小説 | ナノ

涯の華



一枚、また一枚。
一日の終わりに花弁を千切り、一つ、二つ。
一月毎に指を折る。

私の命は、後どれぐらい持つのだろう。


火の国の外れにある小さな農村。そこは土地柄にも恵まれ、村で採れた野菜は滋養強壮に良いと重宝されていた。
土壌は豊かで山から下りてきた水は新鮮そのもの。人々も温かい。
里なんて大層な規模の場所ではなかったが、それなりに長閑な場所ではあったのだ。
人々は日々畑を耕し、実りを期待する。
毎日の暮らしを自分たちの力で賄おうとする自給自足の精神は、親から子へと受け継がれ村を形作っていた。
けれど、良いものには多かれ少なかれ人が否応なく群がって来る。
忍なんているはずのないちっぽけな村は、他里から攻め入られることも少なくなかった。
攻め入られ荒らされた後に残るのは、荒涼とした畑だけ。
育てていた野菜たちは根刮ぎ奪われるか、見るも無残な姿になっているかのどちらかだった。
そこでどうにも困り果てた村長は藁にもすがる思いで火の国木ノ葉隠れの里を頼り、忍を派遣してくれるよう願い出たのである。
当初の火影は小さな村に忍を派遣することを躊躇う素振りを見せたらしいが、村で採れる野菜が功を奏したのか、忍を遣わしてくれることとなったのだ。
気付けば村の護衛に忍の姿をちらほらと見かけるようになり、村人の人柄故か忍たちと仲良く談笑する姿も見受けられた。
それからと言うものの、他里から攻められそうになれば木ノ葉の忍が村を守り続けてきたのである。
そんな村で生まれ育ったせいか、いつしか私は忍になりたいと思うようになっていた。
ある日、村に来た一人の忍がこう言ったのだ。

”耐え忍べ。夢は努力すればいつか叶う”と。

聞く人が聞けば偽善めいたその一言も、当時の私には輝かしい未来を想像させる言葉に他ならなかった。白髪を結いたその忍の背に、憧れるのも当然だったのである。
それからと言うもの、両親に無理を言ってアカデミーに入学し、木ノ葉隠れで忍としての道を歩いてきた。
木ノ葉が村に齎してくれた恩恵に感謝すると共に、忍として木ノ葉の里の役に立ちたいと思っていたのだ。
そこには、私に”耐え忍べ。夢は努力すればいつか叶う”と教えてくれた人のために働きたいという気持ちも多分に含まれていた。

しかし、そんな夢も忍として生きた二十八年の時を経て潰えることとなったのだ。
その時、上忍まで登り詰めた私は小隊長として任務に当たっていた。
A級、もしくは場合によりS級へと跳ね上がるだろうことが予想されていた任務。あらゆる想定を行い、伏線を張り一歩一歩とターゲットへ近付いていた。
それまでの予定には寸分の狂いも無く、このままいけば目的も達成されるだろう。そんな空気がチームの中に流れたのだ。
けれど、その一瞬の気の緩み。
ただ一度、息を吐いただけ。
その一瞬に、今まで積み上げてきた想定も伏線も、何もかもが崩れ去った。
気付けば、木ノ葉病院の何処とも知れぬ病室で酸素マスクを付けられ、腕からは点滴やらチューブやらが何本も伸びていた。
そして私が重い瞼を開けたことがよほど信じられないことだったのか、意識を取り戻したことを認めた看護師は両目を出目金のように見開き、病室を飛び出して行ったのだ。
綱手様!と大慌てで去る足音を遠くに、とりあえずは生きていることに感謝した。
それでも、私の夢はもう既に終わりを迎えていたのだ。
そして、この体にも終焉の時は近付いていたのである。

