小説 | ナノ

の寛容を愛す



分かっていたことだった。あなたの口から出る言葉全ての意味を。
それでも。


「お前なぁ」

賭けだった。
いや、賭けにもなっていない賭けだった。
どうして言葉にしてしまったのかとか恥じらいとか、そんなことが思考に上って来た時には目の前で愛する人の顔がどうしたらいいのかと歪んでいた。
後悔したわけじゃない。
ただ、好きだと告げたことで愛する人の顔をこんなにも歪ませてしまったことに肩が冷えた。

「揶揄ってる……わけじゃなさそうだな」
「当たり前です。こんなこと冗談じゃ言えませんよ。だって、あなたには……」

「親父?」
「!」

突如としてかかる声にびくりと肩を震わせたのは言ってはいけない一言を告げてしまったからか、それとも現れた人間が彼の息子だったからか。

「あぁ、シカマルか」

何事もなかったかのように話しの輪へ迎え入れる彼にこちらへと足を運んで来る彼の息子。
一歩二歩と近付く足音が、一枚二枚とささくれを剥くような鈍い痛みをもたらす。

「なんか、珍しい組み合わせだな」

確かに。そう言われるのももっともかもしれない。
暗号解読班に属するこの身が一日中研究室から出て来ないのは日常茶飯事だし、ましてや忍の交友関係も比例するようにして広くはない。
だから彼の息子が言うように、彼と私が真昼の青空の下木陰とはいえ顔を突き合わせていることが不思議に思えたのだろう。
私だってまさかこんなところで顔を突き合わせながら、あまつさえ好きだなどと口走るつもりは毛頭なかったのだ。
なのに。
何がこの口から好きだなどと口走らせたのだろう。

「あぁ、丁度今頼んでいる暗号解読があってな。その話だ」

彼の口は何でもないことのように嘘をすらすらと紡ぎ出す。
当然だろう。妻帯者、それも自分の父親が告白されているなど、彼が口にするはずはなかったし、口にできようはずもなかった。
勿論、私も。

「シカクさんに相談したいことがあってちょっと話していただけよ。シカマル君は、任務?」
「そッス。これから砂の国に」

忍の世界を生きる端くれとしてこの程度の嘘はこの口からもすらすらと零れ落ちてくる。と同時に、彼の息子の出現がこれ以上踏み込むなという警告にも思えた。

「じゃあさっさと行け」
「言われなくても分かってるよ。それと」
「あ?」

踵を返した彼の息子は面倒くさそうに頭を掻き少し先の曲がり角で足を止めた。
後ろ姿がどこまでも父親である彼にそっくりだ。

「母ちゃんが早く帰って来いってよ」

その一言は父親である彼に向けられたもの。

「あぁ」

しかし、嘘を紡ぎ出した心にはまるで今し方の告白を盗み見られていたのではないかという疑念と恐怖が足先をひやりとさせた。
彼がそれに片手を上げて答える姿を横目に入れる。
全てが無かったことになるのだろうと予感するのは自然なことだった。
子供が傍を駆けていく姿や木の葉を巻き上げる風が吹き抜けていく様が、私に日常を思い出させようとしている。
賭けにならない賭けなどお前はしていない。
何もなかったのだ。
そう自分を諭すことが最善の道であることは明白だった。
この口がどうして彼に好きだなどと告げたのかは数分前の出来事だったのに思い出すことが出来ない。
もしかしたら大分昔から告げようと覚悟していたのかもしれない。
それとも、告げようとして告げられようはずはないと悟っていたのかもしれない。
それが、何かを拍子に告げてしまっていた。
こんなにも無計画に。相手のことを何一つ考えず。
後の祭りなんて言葉があるが、今がまさにそれである。
何を拍子に告げたのかが分からないくせに中途半端な覚悟で告げたのではないと心のどこかでもう一人の私が言う。
しかし、彼が息子に了解と手を気怠そうに振り返す姿を見てしまっては、私のことなどもはやどうでもいいことのように思えた。


「で、お前さんの話だが……」

だから。
彼の息子の姿などとうに消え去り、子供が走り去った背中も遥か彼方。
舞い上がった木の葉も地に落ちた静寂の中で、彼の口からその話題がするりと出てきたことに、思わず吐き出してしまった息を惜しむことも忘れ目を見開いた。

「それは……」

無かったことに。
私は何も言っていない。貴方も何も聞いていない。
いいえ、忘れないで。
私は貴方に好きだと告げた。中途半端な気持ちじゃない。
その相反した気持ちが喉元をぐるぐると掻き回す。
吐き気にも似た何かがせり上がり喉元を押し上がろうとする。
何か一言でも発しようものなら、ぐちゃぐちゃとした気持ちを丸ごと吐き出しそうな気がした。

「手始めにデートでもしてみるか」
「え」

あまりにも予想外の展開に喉元に引っかかったままの何かをゴクリと飲み込み、数段高い彼の顔を見上げた。

「シカクさん、何を」

考えているんですか。そう口に出そうとした視界を彼の薬指に嵌った指輪が掠める。

「女から好きだって言われたら誰も悪い気なんざしねぇよ」
「そういうことじゃなくて」

貴方は何を言っているのか、分かっているんですか。

「揶揄ってんなら話は別だが……」
「揶揄ってなんかいません!」

そう、この気持ちはふざけたものなんかじゃない。
でも。

「なら、何の問題もねぇよ」

そう何でもないことのように言って、何処に行きたい?と問い掛けながらゆらりと背を向け歩き出す彼。
その後ろ姿にどうしようもない焦りが生まれた。

「待って下さい」
「……」

彼が、私の気持ちを受け入れ答えてしまったらどうしよう。
そんな図に乗った身勝手で浅ましい考え。
万に一つも無いことは分かっているはずなのに、もしかしたらという思いが焦りを生んだ。
私は彼に何を期待しているのだろう。
そして彼が背中越しに呟いた一言に、はっと息を飲んだのである。

「お前さんが俺を好きだって言うなら、それは誰にも否定出来ることじゃない」

そうだ。
誰に何を言われようと、好きでいることは自由ではないか。
ふわりと後毛を撫でる風が背中を漂う。



「俺が誰を好きでもな」

その瞬間、私が何故彼に好きだと告げたのかを思い出した気がした。
きっと。
こうしてフラれようとしていたのかもしれない。
優しく包み込んでくれる彼の仕草言動に惹かれながら、それでもこちらを見向きもしない彼を、本当は愛していたのかもしれない。
誰かを愛している彼を愛している。
そう。
これが答えかもしれない。


けっしてこちらに振り向きもしないことを確かめて、安心して。

そして、

その寛容すら、愛しているのかもしれない。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
ずるいシカクさんが書きたかったんです;;
ばっさりと切られた主人公ですが、それすらも愛しく思う気持ちは分からなくもない笑