- ナノ -


(9話)



 練習が終わり、選手たちが疎らに動き始めた。残って自主練に切り替える人、参加せずに帰る人。それぞれだ。

 飛雄と日向は当然自主練をするつもりらしく、なにやら二人で話をしている。

 一方、月島君と山口君は自主練には参加しないようで、早々に体育館から出て行ってしまった。練習中は真面目に取り組んでいるように見えたが、自主練まではしないらしい。

 公私きっちり分けますって感じだもんね、月島君。

 そんなことをぼんやり考えていると、清水先輩が下からこちらの様子を伺うようにしているのが見えた。練習が終わったのに降りてこないのを心配してくれているんだ。慌てて梯子を伝って下へと降りる。


「見学、ありがとうございました」
「ううん。大丈夫だった? ボールとか当たってない?」
「はい。大丈夫です」
「よかった。ボーッとしてたみたいだったから心配してたの」

 そう言って、清水先輩は微笑んだ。やっぱり清水先輩も良い人だ。

「主将に紹介してもいい? 気になってるみたいだから」
「はい」

 清水先輩に連れられて、先日試合で見たレシーブの上手い落ち着いた雰囲気の先輩の元へと向かった。やっぱりこの人が主将なんだ。今日案内してくれた菅原先輩とOBの人も一緒に居る。


「澤村、ちょっといい?」
「おう」
「今日見学に来てくれた、一年四組のミョウジナマエさん」
「はじめまして、ミョウジナマエです。本日は練習を見学させていただき、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げながらそう言うと、澤村と呼ばれた先輩は少しだけ驚いたように目を大きくしてから、声を上げて笑った。

「ははは。そんなかしこまらなくていいよ。主将の澤村です。よろしく。スガにはもう会ってるんだよな?」
「はい。始まる前に案内していただきました」

 チラリと視線を向け小さく頭を下げると、菅原さんは人懐っこい顔でパタパタと手を振ってくれた。

「あとはこっちの髭が東峰。コイツも三年な」
「はじめまして。三年三組の東峰です」

 聞いた瞬間思わず「えっ」という言葉が口をついて出そうになり、慌てて飲み込んだ。
 てっきりOBだと思っていた。危ない。そうか、三年生だったのか。

「……よろしくお願いします」

 気まずさを誤魔化すように笑うと、隣で菅原さんがブッと吹き出した。

「ナマエちゃん、旭のこと三年だと思わなかったんだべ?」
「そっ! そんなことはっ!」

 ブンブンと首を振りながらそう言うと、東峰さんは気まずそうな顔をして頬を掻いた。

「はは……慣れてるから大丈夫だよ……」
「す、すみません、あの……そんなつもりでは……」

 本当にごめんなさい。そう言いながら何度も頭を下げると、東峰さんも困ったような顔でペコペコと頭を下げた。

「ホント、もう謝んないで。謝られた方が辛いっていうか……」
「はっ! そうですよね! すみません!」
「いやっ、だから……」
「おい旭っ! 虐めんなよ!」
「ええっ! 俺のせいか!?」

 菅原さんにドヤされ、東峰さんは再び縮こまった。

 練習中の殺気は何処へやら、東峰さんはとても腰の低い人だった。今日会ったバレー部の中で一番穏やかと言っても過言ではないだろう。東峰さんもとても良い人だった。




 主将たちに挨拶をして、体育館を後にしようと扉へと向かうと、飛雄がいつの間にか私のすぐそばまで来ていた。

「おい、帰んのか」
「うん。そろそろ」
「用事あんのかよ」
「特に無いけど……。飛雄は自主練?」

 その問いかけに、飛雄はコクリと頷く。わざわざ聞くってことは、私にも残って欲しいんだろう。ボール出しでも頼まれるのかな。

「ボール出ししようか?」
「いいのか!」
「そのつもりで声かけたんじゃないの?」

 クスクス笑いながらそう言うと、飛雄は気まずそうに目を逸らす。相変わらず可愛い男だ。

「少しだけね?」
「分かってる」
「飛雄の『少し』じゃなくて、私の『少し』だよ?」
「わーってるよ! うるせーな」



 結局最後まで飛雄と日向のスパイク練習に付き合って、帰る頃にはすっかり遅くなっていた。お腹が空いたことを意識したのと同時に、お腹の辺りでキュウと小さな音がした。帰りにコンビニにでも寄ろう。

「今日はありがとうございました。楽しかったです」
「こちらこそ。またいつでも見においでな」

 丁寧に頭を下げると、澤村先輩は笑ってそう言ってくれた。


「おい、着替えてくるから待ってろ。送ってく」

 飛雄にそう言われて首を傾げた。

「家すぐそこだよ?」
「時間もう遅ぇだろ。いいから待ってろ」

 平気なのに。そう思いながら頷くと、部室へかけていく飛雄の後ろ姿を見送った。


 怪我をしてから、飛雄はずっとこうだ。きっと、責任を感じているから。……飛雄のせいじゃないのに。

「……過保護だなぁ」

 ボソッと呟くと、意味ありげな視線を向ける菅原先輩と目が合った。

「ナマエちゃんと影山ってホント仲良いんだな。本当は付き合ってたりする?」

 思わずブッと吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。小さく咳払いを一つして、菅原さんへと向き直る。