後で聞いた話によれば、敵の奇襲に会った小隊は難を逃れるも、私は敵の使用していた毒に侵され意識不明。
なんとか任務は遂行したものの、隊長の私は仲間に抱えられ木ノ葉に帰還したらしい。
一刻を争う状態で集中治療室へと運ばれたが、時既に遅し。
あらゆる毒に詳しい綱手様の手を尽くしても、蝕まれた体に巣食う毒は完治することは無かった。
辛うじて一命を取り留めるも、毒は少しずつ少しずつ私の体を蝕み続けているらしい。
今も解毒のために毒の解析が進められているようではあるが、なかなか芳しい結果は得られていないとのこと。
綱手様はそれらを淡々と私に告げると、最後にお前の余命は後半年ほどだろうと宣告した。
その言葉を、私は心の中で何となく察していたのだ。
自分の命はもう残り少ないのだろうと。
宣告されるよりも前に、自分の体の調子は自分が一番良く分かっていたのだから。
きっと、私はもう忍としては生きられない。
それだけでなく、命の限りまで告げられてしまった。
絶望。そんな言葉で片付けられないほどの虚無感と色を無くしていく世界に、私は嗚咽を上げて涙することしか出来なかった。

それからと言うものの、来る日も来る日もただ流れる時間の上に乗っかっているだけの日々が続いた。
お見舞いにと訪れる人々の持寄る花は、私の命の限りを数えるための道具となり、ベッドの周りにはいつも花弁が散っていた。
ただ命の終わりを待つだけの日々。
それでも、私は何も出来ない自分に落胆するぐらいなら何もしない方がましだと考えていた。
忍としての私はもう死んだのだと。
誰の役にも立てない存在ならば、いっそのこと泡になって消えてしまおうかとすら思っていたのだ。
あの時までは。

「久しぶりだのォ」

からんころんと下駄の鳴る音に聴覚が冴える。ぴくりと音に誘われ病室の入り口を見れば、そこには私に”耐え忍べ。夢は努力すればいつか叶う”と教えた人物が立っていた。
その姿を認め、懐かしいとか会いたかったとか、そんな幸せな気持ちになれたのなら良かった。
忍として貴方に憧れ、ここまで来たのだと。そう輝く瞳で告げられたのなら良かった。
けれどこの時の私は、自分にはもう価値など無いと見切りを付け、色の無い世界に別れを告げている最中だったのである。
つかつかと無遠慮にベッドサイドまでやって来る気配。

会いたくなどなかった。

憧れ、尊敬。そしていつしか微かに高鳴る恋心を抱いていると気付いていたからか、この人には絶対に会いたくないと願っていたのだ。
もう貴方に恩を返せる忍には戻れないと知っていたから。

「随分と辛気臭い顔をしとるな」
「……」

目線を上げぬまま散らした花弁の数を数える。今まで何枚の花弁を千切ってきたのだろかと考えながら、またその行為の意味を間近で感じ背筋が凍っていく。
何も語られることのない空間に、自来也様の溜息が一つ栄えた。

「綱手から聞いた」

その言葉に花弁を数える視線が動きを止める。何を、なんて野暮なことは聞かない。きっと、聞いたというからには聞いたのだろう。全てを。
体を毒が今尚蝕み続けていること。
もう忍としは生きられないこと。
そして、この命に限りがあることを。
溜息を吐いて、出来るだけの明るい声を出すしかなかった。

「正直参りました。お前はもう直ぐ死ぬぞ、なんて言われるとは夢にも思っていなかったので」
「……」

ならば隠し立てなどしても意味はない。
空元気ばればれでも構わない。今はもう、貴方の前にいる価値も無いのだから。

「まぁ、でもこれが私の実力ってことなんですかね」

あははと、久しく動かしていなかった頬の筋肉を思いっきり引き上げる。
ただ虚しい笑い声でも、貴方に少しでも元気に見えているのならばそれでいい。
早く、一人にしてほしかった。
そして、もう二度と私の前に現れてほしくはなかった。
何も出来ない体になってしまったのだと、自分を責めずにはいられないから。
それなのに、自来也様はいつも私の心に小さな火を灯していくのだ。

