 手短に甥っ子君に使い方を教え、飛雄に向かってそう言うと、及川先輩は携帯に向かってピースサインをした。

「イエーイ! 飛雄、及川さんに頭が上がらないの図!」
「……」
「徹こんな写真が嬉しいのか? ダッセー」
「及川先輩のこういうとこ、ホント信じらんない……」

 呆れたように見つめるが、及川先輩は気にした様子もなく満足そうに携帯をしまった。

「話くらい聞いてやらなくもないけどさぁー、俺忙しいんだよねぇ」
「カノジョにフラレたから暇だってゆったじゃん!」
「猛! ちょっと黙ってなさい!」

 それを聞いて、スッと心が冷えた。

「へぇー。彼女居たんだぁ……。散々人に付き合おうとか言ってたくせに、彼女居たんだぁ」
「ナマエちゃん! 違う!」
「何も違わないよねぇ。……やっぱり及川先輩の言うことは信用しない」

 別に及川先輩の軽口を本気にしていたわけじゃない。付き合おうと思っていたわけでもない。でも、なんとなく勝手に振られたような、なんとも言えない気分になる。それこそ勝手な言い分かもしれないが。

「ナマエちゃん! やきもち焼いてくれるのは嬉しいけど――」
「やきもちじゃない!」
「及川さん! お願いします! 話を聞いてください!」
「お前はホント空気読まないよね……。ナマエちゃん、飛雄の話が終わったらちゃんと話し合おう!」
「えー……別に話すことなんか無くないですか?」
「ナマエちゃん!」
「及川さん!」
「飛雄黙ってろ! 俺にとってはナマエちゃんの方が重要なんだよ!」
「うるさいなぁ! 早く話聞いてあげなよ!」

 そう言うと、及川先輩はムッと口を尖らせた。

「じゃあさ、ナマエちゃんが俺とデートしてくれるっていうなら話聞いてやってもいいよ」
「はぁー?」
「だって飛雄ちゃんとだけデートするなんてずるいじゃん!」
「だから、デートじゃないから」

 チラリと飛雄の様子を盗み見ると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。及川先輩に話を聞いてもらいたいが、私にそんな事頼めないのだろう。どうしたらいいか分からないといった様子でこちらをチラチラ見ている。

「……仕方ないなぁ。一回だけね」
「えっ! ホント!?」
「はい。中学の時の約束も流れたままだし」
「おい!!!」
「別に飛雄の為ってわけじゃないから、飛雄は気にしなくていいよ。ほら、相談するんでしょ。さっさとしなよ」

 そう促すと、飛雄は及川先輩へと向き直り、言いづらそうに口を開いた。

「……もし、大会が近いのに……えーっと、岩泉さんが無茶な攻撃をやるって言ったら……」
「ちょっと、何か相談したいならヘタクソな例え話やめて直球で来なよ」

 言われて、飛雄は意を決したように話し出した。なんとなく聞き耳を立てるのも申し訳ない気がして、とりあえず私はその場を離れた。


 甥っ子君が興味深そうにこちらを見ている。

「えーっと、猛君だっけ?」
「おう!」
「私はミョウジナマエです。よろしくね」

 猛君と目線を合わせるようにしゃがみ込むと、猛君はほんの少し恥ずかしそうに俯いた。

「猛君は及川先ぱ……徹君にバレーを教えてもらってるの?」
「時々! 徹はサーブがすっげー上手ぇんだ!」

 目をキラキラさせながら、猛君が言う。きっと、猛君にとって及川先輩は憧れのお兄ちゃんなんだろうなと思った。私にとっても、はじめ君と及川先輩はいつだって憧れだった。

「じゃあ、きっと猛君も上手くなるね」
「ホント!?」
「うん。お姉さんも小さい頃、徹君に教えてもらったんだよ」
「じゃあお姉ちゃんも上手い!?」
「どうかな。あ、でもレシーブはちょっとだけ自信あるかも」
「じゃあ徹のサーブ取れる!?」
「それはちょっと……無理かな」

 ハハハ、と笑いながら答えた。さすがに西谷さんや澤村先輩がやっと取れるようなサーブを、今の私が取れるとは思えない。そんなやり取りを終えた所で、話が終わったのか及川先輩がやってきた。

「あれ、もう終わったんですか?」
「まあね。猛……俺を差し置いてナマエちゃんと楽しそうに……」
「小学生にやきもち妬かないでよ」

 ジロリと呆れた視線を向ければ、及川先輩は小さくため息をついた。

「じゃあナマエちゃん、連絡するから、携帯ちゃーんとこまめに確認しといてよね」
「あーハイハイ」

 本当に雑だよ! 岩ちゃんに言うよ! と憤慨しながら、及川先輩は甥っ子君と去っていった。


「さてと、私達も帰ろうか。聞きたいことは聞けた?」
「…………おう」

 心なしかスッキリしたような顔をして飛雄が呟く。とりあえず一安心だろうか。

「じゃあ、帰ろっか」
「……体育館に行く」
「今から? でも点検でしょ?」
「終わってたら、少し練習出来る」

 子供のような顔でそう言うと、飛雄は鞄を抱え直した。相変わらずのバレー馬鹿だ。

「あー……付き合ってあげたいけど、私この後病院行くんだよね」
「……また何かやったのかよ」
「違う違う。もうほぼオッケーだから、今日問題無ければいつも通りでいいってお墨付きもらうだけ。激しい運動はもちろんダメだけど、体育とか軽い運動くらいなら出来るようになるよ」
「……そっか」

 飛雄が安心したようにホッと息を吐き出した。

「じゃあ、一人で平気?」
「……おう」
「じゃあまた明日ね」

 さっきよりも晴れやかな顔をして去っていく飛雄の背中を見送る。初めて会った時は、私よりも小さかった飛雄。あんなに小さかったのに、いつの間にか大人になっちゃったなぁ。それが寂しくもあり、嬉しくもある。なんだか不思議な気分だ。


 ジリジリと西日が照りつける。暑い。でも不思議と不快感は無かった。もうすぐ東京で二回目の合宿がある。東京はもっと暑いのだろうか。
 合宿までに、飛雄と日向二人が納得のいく形で折り合いが着きますように。そんなことを思いながら、私は病院へと向かった。

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