小説 | ナノ

よ、鯉



何人の男が私の前から去って行っただろうか。

きっと、お前も。



「この湖にはでっかい鯉がいるんだ」
「鯉?」

深い眠りから覚めるのは、いつだって誰かの声だ。
藻の生えた暗い池の底から見上げる歪んだ空に目を細める。
たいしていつもと変わらない風景にうんざりしていた私は、声の主を揶揄ってやろうという悪戯心が芽生え緋と白の相混ざった尾をゆらゆらと靡かせた。

ぽちゃん、ぽちゃん。

湖に投げ入れられる小石が隕石のように降ってくる。
それを優雅に避け水面からそっと顔を出してやれば、やはり目敏い声の主が指差し敏感に反応した。

「おい見ろよ!鯉だ鯉!」
「ほんとダネ」

水面から伺った顔に、今回は違う人間だと悟る。
また私を捕まえようとしに来た愚かな人間だ。
どうやら木ノ葉の里では私はちょっとした有名らしく、幸運の鯉やら、恋に掛けて恋が叶う鯉だとか。
鯉は一日一寸なんて不断の努力をせよという諺もあると小耳に挟んだ。
所詮どれも人間の理想を詰め込んだ言葉だ。
幸運なんて運みたいなものだし、それこそ恋が叶うなんて思ってもらっちゃ困る。
鯉を見たのに失恋した、と騒がれてはとばっちりもいいところだ。
己の恋さえ叶えられないというのに、どこの誰の恋を叶えられようか。

ぽちゃん、ぽちゃん。

隕石が数量を増して降り注ぐ。
当たってなどやるものか。
こういう男には知らしめてやらなくてはいけない。

コイのなんたるかを。


「もう止めれば?」
「カカシはそこで見てればいいさ、俺があのでっかい鯉を仕留めてやるんだ!」

何のために私を捉えたいのだろうか。
ぱくぱくと口を開け、お腹が空いてきた私は食料を求める傍ら隕石を避け続けた。

ぽちゃん、ぽちゃん。

「もうやめなって」

静止に入る白髪の少年が、私と隕石を投下していた少年を交互に見やる。
そう、諦めればいい。

コイはそう簡単に捕まりなどしないのだ。


「諦めない」


何故。
真っ直ぐな瞳をした少年の発した言葉の意味を知りたくなった私は、ゆらりゆらりと尾を靡かせる。
少しずつ、少しずつ。
ゆっくりと近付いていくたびに、小さく呟く少年の言葉がはっきりと聞こえるようになった。


「あいつを捕まえて、リンに見せてやるんだ」
「……」



そうか、お前も。



コイに掴まれた人間なのか。




ゆらり、ゆらり。



ぽちゃん、ぽちゃん。



私は鯉だ。

きっと、誰にも捕まりはしない鯉なのだ。


私も、いつかの日のコイに掴まれた鯉なのだから。


▼あとがき
お読みいただきありがとうございます。
この話は、鯉の恋。というあまり書いたことのないお話です。
いったい、この鯉は誰に恋しているのでしょうか……
そこは皆様のご想像にお任せしたいと思います。