小説 | ナノ



「寝る」
そう言って縁側にゴロリと寝転んだ彼を見て、
あぁ、あの時もそうだったと、ふと昔が蘇る。
元来真面目な性格で授業をサボるなんて出来ない私がした、一世一代の最初で最後のサボり。
あの時も彼はそう言って、私を置いて勝手に眠ってしまったんだ。
全く、置いてけぼりになる私を少しは気遣って欲しいなんて、あの頃と比べれば随分と大きな考えを持つようになってしまった。


私とシカマルがまだアカデミー生の頃。
ご近所さんなんて関係をシカクさんに上手く利用され、また私も頼まれたからにはきちんとしなきゃなんて真面目な考えに突き動かされて、サボリ魔であるシカマルと行動を共にする事が多々あった。
そんな数ある日常の1ページに、人生初の貴重な体験を詰め込んだ1日がある。

「え、もう直ぐ授業が始まっちゃうよ」
何時も通りの言葉だった。
そうして私の言葉を嫌がるように背をごろりと動かし顔を背けるのも、何時も通り。
ギリギリまで粘っては、無理そうなことを悟ると一声かけて私だけが教室に戻る。
そんな何時も通りが繰り返される。
そう思っていた日のこと。

ぽつり、ぽつり。
空から雨が降ってきた。
気にする程度ではない、直ぐにでもやみそうな、そんな弱々しい雨がぽつりと頬に落ちてきた。
手を空に伸ばし雲の切れ間を探す。
しかしどれだけ探してもそこに光が抜き出る隙間は見当たらなかった。

そこで困ったのは真面目な私だ。
このまま放っておけば、彼は風邪をひいてしまうのではないか。
そんなことを思ったのだ。

ついこの間、私が風邪を引いてアカデミーを休んだ時。
生真面目な私が授業を受けられずさぞ落ち込んでいるだろうと思ったらしいシカマルが、イノのノートを持ってやってきた時のことがふと思い起こされた。
結局授業には参加しなかったのだろうけど、寝込む私の隣で延々とイノから借りたノートの中身を読み上げる。
普通の子供は嫌がるのだろうけれど、私にとってその行動がとても嬉しかったのだ。
これで授業に遅れずに着いていける。
今思えば幾らでも取り戻せるその遅れは、当時の私にとっては重大な遅れだった。
だからこそ、放課後は遊びに出掛けてしまうシカマルがわざわざこうしてやってきて、隣でノートを読み上げてくれたことに、とても感謝したのだ。

さて、そんな出来事が思い起こされた今。
雨の降る屋上に、彼一人を残して授業に行く勇気が果たして私にあるだろうか。
無いに決まっている。
できることなら両方を回避したい私は、何度か彼の名を呼んではみるけれど、彼は数回嫌そうに唸るだけで起きてはくれなかった。

「どうしよ」
ほとほと困り果てそう呟くも、腰を持ち上げようとは思わなかった。
私の中での優先順位は、あの時から明確に線引きされていたのかも知れない。

ぽつり、
小煩い雨が私の頬を伝う。
こんな時間を、どう過ごせばいいのだろうか。
初めて手に入れた奇妙な時間に、心がオロオロ落ち着かなくなる。
彼は、シカマルは、
こんな時どう過ごしているのだろう。

眠っているのだろうか。
ナルトくん達とお喋りに興じているのだろうか。
今日の放課後は何処で遊んで、何をしようか。
なんてことを話しているのかもしれない。
授業だりぃなんて言いながら、太陽が眩しいなんて文句を言ってたりするんじゃないだろうか。
私が授業を受けている間、彼は何処で何をしているのだろう。

いつの間にか見下ろすように覗き混んで、彼のことばかりを考えていた。
ちょっと間抜けな寝顔をじっと観察する。
少しだけ口が空いていて、時々眉がピクリと動く。
何時もと違う日常に、何時もと同じがそこにあった。

なんだ。
結局私は非日常の中ですら日常を経験している。
ちょっと違う行動を起こしたからって、やることは大して変わらないではないか。
くすり。
声が漏れた。

そんな時、当分の間開くことはないだろうと思っていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
焦れったいぐらいにゆっくりと開いていくその動作を、私は無意識に追っていた。

何時もよりは見開かれた瞳と目が合う。
見つめ合うこと数秒。
息が止まるんじゃないかというぐらいに、息を詰めた。
じっくりと、我を忘れたように、ただ彼を見つめた。

ゆっくり、ゆっくりと、

視界の隅で動きだした彼のまだまだ小さな手も、何かを喋りだそうとする唇も、
普段だったら恥ずかしがるこんな距離で、私はただ見つめていた。

「なに、泣いてんだよ」
頬に添えられた指先が、擦るように動いた。
あぁ、それは雨だ。
私が彼に覆い被さるようにしているから、こんな些細な雨を、気づくことが出来ずにいるのだろう。
彼の言葉に答えてあげればいいのに、蝋人形にでもなってしまったかのように動けなかった。

私が風邪をひいた日に見た、あの瞳に良く似ていた。
怠そうに濁った瞳が、小さく揺らぐその瞳に、幼かった私の意識は完全に占領されていた。


くすり。
声が漏れた。

ああ、懐かしいな。
あの時も、こうやって私は彼の寝顔を見つめていたんだっけ。

心地よい日差しのもと、寝こける彼を覗き込む。
あの時より随分と男らしくなったと思っていたけど、やはり眠っている時は何処か幼く見える。
口が少しばかり空いて、何の夢を見ているのか時折眉が動く。
そんな昔から変わらない仕草を、私はずっと見てきたのだ。
ずっと、変わらずに隣で。

「なに、笑ってんだ」
彼を覗き込んだままくすくすと笑っていれば、頬に感じる暖かい温もり。
やわやわと指で頬を撫でられる。
声で起きたのだろうか。
くぐもった声が耳に届く。
きっと起こされて機嫌が悪いのだろう。
怠そうに眉を潜めながら私を見上げる彼と目が合った。

「シカマルの顔見てたの」
「なんでまた」
「日課?」

なんだそりゃ。
私の回答に、くしゃりと顔を崩して彼が笑う。
頬に感じる温もりにするりと顔を寄せそれに応えた。

あぁ、私の日常はここにある。
あの時と変わらない、彼の隣にいる日常が。