- ナノ -


(19話)



 皆、もう中学の時とは違う。金田一も、国見も、中学の頃とは別人のようにのびのびプレーしていた。飛雄だってそうだ。もう、ベンチに下げられても、茫然自失になったりなんかしない。きちんと試合を見て、今の自分に出来ることを探す。自分に足りないものが何かを考える。そういうことが出来るようになった。『成長する』って、きっとこういうことなんだろうと、漠然と思った。

 なら、私はどうなんだろう。何か一つでも成長できたんだろうか。

 何かあるとすぐに怖がって、逃げることばかり考えてしまう。新しいことを始めたいと思っても逃げ道を残しておかないと不安で。だからこうして傍観者のように上から試合を眺めてる。

 自分で決めたことのはずなのに、虚しいのはどうしてだろう。

 見てるだけしか出来ないことが、こんなにもどかしいなんて思わなかった。「頑張れ!」と、声が潰れて出なくなるまで叫んでも、ここからじゃ声なんか届かない。悔しい。何も出来ないことが。……ただただ悔しかった。


「……大丈夫か?」

 嶋田さんが心配そうな顔でこちらを見ていた。

「あ……ごめんなさい。なんか……気が抜けちゃって」

 作り笑いすらできずに、それだけをなんとか吐き出した。泣くのを堪えるので精一杯だった。歯を食いしばって耐えていると、嶋田さんは困ったように笑ってから、ポツリと言った。

「悔しいよなぁ……見てるだけでもさ。俺は現役時代ほぼ試合に出ることは無かったから、こうして上から見るだけのことの方が多かった。……それでも悔しいもんは悔しいし、それは別に悪いことじゃないんじゃない?」
「……でも、私は何もしてないです。ただ、ここから見てただけ。……私は、みんなみたいに戦ってない」

 嶋田さんがフッと笑った。

「ナマエちゃんって結構頑固なんだな」
「……」
「ならさ、ナマエちゃんに出来ること、今からやってみたら?」
「私に……出来ること……?」
「ああ。バレー、好きなんだろ? 怪我して出来なくなったって言ってたけど、それでもこうして観に来てるってのは、負けて悔しいって思うのは、好きだからじゃないの?」

 バレーは好きだ。それに、烏野というチームが好きだ。

「でも……今更……」
「今更ってことないだろ。ナマエちゃんまだ一年じゃん。まだ間に合うよ」
「……そうでしょうか」

 今更仲間に入れて欲しいなんて言って、嫌がられたりしないだろうか。つい、そんなことばかりを考えてしまう。

「ナマエちゃんが一番したいことは何?」

 嶋田さんの優しい声に顔を上げる。

「今日見てて、なんか思ったんだろ? だから、そんな顔してるんだろ? 若いうちの青春はさ、特別なんだよ。大人になったら、そういう機会はどんどん減ってく。今を逃したら、後悔するぞ」
「説教くさいな。お前も十分おっさんくさいぞ」
「なんだと!」

 滝ノ上さんの言葉に、嶋田さんが憤慨したような声を上げた。そんな二人のやり取りに笑いながら、スッと心が軽くなるのを感じた。

 そうか。我慢しなくてもいいんだ。カッコ悪くても、今更何だと言われても、何もせずに後悔するよりはずっといい。

 大きく息を吸って吐き出すと、急に目の前が晴れたような気がした。

「……考えてみます。自分に何が出来るのかと、……自分が、何をしたいか」
「おう! 頑張れ!」

 そう言って、嶋田さんはニッと笑った。



***



 翌日登校すると、月島君がもう席に座っていた。朝練は無かったんだろうか。試合の翌日だし、当然か。心なしかぼんやりしたような様子で窓の外を眺めている。

「おはよう」

 音楽を聴いているようなので、邪魔をしないようにそっと顔を覗いてから小さく声をかけた。
 月島君はヘッドフォンを外し、同じように「おはよう」と返した。

「昨日はお疲れ様」
「……どうも」

 そう言ったきり、月島君は何も言わなかった。無理もない。試合は負けてしまったし、どんなにいい試合をしたとしても負ければそこで終わりだ。それでもいい試合だったとか、惜しかったとか、そんなことを言っても結果は変わらない。

 結局気の利いた言葉は何も出てこず、試合に関することは何も言えなかった。



 昼休みになり、山口君が月島君の席までやってきた。

「ツッキー!!! ご飯食べよう!!」
「うるさい、山口」
「ゴメン! ツッキー!」

 いつものやり取りに思わず小さく笑う。山口君だってあのサーブは悔しかったろうに。きちんと切り替えて前に向かう強さを持っているのだと思った。月島君の方も、もういつも通りだ。

「山口君、ここ座って」
「え、ミョウジさんは?」
「ちょっと行くところがあるから大丈夫」

 やや強引に山口君の肩を押し、席へと座らせる。

「ナマエ!? どこ行くの! ご飯は?」
「あとで食べるから先食べてて!」



 教室を出て、隣のクラスを覗くが、飛雄の姿は無かった。それどころか人がほとんど居ない。前の時間は移動教室だったんだろうか。そんなことを思いながら壁に貼ってある時間割を見ると『体育』と書いてあった。
 少しして、ジャージ姿の生徒が何人か帰ってきた。飛雄もそろそろ帰ってくるかと待ってみるが、飛雄姿は見えない。

