小説 | ナノ

似合いの



「自来也様はお幾つですか?」
「は?」

今年初めての木枯らしが吹いたある日のこと。
目の前に現れた沙羅は唐突にこう告げた。

「幾つと聞かれてものォ」

ぽりぽりと頭を掻けば、儂よりも幾分低い位置にある顔がずいとこちらに寄ってくる。

「私の予想では190センチは超えていると思うのですが」

ずいと寄った顔と共に沙羅は自身の頭の上で手をひらひらとさせた。
よく言う背比べのような動作である。

「測ったのなんてだいぶ昔だからのォ、まぁ190は超えてると思うが……」

それがどうした。
そう聞こうとした時には、もう既に彼女の思考はあらぬ方向へと向かっているらしく、

「そうですか、そうですよね……」

と謎の反応を見せくるりと背を向けて歩き出していた。
質問を繰り出し答えを聞いたら去っていく。
まるで嵐の様だと、一人冷たい風にさらされて思った。



数日後。
寒々しい風にも慣れてきた身で木ノ葉を往来していると、これまた不思議な光景に出会った。

「牛乳のおかわり頂けますか?」
「沙羅ちゃん、あんた何杯目だい?」
「そうよ、甘味屋に来て牛乳おかわり3杯目はナシ」

木ノ葉でも有名な甘栗甘。
その店先で団子の皿を山の様に積むアンコと、湯呑みに牛乳が注がれた内外ちぐはくな物を煽り飲む沙羅。
情緒のへったくりもないその光景に盛大な溜息を零しながら近付いた。
別に団子が食べたかったからではない。
遠目でも分かる程の妙ちくりんな光景を作り出していた彼女が気になったのだ。
身長は幾つだと問われ、告げれば何のために聞いたのかも答えず去られ、挙句の果てにはこんな所で牛乳おかわり3杯目。

それはナイだろのォ。

身長なんてこの歳になれば測りもしないし聞かれもしない。
そんな中で彼女の発した唐突な質問は記憶の中で異質に残った。
服の合わせ目が悪くていずいような、そんな感覚である。
おまけに牛乳3杯なんてこの寒空の下何を考えているのか。

「お前さんたち、こんなところで何しとる」

からんと下駄を鳴らして近付けば、団子を頬張っていたアンコと3杯目の牛乳に口を付けていた沙羅の顔がこちらを向いた。

「!」

そして何故か儂の顔を見た沙羅はぴたりと動きを止めたのである。
加えて漂う盛大な溜息。
勿論儂のものではない。

「沙羅、この際だから言っちゃえばー?本人目の前にいるんだし」

アンコがにやりと笑み固まる沙羅を小突けば、やっと思考が動き出したのか彼女は物凄い勢いで牛乳を椅子に置きアンコの口を塞ぎにかかった。
それはもう襲っているようにしか見えない。

「じ、自来也様、こんにちは。こんな所で会うなんて偶然ですね!お団子食べに来たんですか?今日は寒いですからね、お団子とお茶は最高ですよ!」

お前さんの手に持ったそれは団子と牛乳だぞ。
そんなツッコミはすまい。
と思いながらも、えらい慌てように沙羅から盛大なタックルを受けたアンコへ目を向けた。

「アンコ、沙羅の様子おかしいだろのォ」
「あぁ……それはこの子がっ
「自来也様、立ち話もなんですからこちらへどうぞ!さぁさぁ!」

再びのタックルを受けたアンコは想像以上のダメージを受けたようで椅子に沈んだ。
儂は沙羅がすくっと立ち上がりぐいぐいと背を押す勢いで空いた場所へと勧められるがままに着席した。