「諦めるのか?」
「何を……」

何を諦めるというのだろう。諦めるものなど、もう私の手には無い。
忍にも戻れず、誰の役にも立てないのだから。
痛い沈黙が漂う。
本当は、何を問われているのかなど本能では気付いているのだ。
それでも、まるで悲劇のヒロインぶった私が首を横に振る。

「誰の役にも立てないのに……」

役に立ちたい。木ノ葉のために。貴方のために。
溢れ落ちた言葉はまるで涙のように布団に吸い込まれていく。
訪れる再びの沈黙。
けれど次の瞬間には豪快な、それでいてあっけらかんとした声が病室を支配したのだ。

「当たり前だぁのォ」

当たり前。そう豪放磊落に告げられた言葉に、私は思わず視線を上げた。
この人は、何を言うのだろうかと。

「お前は誰の役にも立とうしていないんだからな」
「!」

気付いていなかったわけじゃない。考えていなかったわけでもない。
誰かの役に立ちたいと願いながら、役になど立てないと決め付け逃げていることを。
全てを飲み込むような瞳が、真っ直ぐに私を射竦める。
ごくりと喉を鳴らすことすら許さぬ眼差しに、心の奥底何もかもを見透かされているような気分になった。
それでも、頑なになった意思を曲げることは容易ではない。
まるで手持ちの手札を明け透けにして尚戦いに赴く戦士のような気持ちになった私は、所構わず声を張り上げていた。

「忍に戻れない私の気持ちなんて、あなたには分からない!」

八つ当たりも甚だしい。
きっと呆れられたに違いない。
久しぶりに出したお腹からの声に息が上がる。血液が巡り温まっていく指先に宿る感覚に、目尻がじんわりと潤んだ。

「そんなもん。分かりたくもないノォ」

まるで下らないとでも言いたげな台詞に、そんなことを言われるとは思ってもいなかった私の胸がズキンと痛んだ。
この人は、私に何を言いに来たのだろうか。

「誰の役にも立とうとしていない。この意味が分かるか?」
「……」

教え子に言い聞かせるような声音は、まさに蝦蟇仙人の名に相応しい。穏やかで静か。それなのに揺るがぬ意志を秘めた水底に沈む石のような声音。この声の前では、人は罪を須く粗方に白状するのだろうと思った。
仙人のお告げのように、自来也様は私に真実を告げる。

「今のお前は忍でもなんでもない。そういうことだぁのォ」

気付いていた。
分かっていた。
忍とは、戦いに赴き任務をするだけではない存在だということを。
気付いていた。
分かっていた。

忍とは、耐え忍ぶ者であるということを。
貴方が、それを私に教えたのだから。

「じゃあ、忍ってなんですか」

まるで答え合わせを乞うように呟く。
忍とは何であるかを説いたこの人に。
きっと、私がきらきらとした瞳をその背に注いだ日のように、自来也様は告げてくれるのだろう。

「耐え忍ぶ者。夢は努力すればいつか叶う」

あの日の言葉が、再び体の中に沁み入ってくるような気がした。

そう。
私は忍でありたい。

まだ光を諦めなくていいと、貴方がそう言うのなら。
信じてしまいたくなる希望に縋ることが、忍であり続けるためであるならば。
私は喜んで忍であり続けるための道を選ぼう。
例えそれが辛く苦しく険しい道だったとしても。

貴方は私にそれを教え、思い出させてくれた。

「私でも、まだ役に立てますか」
「お前が忍ならな」

そうにやりと笑う貴方の顔を、私はきっとこの先いつまでも忘れることはないのだろう。
私に、忍になる為の道を示してくれた貴方に。忍であり続ける道を思い出させてくれた貴方に。
心の底から感謝をしよう。

私は、忍でありたい。





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