「あの、影山君って今日学校来てる?」

 とりあえず三組の生徒と思わしき男子生徒に声をかける。

「影山? ああ、なんか体育館の方に歩いて行ったけど」

 声をかけた生徒は若干怪訝そうな顔をしながらも教えてくれた。「ありがとう」とお礼を言って、私も体育館の方へと向かった。



***



 体育館に近づくと、何やら奇声のような叫び声が聞こえた。遠くの方から『うおー』とか『うがぁー!』とかそんな声が響いてくる。

「な、なに……この声……」

 え、どうしよう。入って大丈夫かな。っていうかこの声、飛雄の声に似てるんだけど。

「おじゃましまーす……」

 恐る恐る中を覗くと、飛雄だけでなく日向も一緒になって叫んだりゴロゴロ転がったりサーブを打ったりレシーブしたり走ったりしていた。

「えー……なんなの……」

 呆然としながら思わず呟くと、すぐ後ろで誰かがクスリと笑う気配がした。振り返ると、そこに居たのはマネージャーの清水先輩だった。

「清水先輩」
「部室に行ったら声が聞こえたから」

 たしかに、この音量なら部室まで届いても不思議ではないかもしれない。

「あ、終わったみたい」

 見ると、二人とも床に転がってゼエゼエと肩で息をしている。

 近づいて大丈夫なのかな。そう思いながら様子を伺っていると、転がったままの日向がポツリと言った。

「……勝ち……てぇ……」

 日向が吐き出すように言う。それを受けてか、飛雄がひっくり返ったまま続けた。

「……俺はもう謝んねぇ。謝んなきゃいけないようなトスは上げねぇ……!」


 悔しい。

 そんな感情だけが伝わってくる。私だって悔しかった。でもきっと私と飛雄達の『悔しい』の種類は違う。それが余計に悔しい。

 見ているだけしかできないのが、もどかしかった。私だって何かしたい。彼らのために。

『私だって一緒にバレーがしたい』

 ずっと、そう思うことから逃げてきた。

 バレーはたかが部活。ずっと続けられるものじゃない。バレーができなくなるくらいで、人間死にはしない。できなくなったってへっちゃら。悔しくなんかない。そう言い聞かせて納得したような気になっていた。

 でも、もうやめる。


「時間無い。止まってる暇、無い」

 日向が晴れやかな顔で言う。その隣にいる飛雄も同じような顔をしている。そんな二人を見て、清水先輩がクスリと笑った。

「二人とも、大丈夫そうだね」
「……はい」

 清水先輩は二人に向かって近づくと、小さく咳払いをした。

「でも、お昼はちゃんと食べなさい」
「しっ、清水先輩!」
「あと、あんまり奇声を発しない様に。部室まで聞こえた」

 清水先輩の言葉に、日向はあわあわした様子で「ハッ」とか「フィッ」とかよくわからない相槌を打っている。

「あ、あの! 三年生は、残りますよね!? キャプテンは春高行くって……東京のでかい体育館で戦うって言ったの、変わらないですよね!?」
「うん。変わらない」

 日向の言葉に、清水先輩がハッキリと頷く。清水先輩の表情も心なしかスッキリしているような気がした。

「ありがとうございます! じゃあ影山、飯食うべ!!」

 そう言って、日向は飛雄を連れて体育館を出ていった。


「日向待って!」

 体育館を出た日向の背中へ向かって慌てて声をかける。日向はキョトンとしたような顔をしてこちらを振り返った。

「あの……あのね、日向……」

 なかなか言葉が出てこない。
 ちゃんと出来るだろうか。逃げずに、最後まで。ちゃんと出来るだろうか。

「ナマエ?」
「おい、飯食い行くぞ」
「いや、ナマエがなにか話そうとしてんじゃん。待ってやれよ」

 日向に言われて、飛雄が早くしろと言いたげな顔をしてこちらを見ている。
 どうすればいいのか頭では分かっているのに、最後の一言が出てこない。この期に及んでまだグダグダと尻込みしている自分が嫌になる。


『ナマエちゃんが一番したいことは何?』

『好きなら、選べばいいだけだよ』


 グッと唇を噛み締めると、拳を握った。

「ひ、日向。レシーブ練習……する気、ある?」

 途端に日向の目がキラキラと輝いた。

「ある!!!」

 大したことは出来ないかもしれない。それでも、何もしないで見ているのだけは、もう嫌だ。

 私にだって、何か出来るんだって、そう思いたかった。



***



「じゃあ、昼休みに教えてくれんの?」
「うん」
「毎日!?」
「ま、毎日!?」

 出来なくはない。昼休みはとくに用事も無いし。ただ、足のことだけが気がかりだった。ついこの間も体育で痛めたばかりだし、病院の先生からも今月いっぱいは体育は見学しろと言われている。

 ……でも休み時間に少し教えるだけだし。

「分かった、昼休みね。あと、今月は木曜日に委員会の当番があるの。練習終わるくらいにこっちも終わるから、自主練の時間に少しレシーブ練習できるよ」
「ホント!?」
「あ、でも澤村先輩に聞いてからね。私バレー部じゃないから」
「わかった!」
「……足は?」

 それまで黙々とおにぎりを食べていたはずの飛雄が、いつの間にか食べ終わってこちらを見ていた。

「……昼休みにちょっと教えるだけだし。大丈夫でしょ」
「足って何?」
「大丈夫。日向は気にしなくていいの」

 日向は納得したのかしていないのか分からないような顔をしながら、首を傾げた。
 日向に足の事を言うべきではないと思った。言ったら、気にするに決まってる。

「じゃあ、明日からね。オッケー?」
「オッケー!」


 飛雄はまだ不服そうな顔をしていたけれど、私は見ないフリをした。
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