水魚の交わり | ナノ


04-12



村が寝静まった夜。
深々と深まる冷たい空気にぶるりと体を震わせた。

今の今まで暖かい羽毛に包まれていたからか、廊下の底冷えのする冷たさに抱いていた白い生命体をかき抱いた。
私が漸く現実を受け入れ、みっともなくも泣きじゃくったあの後、彼らは異物であった私を当然の様に迎えに来た。
そうして涙に腫れた顔を隠しきれなかった私はわたわた、赤く腫れた瞼を見た彼女は驚きオロオロ、そんな彼女と一緒になって少年もオロオロ。
大きな彼はまたかと言わんばかりに無関心で、ひょろりと佇む彼は私が泣いていた事が面白いのかなんなのか、あれれーなんて言いながらタオルを寄越してくる。
そんな事すらもまた涙を誘ってぽろぽろ。
終いには落ち着かせようと背中を触られた事で高熱が発覚、次の世界に行くのは私の熱が引いてからにしようなんて事になって、この村に伝わる伝承は真実を知る彼らの口から直接村人へと語られることとなった。
そんな出来事があった今、もう目を逸らすことなんて出来ないねと、涙と知らぬうちに溢れた笑いが私に告げた。

ほんとうに、ほんとうだ。
この世界は、私の知っている物語なんかじゃない。

似て非なる、違うもの。

その事実は最初から目の前に提示されていたのに、それに気付けなかったのは私がそれを拒んでいたから。
死にたくないと、怖い思いをしたくないと、駄々をこねて。
駄々をこねても現実が変わるわけではないと有りっ丈の勇気を振り絞ったのは高麗国でのこと。けれどそれは、私は物語の異物だという認識の上での行動で、結局は物語通りに進むのだろうなんて何処か達観していた。
それが間違いだったのだと気付かされた今、一体、私は。

「モコナ、侑子さんに繋いでくれる?」

みしみしと鳴る階段を降り、たどり着いた部屋の中、しんと静まる暖炉を呼び起こす。
牧を入れ、火の灯る紙を放り込めば、ぱちぱちと暖炉は声を上げた。ゆらゆらと次第に明るくなる室内で、やっとこさ言葉を紡ぐ。
うとうとと眠りに入りそうな生き物は、実際、魔女を壁に映し出すとぐっすりと眠りに入ってしまい、寧ろ呼び出したことすらも夢の中の出来事だと思い込んでいそうな勢いである。こんな寒いところでよく寝れるものだと、連れ出した懺悔も込めて近くにあったブランケットでぐるぐる包んだ。

「こんばんは、侑子さん」

お話しませんか。
ちょっと会話しましょうよなんて時分でもないけれど、何となく向こうの時間はそんな真夜中では無いんじゃないか、なんて勝手に思い込んで話しかける。
案の定、上機嫌に酒を煽る姿を認め頬が緩んだ。

「あら、こんばんは」
「月見酒ですか、良いですね」

暖かそうな上着を羽織る彼女の手にはゆらゆらと湯気を揺らめかせるおでんとお猪口。
背景には寒々しい木々と薄暗い空が見える。
画面越しにも伝わる寒空の下で、彼女は酒を嗜んでいるようだった。

「今日は四月一日特性のおでん付きよ」

"今日は"じゃなくて"何時も"でしょ!
遠くからそんな野次が聞こえてくる。こんな遅くまで働かされているらしい。ほんと、不憫なものだ。
がやがやと賑やかな画面を眺めながら、口数少なくぽつりぽつりと会話をしていく。
別段、彼女に決意表明をしようだとか、自分の思うところを語ろうだとか、ましては私の存在意義なんて高尚で小難しい話をしたわけではない。
ただ、お酒が美味しいだとか、おでんの大根には何をつけるだとか。寝ているモコナの口を通してお酒をお裾分けしてもらったりして、また盛り上がって。そんな話をするほど親しい間柄でもないのだけれど何故か自然と会話は続いて、空が白んでいくに従って、私の不安やら動揺やら何やらが消えていく感覚がした。

「もう寝なさい、時期朝がくるわ」

空が白んで薄明かりに包まれた頃。夜明けまでもう数分も無いのではないかという頃、何故始まったかも分からない女子会は漸く終わりを見せた。
手元には空の酒瓶と四月一日くん特性のおでんが入っていたお皿。知らぬ間に随分とお裾分けを頂いたようだった。
どういった仕組みで成り立っているのかは知らないが、其れ等をモコナの口へとぐいぐい押しやれば、パクリと吸い込まれていく。端から見たら動物虐待も甚だしい。

「ご馳走さまでした。四月一日くんにもよろしく伝えておいてください」
「ええ」

あんなに口をぐいぐいとやられていても尚眠り続けるモコナを抱え立ち上がる。
久しぶりに普通の会話をしたからだろうか。心が喜び勇んで眠気など全く無かったのだが、そろそろ寝かせてあげるべきなのだろう。実を言えば病み上がり、人によっては風邪の最中とも言える私は、ゆっくりと毛布に包まれていなければならない時間を、こうして心の安寧の為に体に無体を強いたのだ。

「それじゃぁ、侑子さん」

また今度。
そう告げて、背を向けようとした時。

「頑張りなさい」

帰ると、自分自身に約束したのでしょう。

「え、」

伏せがちになっていた視線を勢いよく戻す。
激励のような、占い師の助言のような、そんな突然の言葉に驚き声の主を探すも、そこに在るのはただの壁。
まるで今聞いた言葉が幻聴であったかのように、跡形も無く消えていた。

何故このタイミングで言ったのか、何故その言葉を選んだのか。

彼女は私に、何をどう頑張って欲しいと言うのだろうか。

「まぁ……いっか」

けれど、しかし、どうして。
魔女との女子会を夜通し行ったせいか、それとも下がりきらない微熱のせいか。
誰もいなくなった部屋の壁を暫し見つめていれば、急にやってきた眠気が思考を妨げた。重要なことを言われた気もするけれど、今は問う相手もいなければ、自力で解決できる程の頭も持っていない。故にだんだんと判断力が鈍っていき、終いには放棄することを選ぶ。
また今度聞けばいいや、なんてお気楽に考えて。

兎角まぁ、

「魔女ってすごい」

ぽつり、溢れた。

部屋に日が差し込む。
微睡みの譫言が、消えゆくように溶けていった。





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