何処にもいない。
上忍待機場所も、良く行く書店も、甘味屋も。
大好きだと話した木ノ葉が一望出来る丘も。
そして彼女の家にさえいない。
浅くなる息をマスク越しに感じて焦燥が募る。
何処に行った。
任務にでも行っているかと受付にいた忍に尋ねると、もう任務を終えて木ノ葉に戻っていると言う。
そんな探しても探しても居なかった彼女を見つけたのは夜も更けた頃合い。
諦めて家に帰ろうと帰路に着こうとした時である。
自分の家から仄暗い明かりがぼんやりと漏れていたのだ。
それを見留めた俺は階段を忍らしくない歩行で駆け上がり鍵が閉まってることなど疑わずにドアノブを回した。
勿論抵抗無く開いたドアはその向こうに暗闇と微かな光の世界を築いていた。
「沙羅?」
間違いなくこの部屋にいるのは彼女である。
そんな確信は部屋奥から流れてくる気配で分かった。
渡していた合鍵で入っていたのだろう。
光の漏れる部屋への扉をそっと開けば、案の定。
暗闇とのぼやけた境界線の狭間に彼女はいた。
「カカシ……」
ベッドの上で膝を抱えていた背中が微かな動きを見せる。
その背中が余りにも小さく見えたのは闇との境界線という曖昧な空間にいたせいだろうか。
扉を開けて立ち尽くした俺を振り返る彼女。
その瞳には綺麗な雫が一筋頬を伝っていた。
「カカシ……」
か細くも消えてしまいそうな声が名を呼ぶ。
「沙羅」
俺は弾かれる様にして彼女を抱き締めるための一歩を踏み出した。
ぎゅっと音がする程にこの腕に収める。
雑な布擦れの音がしても、浅い息遣いが聞こえても、構うことなく抱き締めた。
こうしなければいけない。
本能がそう告げていた。
そうしなければ、次の瞬間に彼女はこの闇夜に飲まれて消えると思ったからだ。
「カカシ……ヨナガが、死んじゃったの……」
あぁ。やっぱり。
そういうことだったのか。
彼女のここ最近の違和感の正体。
それが何かを理解した俺はいやに落ち着いていた。
腕の中で震える体をきつく抱き締める腕の力をそっと緩める。
「うん」
まるで子供を宥めるように背中をさすってやれば、死んだと口にした彼女の双眸からは一雫、また一雫と堰を切ったように涙が流れ出した。
「ずっと……一緒、だったから」
ひゅっと息が詰まる音を何回も何回も鼓膜が受け止める。
その度に、彼女がヨナガという存在をどれ程大切にしていたのかを思い知らされた。
感情を言葉にしろ表情にしろ、表に出すことを苦手としていた彼女が唯一優しい笑みで会話をする自慢の幼馴染。
それがヨナガである。
付き合い始めた頃はあまりの仲の良さに嫉妬紛いの感情を抱いたことも幾度となくあった。
しかし、彼女を独り占めしたいなんていうガキみたいな思考でいた俺の斜め上をいったのがヨナガだ。
「あいつを、宜しくお願いします」
自分でも矮小な男だと思ったが嫌味の一つぐらいは言ってもいいだろうという姿勢でいたせいか、深々と下げられた頭に肩透かしを食らった。
「あいつ、意外とおっちょこちょいだから、カカシさんみたいなしっかりした人が恋人になってくれて良かったです」
小さく頬を掻き照れ笑いをする姿がどことなく彼女に似ている気がして、ヨナガという人物を理解するよりも早く気にくわないという男として小さすぎる感情が口へと信号を送った。
「でもさ、本当は君が彼女の側にいてやりたいんじゃないの?」
馬鹿なことを聞いていると思う。
これで正直にハイそうです。なんていう男はそうそういないだろうし、いたとしてもあれだけ幼馴染想いの男を全面に出して来たのだから恰好つけざるお得ないだろう。
そんなことを浅ましく考えていたことなど知る由もないヨナガは、一度口をつむぐと今度は首筋を掻きながら本当は……と口にした。
「本当のところは、俺があいつを守ってやりたいです。でも…」
でも。その後に続く言葉を小綺麗なものだと悟った俺は、ほらね。そう心のどこかで思っていた。
「あいつが選んだのはカカシさんで。だから、あいつの気持ちを考えるなら応援してやろうって思ってます。それでも」
でも、それでも。
重複する逆説に俺の思考が首を傾げる。
まさか、とは思った。
たぶんこの重複した逆説の先に来る言葉は、ちっぽけな器の俺では到底言える言葉ではない。
しかし、目の前のヨナガは真っ直ぐ俺を見つめ返し、しっかりと告げたのだ。
「あいつを好きなことには変わりありません。だから、カカシさんがいい加減なことをしたら俺は許せないと思うし、あいつの気持ちを俺に向けるためなら恰好悪くても努力すると思います」
完敗だった。
こんなにも潔い台詞は一生口には出来ないだろう。
嫉妬深くあんなことを口にした俺の問いに正直に返してきたヨナガに、人間としての器の違いを見せつけられたのだ。
「……」
閉口した口元がマスクで隠れていて良かったと、この時心底そう思った。
あの……とこちらを伺うヨナガに、俺の言える言葉は一つしかない。
「かっこいいな」
それは心からのものだった。
「あいつのこと、頼みます」
再び深々と首を垂れる姿に、俺は正直こんな奴から彼女を任されたのかと慄いた。
「あぁ」
この声が震えてやしないだろうか。
そんなことを思いながらヨナガの笑みを受け止めた記憶が蘇る。
「俺、ヨナガからお前のこと頼まれてたのよネ」
何でもないことのように呟いた声に、彼女がヒュッと吸い込んだ息を止める。
「沙羅のことを頼みます、って」
背中に回された華奢な手が服をキュッと握りしめた。
「……気付いてやれなくて、ごめん」
ヨナガが死んでしまったこと。
それを隠して必死に生きていたこと。
愛を伝えようとしていたこと。
その何もかもは言葉にしなくては分からない。
感情や表情を素直に表すことの出来ない彼女はヨナガの死でそれを痛感したのだろう。
伝えなくては、いつ大切な人が目の前から消えてしまうか分からない。
その恐怖を、肌で、心で、感じていたのだ。
彼女の愛している、は恐怖に裏打ちされたものに他ならない。
それでも、そんな世の中なのだ。
誰もが、例外なく。
「カカシ……好きよ」
ぐずぐずと鼻をすすり、嗚咽し、目を腫らした彼女の、これ以上ない愛の言葉。
それは、いつか消えてなくなってしまうかもしれない俺への気持ち。
後悔しないために。
そう。
伝えなくては、伝わらないのだ。
言葉にしなくては。
「俺も、愛してるよ」
▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」素敵な言葉だと思います。
ですが、この小説では言葉にすることの大切さを書いていけたらと思いました。
忍の世界はいつ死んでしまうか分からない。そんな世の中だからこそ伝えることの重要性があるのかもしれません。