「飛雄とは小学校から一緒なんですよ。なので手のかかる弟みたいな感じです」

 ははは、と笑いながら答えると、菅原先輩は納得したように頷いた。

「幼馴染だったのか。影山から中学の同級生って聞いたんだけど、それにしては距離が近い気がしたんだよな。ほら、影山って女子と積極的に話すタイプじゃないからさ」
「確かに。飛雄が私以外の女の子と話してるの見たことないです。……というより人と話してる所自体あんまり見ないですけど」

 飛雄は睡眠と食事以外は基本的にバレーのことしか考えていない。その飛雄がクラスメイトと雑談をしているところなど、ほとんど見たことがないのだ。

「確かに。バレー一筋って感じだよな」
「はい。……あの……飛雄、上手くいってます? その、チームメイトの方たちと……」

 練習風景を見る限り、中学の時のような事は起きていないとは思った。トス回しにしても飛雄はすごく気を使っているのが上から見ていて分かったし、本人自身も色々と気をつけているようだった。
 だが、それでもやはり心配なものは心配なのだ。

 ジッと菅原さんを見つめると、菅原さんの目元が優しく緩んだ。

「おう! 大丈夫だよ。影山の技術は勿論だけど、それが無くてもみんな影山のことは信頼してるし、大丈夫」

 ニッと笑いながら菅原さんが言う。それを聞いて、ホッと胸をなでおろした。

「よかった……」
「心配してくれてんだな。ならさ、ナマエちゃんマネージャーやんね?」

 思ってもみない提案に、思わず目を見開いて菅原さんを見つめる。

「マネージャー?」

 考えた事なかった。出来るんだろうか、自分に。

 バレーに打ち込む彼らを目の当たりにして、純粋に応援することができるんだろうか。楽しそうな彼を見て、嫉妬せずに居られるのだろうか。
 マネージャーをやるということは、チームの一員になるということだ。中途半端な気持ちでは居られない。もし、途中で辛くなって辞めますなんてことになったら、それこそ無責任だ。

 そんなことを思ったら、とてもじゃないが即答は出来そうになかった。

「えっと……お返事、すぐじゃないとダメですか……? 少し、考える時間をいただきたいんですけど……」

 恐る恐る見上げると、菅原さんは慌てたような様子で首を横に振った。

「全然! ゆっくり考えて!」
「ありがとうございます」

 とりあえず猶予ができたことにホッと息を吐き出す。

 烏野は面白いチームだ。このチームの成長を一番近くで見守れるのがマネージャーなら、やってみたいとも思う。
 それに、飛雄のことも心配だった。マネージャーになれば、チームメイトになれる。あんなことは二度と起きてほしくないが、もしこの先に何かあったら、今度はチームメイトとして彼を支えてあげられるかもしれない。

「ごめんな」
「え?」
「なんかワケありだろ? ナマエちゃん、バレー好きそうだもんな」
「……そうですね。バレー、好きです」
「ゆっくり考えてさ、もしマネージャーやってもいいなって思ったら、言ってな?」

 菅原さんが優しく笑ってそう言った。バレー部の人は、みんな優しい。



***



 帰り道、並んで歩く飛雄を見上げる。隣に並ぶと、中学時代よりもかなり背が伸びたことに気づく。こうやって並んで帰るのは久しぶりだ。

 あれから三年近く経った。

 改めて、もう胸がときめいたりしないんだなぁ、と、どこか他人事のように思う。

「何だよ。ジロジロ見んな」

 怪訝そうな顔でこちらを見ながら、飛雄が小さく呟く。

「あのね、菅原さんにマネージャーやらないかって言われた」
「マネージャー?」
「うん。飛雄はどう思う?」
「どうって……」

 困ったように頭をガシガシと掻いて、飛雄は黙り込んでしまった。

「……なんて答えたんだよ」
「考えさせてください、って」
「……考えんのかよ」

 呆れたような口調で言われ、私は思わず笑った。

「そう。考えるよ。私、やっぱりバレー好きだなって思って。試合を見たり、今日みたいに練習を見学したりしてる時は楽しかったの。本当だよ。ただ、マネージャーって考えたことなかったから、どうなのかなって」

 飛雄を見上げると、飛雄は黙って続きを待っているようだった。

「近くで見てたら、またバレーがしたくなるかもしれないし、バレーができるみんなのことが羨ましくなるかもしれない。実際、青城との練習試合を見てる時は、やっぱり羨ましいなって、ちょっとだけ思ったし。でも、皆が楽しそうにバレーしてるの見るのは、見てて楽しかったから。だから、ちゃんと考える。自分にできるのかどうか。無責任なことはしたくないから」

 飛雄はしばらく黙って、一言「そうか」と言った。


「決めたら、ちゃんと言うね」
「……分かった」
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