小説 | ナノ

々忘るる事なかれ



見た事のない子だった。
綺麗な黒髪を七緒ちゃんみたいに纏め上げるのではなく、その艶やかさを見せびらかすように靡かせている。
蕾の桜が満開に花開く時、一層この子は美しく見えるのだろう。
そんなことを、屋根の上で昼寝と称したさぼりをしながらぼーっと考えていた。

見た事のない子だった。
勿論自身が隊長を務める八番隊の隊員ではない。
ある日瀞霊廷内に虚が現れたと地獄蝶が告げた時、現場では彼女が月夜に照る刃を振りかざしていた。
闇に同化した黒髪が丸い月を背に散っていたのを良く覚えている。

見た事のある子だった。
更木隊長のとこのやちるちゃんにお茶菓子のお裾分けに行った時だ。
ピンクの髪がふわふわぴょこぴょこ跳ねる横に、緩やかな波を描く黒髪があった。
近付くよりも前に、その姿は明後日の方へ消えていってしまったのは惜しいと思う。

見覚えのある子だった。
桜がぽつりぽつりと花をつけ始めた頃、松本副隊長の提案に両手を挙げて乗った僕は宴会場でその姿を見かけた。
班目くんや松本副隊長なんかに絡まれながら、それでも自身のペースを守って杯を重ねていた。
宴会場を照らし出す提灯の明かりがぼんやりと黒髪を照らす。
少し眠気に瞳を擦る仕草に笑みが溢れた。

偶然ぶつかった子だった。
ふらりふらりと隊舎内の縁側をいつものように七緒ちゃんの目を盗んで歩いていた。
角を曲がろうとした瞬間、気配に視線が下がる。
視界いっぱいに、あの黒髪が散っていた。
ぽすっと枕でも抱いたみたいにぶつかった君を抱きとめる。
驚きに見開いた瞳が黒曜石に似て綺麗だと思った。
ちょっと強引だとも思ったけど名前を聞いてみる。
沙羅ちゃん、って言うんだね。
ふわりと微笑む君に、やっぱり桜が似合いそうだと思った。

声を掛けた子だった。
沙羅ちゃん、今日も元気かい?
君は振り向いて答えてくれた。

気になった子だった。
あの黒髪を探す。
ふらふら歩きながら。
でも見つからなくて、何処に行ったのかと思ったら、後ろから急に声を掛けられた。
沙羅ちゃんが僕の名前を呼んでそこにいる。
あの黒髪は、綺麗に肩口で切り揃えられていた。

話の楽しい子だった。
君の黒髪は綺麗だったのに。
そう言えば、君はくすくす笑いながら願いが一つ叶ったんです、そう言った。
毎日の何気ない出来事が君の口から語られると、少しずつ色がついて見えるから不思議だった。

一緒にいたい子だった。
気が楽だ。
気取らなくていい。
だらだらしても、きびきびしても、君は僕を僕として受け入れてくれた。
隊長なんてやってるから隊員からは敬遠されたりもする。
でも君は何でもないことのように近付いてきてくれた。
もうすぐ桜が満開になる。
一緒に花見酒をしよう。

どうしても見つからない子だった。
ある日を境に、君は僕の前から消えた。
来る日も来る日もふらふらと瀞霊廷内を歩きまわる。
どうにも見つからなくて、痺れを切らした僕は松本副隊長の元に行った。
君が何処にいるのかを聞くために。

「あの子は……死にました」

死神なのに死があるなんて滑稽だ。
なんて笑い話にも出来なかった。
君の斬魄刀は、君の魂を喰らって永らえていたのか。
そんな話を上の空で聞く。

「あの子、京楽さんのことが好きだったんですよ。いつも嬉しそうに話してました」

そういう話はね、きちんと僕に言って欲しかったな。
ほら、もう桜が満開だよ。
君と見られたらいいなって思ってたんだ。

はらりひらり ひらひら ひらりん
君の存在みたいに、僕の前から瞬く間に消えていった。


「まいったねぇ、どうも」

僕にとって、忘れられない子になった。