「おや、自来也様じゃないかい。珍しい」

気前の良い女将が暖簾を潜り出てくる。
手には湯気の立つお茶を3つ持っていた。

「沙羅ちゃん、あんたも寒いんだから温かいお茶でも飲みなさい。牛乳なんかで身長は伸びないんだから」
「身長?」

ぴくりと耳が聞き覚えのあるワードを拾う。
思わず聞き返せば、女将は空いた皿を片付けながらくすくすと笑みを零しこう答えた。

「えぇ。この子ったら、なんでも好きな人に似合う身長になるんだとか言って牛乳ばかり飲んでたんだよ。いじらしい努力は結構だけど、これじゃ体が冷えちまう」
「女将さんっ!いつから聞いて……」

椅子をかたりと鳴らした沙羅は動きを止めて女将を見つめている。
その瞳はたぶんこの上なく丸いことだろう。
伸びたアンコを抑え込むことに成功してホッとしていたのか、まさか女将がぽろりと言ってしまうなどと思ってもみなかったのか。
目の前にある背中には紛う事なき動揺の二文字が見て取れた。
対して儂の脳内はいつも通りクリアなこと申し分ない。
おかげで女将の言葉も、目の前で微動だにしない背中の動揺も何もかもがするりと一本の線で繋がったのである。

すると、何故かこの心にふつりふつりとあるものが浮かび上がってきた。


「好きな人……のォ」
「!」

間違いない単語を選び取った儂は、それを何か考えるような素振りでも見せて呟く。
案の定盛大にびくりと肩を震わせた彼女の背中に笑みが溢れた。
なんて分かりやすい。
たぶんこの場にいて、数日前に身長は幾つだと問われた人間ならば誰しも勘違いを起こすこと請け合いである。

彼女が自分を好いていると。

あまつさえ似合うようにといじらしい努力さえしていると。
そう想像した瞬間、牛乳3杯はナシだと思っていた思考などあっという間に消え去り、その努力が愛しくさえ思えてきた。

「お前さん、好いとる奴がおるのか」

客に呼ばれた女将がよく通る声をあげ店内へと吸い込まれていった今、此処には儂と沙羅、伸びたアンコしかいない。
歳を重ねて意地悪心の増した思考が彼女を揶揄おうとしていた。

「……」

ゆっくりと振り返った彼女は頬に差す朱を隠そうか隠すまいか、それとも儂に何か言いたいのか、数度視線を彷徨わせた後上目遣いに瞳を合わせてきた。


「気付いてますよね」
「さぁのォ、お前さんが身長を尋ねた男のことは知らんのォ」

にやりと笑みを深くしてやれば、目の前の瞳はくりんと瞬き、次いでじとりと鈍色に覆われた。
儂が全てを悟って受け答えしていることなどとうの昔にばれている。
ばれるような言葉選びをしていたから当然といえば当然なのだが。

「……私の好きな方はとても大きな熊、いいえ、獣のような方なんです!」
「お……おぅ」

おい。お前さん。
そりゃぁ本人を前に獣はちと酷くないかの。

そんなツッコミも知らぬを決め込んだ身は出来る筈もなく、何故か口をへの字に曲げた沙羅の怒気を含んだ声音に半端な答えを返すことしか出来なかった。


「ちょっとでも美人を見れば口説きにかかるし、温泉に行けば取材という程の良い言葉で覗き。極め付けはエロ仙
「分かった!分かったから落ち着け!」

こんないつ誰が聞いているかもしれない場所でぺらぺらと声を上げる沙羅に背中がひやりとした。
女は怒らせたらいかん。
綱手で培ってきたものがまさかこんなところでも牙を剥くとは。
知らぬ存ぜぬを決め込んだことへの仕返しなのだろう。

