小説 | ナノ


ーフェクトブルーに魅せられて



その青はどこまでも深くーーー





突き落とされた。

その表現以外に茹だった私の脳が表すことの出来る言葉は無かった。

深海という言葉がしっくりくるなと感じたのは、強豪校として名高い氷帝学園との合同合宿二日目でのこと。
一目見て、とか。その麗しい美貌に、とかではなく、彼のテニスに対する真摯な対応が深海の静けさを想起させた。
あのアイスブルーの瞳が契機とも考えられる。
どちらにせよ、私は突き落とされたのだ。






「怪我人が出た!救急箱!」

その声を耳に入れたのはお昼休み後、最初のシングルマッチを行っている最中だった。
私は泥にまみれたタオルやユニフォームをじゃぶじゃぶと洗う作業をそこそこに、救急箱を片手に走り出した。
嫌な予感はしていたのだ。
なにせこの猛暑。
並みのアスリートでも茹だる暑さに判断が鈍る。
それが怪我に繋がることは、スポーツをしている人間であれば誰しもが念頭に置いているだろう。
しかし、それでも事故は起きるのだ。
照り付ける太陽を睨み付ける。
なるべく小さな事故であることを願いながら、現場である2番コートへ急いだ。

「沙羅!」

観戦していたのだろう。
観戦席にいた菊丸が私の姿を視界に入れると直ぐさま走り寄ってきた。

「どういう状況?」

息を切らしたままの状態で説明を受けながら、コート手前に出来た数人の人集りをかき分けた。
なんでもこの2番コートでは、青学と氷帝の二大パワーテニスプレーヤーが対決していたのだという。
河村と樺地君だ。
そんな二人のパワーテニスは白熱を極めたようで、互いに波動球の応酬。
結果樺地君の打った球が河村の手首へ直撃。
と、まぁ何とも単純な事故だった。
へたりと座り込んで手首を抑える河村も、「俺の不注意で皆ごめん」と苦笑い出来る程度であるから、そこまで深刻な怪我ではないのだろう。
これでもし球が頭に当たって脳震盪を起こした。なんて話にでもなったらと想像して、私は一人肝を冷やしたのである。
とはいえ、河村の手首を見ると既に腫れ上がっており手放しで喜べる状態ではなかった。
とりあえずの応急処置として救急箱から割って冷やせる瞬間冷却剤なるものを取り出し河村の手首へ当てる。
この時ばかりは用意周到に救急箱の中身を充実させておいて正解だったと安堵した。
冷たさに顔を顰める彼に容赦することなく更にバンドでぐるぐる巻きにする。
動かさないよう注意を促すと、彼は「ごめん」とこちらを申し訳なさそうに見返した。

「謝罪はいいから、大人しくしててよ」

さて、これからどうしたものか。

河村にはこれ以降の試合は止めてもらうとして、先生への連絡。
更には一応病院に行った方がいいかもしれないと考えを巡らす。


そうこうしていると、またしてもガヤガヤと近付いてくる人の気配。
他のコートで試合をしていた選手だろう。
終わって2番コートに集まってきたのだ。




「どうした」


そんな中から聞こえた声。
私は意志の強い声をこの合宿中何度も聞いていた。
青学の手塚とはまた違ったカリスマ性を持つ声である。

「河村が怪我したにゃ」

菊丸の単純明快な説明に、跡部君の眉間に皺が寄った。
河村の相手をしていたのが樺地君だと知っていたからかもしれない。
そんな彼が河村のバンドで巻かれた手首を見やり、私へ問いかけてきた。

「怪我の具合はどうなんだ?」
「波動球を直撃で受けたみたいで腫れてる。とりあえず応急処置で冷やしてるとこ」

覗き込む跡部君を見上げるような形で答える。
先生に連絡して一応病院に行った方がいいかもしれない。そう告げようとした時、彼のアイスブルーがすっと細められたのだ。
その瞳に、私は自身の思考が更に落ち着いた段階に潜っていくのが分かった。

冷静。その言葉を操れるのではないかという錯覚をおこしてしまうほどに。


「おい。誰か先生に今直ぐ状況を説明しに行ってこい」

その言葉を聞いた菊丸がお得意の猫語尾入りで了解と告げ、先生たちの所へ走って行った。

「後河村は直ぐ病院に行け。念のためだ。車は直ぐに手配する」

それだけをきっぱりと言い切った彼は、「後は任せる」と言い残し足早にコートを出て行く。
その背中に得も言われぬ信頼を見たことを、私は暫く忘れないだろう。
直ぐに手配するという言葉の通り、門前にぴたりと車が付けられていた。
青学の全体指揮は氷帝の榊先生に委ねられ、竜崎先生は河村を病院へと連れて行った。
その判断が成されるまで、ものの10分も経っていなかっただろう。
結果、病院へ向かったのが早かったおかげで的確な処置を受けることができたという。
帰って来た河村は三角巾で腕を吊っていたが、骨などに影響は無く本人も申し訳ないと頭を掻いていた。
強化合宿で怪我をして戦力外通告など本末転倒である。
しかし、何はともあれ大事にならなかったことにホッと胸を撫で下ろした。





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