小説 | ナノ

に眠る



寝てんのか?

そう呟きそうになった俺の言葉を奪ったのは、ん、と身じろぎひとつに再びすーすーと寝息を立てる沙羅だった。


食欲の秋。
読書の秋。
芸術の秋。

茹だるような夏の暑さから開放された人々は、木の葉一枚が色付き始めたことに秋と名付けた。
芸術に造詣を深める者もいれば、一日中同じ姿勢で本を読み続けるやつもいる。
俺の仲間に至っては年中食欲の秋だが、今年は殊更食欲の秋という言葉に頼って暴飲暴食を繰り返していた。
と、まぁこんな感じで各々好きに秋とやらを楽しんでいる。

そして、ここにも一人。
鰯雲棚引く空から吹く爽やかな風の中で、睡眠の秋を楽しむ女がいた。
涼城沙羅である。

アカデミー時代は別段目を惹く女じゃなかった。
近くにはいのという言い方が悪いかもしれないが騒がしい女がいたし、サクラやテンテン、ヒナタもいた。
中忍になる頃には砂隠れのテマリとも知り合ったため、正直沙羅のことは再開するまですっかりと記憶の奥底に仕舞われていたのである。

「久しぶり」

にこやかな笑みを浮かべ、一つ欠伸を零さなければ沙羅だとは気付かなかったかもしれない。

「お昼寝日和だねー」

間延びした声でふわふわと流される雲の如く喋り出せば、次の瞬間にはすーすーと寝息を立てていた。
教室の上段窓際の席。
ふわりと舞うカーテンが、うつ伏せていた頭に掛かることなどお構いなしに、沙羅は永遠と眠り続けていた。
授業が始まっても。
昼休みになっても。
そういえばこいつはいつも寝てたな。
と、思い出せるのはどれもこれも寝顔ばかりで、やはり別段インパクトのある女ではなかったように思う。
そう思うだけで、実際再開した時に思い出すことが出来るぐらいには記憶に残る女だったことは間違いない。

「よくそんなに寝られるよな」

あまりにも気持ち良さそうに長々と眠るものだから、興味本位で尋ねてみたことがあったが、それは「だって寝るの好きだもん」というチョウジ並みの解答をいただいて終わった。

そんな沙羅が今目の前で何度目かも分からぬ寝顔をアホのように晒している。
見慣れてしまったそれに出会いまたかと思う反面、賞賛も送りたくなってくるから不思議だった。

「おーい、風邪引くぞ」
「ん、」

身じろいで声を遮ろうと体を捻る。
ちらりと覗いた腹に「ったく」と溜め息が漏れた。

「マジで起きねぇと風邪引くぞ」

そもそも何故起こさなくてはいけないのかをふと今更のように考えてみたが、よく分からなかった。
とりあえず、母ちゃんの言っていた「お腹を出して寝てると風邪を引く」という理由を盾に沙羅を起こしていることにしたのである。

「マジで起きねぇ・・・」

ぽつりと呟いても、それに返ってくるのは規則正しい寝息だけ。
こいつはどうなってんだと生態系の謎にまで及びそうな思考が過ぎったが、晒されたアホ面に正直どうでもよくなった。
別に起こしたいわけでもないし、起こすほどの用があったわけでもない。
ただ俺が通りがかったところに沙羅がいたというだけ。
本当に、意味も理由もないのだ。
そう考えた時に、俺は思考を放棄した。
口癖のようになっていた「めんどくせー」という言葉を涼しくなってきた風に乗せ、寝ている沙羅から少し離れた場所へどかりと腰掛ける。
そのままごろんと重力に従うためだ。

あぁ、気持ちいいな。

仰向けになればちょうど木々が日除けになり最高の昼寝場所だった。
雲が空を滑るように流れていく様を飽きもせず見続けていられると思ったし、アスマと将棋を指すにも絶好だと思った。
深い深呼吸をしても肺に入ってくる空気は生温くない。
秋という季節の成せる技か、それとも場所のおかげか。

それにしても、良くこんな場所知ってるよな。
こいつ。


「死んだおばあちゃんが教えてくれたの」
「!」

息が止まるかと思った。
存外近い距離から発せられた言葉にびくりと肩を震わせ首を90度曲げれば、眼前には今まで見たこともない距離で見つめる沙羅の唇があった。

「此処はね、いつもおばあちゃんが秘密の場所だよって連れてきてくれた場所なの。お父さんもお母さんも知らない。おばあちゃんと私の秘密の場所」

もっとも、大きくなって来てみたら秘密の場所でもなんでもない静かな神社だったんだけどね。

そう語る寝起きの少し喉が渇いてくっつきそうな声。
今まで幾度となく聞いてきたが、今日の声は今までと少し毛色が違った。
渇ききって水分という水分を蒸発させてしまったような深い縦皺の入った唇。
強く引き結び噛み締めて血の滲んだ唇。
こんな近さだからこそ分かった少しの違和感。
それだけで、なんとなく全てを悟ってしまった。

「おばあちゃんね、いつも苦ーいお茶と甘い羊羹を此処で食べさせてくれたの」
「・・・」

さわさわと木々が羽音を立てる。
まるで、聞いてるよと囁いているかのように。

「それでね、遊び疲れた私が眠いって言うと、いつもおばあちゃん、膝枕してくれたの」

最後はおばあちゃんも寝ちゃって、二人して長いお昼寝になっちゃうんだけどね。
気持ち良かったんだ。

時折聞こえてくるぐずぐずど鼻をすする音。
微かに震える唇が語ることを、俺は何も言わずに聞いていた。
ただ、聞いているから安心しろとでもいうように右手をぱたんと折り曲げ、さらさらとした黒髪を指先で梳くように撫でた。
こういうことには慣れていないからどうしたら良いのか分からなかったが、ただ父ちゃんが母ちゃんを慰めるように出来たらと思ったのだ。

「・・・っ、」

ちらりと横目にカビの生えた木目の天井が見える。
この天井を、沙羅はどんな思いで見つめ、今向き合っているのだろう。
そんなことを考えていたら、再び老婆のような唇が言葉を紡いだ。

ありがとう、と。

その優しい形を記憶したまま、俺は吹き抜ける秋風に攫われるようにそっと瞳を閉じた。


沙羅が感じていた気持ち良さを、そっとこの体で感じられるような気がしたから。