慌てふためく儂を見た沙羅は、一拍の間をおいてあははと声を上げて笑った。


「自来也様が悪いのです」

御尤も。
儂の人生、女にはハイと答える以外無いのだろうと改めて察した。

「悪かった悪かった」
「本当に思ってますか?」

訝しむようにこちらを見る姿に揶揄うなんてことをするのでは無かったと視線を空へと投げる。

「まぁいいです」

これ以上の言葉が無いことを悟った沙羅は同じように空へと視線を投げ、くすくすと止まらない笑いが尾を引いていた。

「それで、お前さんはその好いとる奴に似合う身長になろうとして牛乳……安直すぎんか?」

横から聞こえる尾を引く少し高めの笑い声につられた儂は、お前の好いてる人など知らんという態を貫いて呟く。
未だにくすくすと笑むその目尻には笑いで涙が滲んでいた。
それを拭う人差し指をちらりと視界に入れ次の言葉を待つ。

「確かに。でもそれしか思いつかなかったんです。あと10センチは伸びないといけないので」
「10センチ?!」

驚いた。
この後に及んであと10センチも伸びようなどと思っていたのか、牛乳で。


「だって190センチに似合う理想の身長、知ってます?」

まさかの問いが飛んできたことにぎくりとしたが、「さぁのォ?」というお決まりの台詞で切り抜けることに成功した。
もっとも、彼女も答えなんてさほど期待していないのだ。

「175センチです」
「あー」

確かに足りない。
どう見ても足りない。
さらに言えば10センチよりももっと伸びなくてはいけないのではと思う程に足りない。
そんな儂の心中を覗き見たのか、あーだけの言葉に全てを察したのか、沙羅は盛大な溜息を漂わせた。

「分かってます。どう考えても10センチなんて伸びるわけないですし……でも」

引っ込んだ笑いの代わりに表れた哀愁に、儂の心がちくりと痛んだ。


「まぁ、その、あれだ」
「?」

牛乳以外の解決策も見出せていないというのに、口はぽつりと言葉を紡ぎ出そうとしている。
待て。
何を言おうとしているのだ。

そう思考が絡まっていくのに反して、己の右腕がゆらりと伸びていく。

次の瞬間には、ぽんと幾分視界の下にある頭を撫で回していた。


「なんですか?」

くしゃりと撫で回された柔い毛が逆立つ。
なんですかという問いを耳が拾いはしたが、内心はやってしまった。その一言に尽きた。


「いやぁ、そのォ」

答えられないのに右手だけは小さな頭を撫で回す。
すっぽりと骨格に馴染んでしまった手はなかなかに離れ難いと思わせた。


「あれだ、あれ。お前の身長がこう、10センチも20センチも伸びてみろ。こうしてやることも出来ん」

己でも苦肉の策すぎると思ったが、いかんせん誤魔化すタイミングを逃した。
残った選択肢は逆に胸を張るというどうしようもないものだ。
しかし、彼女が言葉通り10センチも20センチも伸びたところを想像して否定したくなったのも事実。
伸びてしまえばちょろちょろと百面相で動き回る姿が見られなくなってしまう。
こうしてさり気なく頭を撫でてやることもままならない。
そんなことが思考に過ぎったことで、結果的には胸を張るというどうしようもない策でも、一番己の言いたいことに近い気がした。


「……それは、困ります」
「……」

ごちゃごちゃと考える頭に小さな呟きが飛び込んでくる。
小さな小さなそれは、店内から聞こえてくる女将の快活な声にすら掻き消えてしまいそうだ。
しかし、きちんと耳に届いた言葉は儂の心を温かい何かで満たした。
よしよし。と、まるで犬でも撫で回すようにその力を強める。


「そうかそうか。なら、牛乳なんて妙ちくりんなことせんで、いつものお前さんらしくしてればいい」


痛いです。

そうツッコミが入ったが、構わずうりうりと撫で回していれば、もう沙羅の髪はぐちゃぐちゃになっていた。




「そうですね。美女と野獣って言いますし」


ぐちゃぐちゃの頭のまま、にやりと彼女の瞳が弧を描く。


少し視線の上がった、その角度で。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
自来也様誕生日記念ということで書かせていただきました。
勢いだけで書いたので、主の珍行動に書きながら笑ってしまいました……