小説 | ナノ


もうやっぱりという声すら出なかった喰は、意気揚々と画面をスライドさせていく沙羅の指を恨めしく思った。
何故なら、これにより平門の機嫌が悪くなり迸りを食らう可能性があるのはこちらだからだ。




「いた」



悪戯が成功している子供のような表情を見せる沙羅の指先は紫のポインターを見つけるとその手を止めた。

ポインターは平門の自室で微動だにせず留まっている。




「まだ動いてない。仕事のし過ぎね」



動きをみせないポインターを苛立たしげに突つく沙羅を、案外子供っぽいところもあるのだと意外そうな顔をして見つめる喰。

それに気付いた沙羅は何?と問いかけた。



「案外子供っぽいんだな、と」



その意味を理解した沙羅は、今度は艶やかに微笑んだ。




「そりゃあね。発信機の実験で微動だにしない対象なんて面白くもないでしょう?」




とんだ強者だ。

喰はこの先に待つ自身の身を案じつつ、事の顛末が良い方向へ向かうのを祈るばかりだった。
と、そこへ最悪のタイミングであらぬ声が二人を呼び止めたのだ。











「これは珍しい組み合わせだな」




あろうことか、つい今しがたまで端末機の中で微動だにしていなかったポインターが自分たちの目の前にいたのだ。



「今沙羅が実験してっ……!!!」



突如激痛に見舞われた足下を見ると、ピンヒールの踵が自分の靴にめり込んでいた。という状況を理解すると同時に、この女実験のことをあろうことか艇長に言ってないのか!と別の意味で驚愕した。




「何の実験だ?」



平門はきょとんとした顔で沙羅に問いかける。



「空調機よ」



しれっと嘘をつく沙羅に喰はもうどうにでもなれと傍観を決め込んだ。



「どんな実験なんだ?」



じりと詰め寄った平門に、尚も平然と対応する沙羅。

喰はこの人の心臓は化け物だなと沙羅に対するイメージを書き替えた。
元々彼女のイメージは、仕事を忠実にこなす真面目な人間というものだった。
ましてやこんな悪戯まがいのことを仕出かすようなことはないと思っていたのだ。



「実験ってほどのものじゃないわ。ただ空調機の性能をちょっと向上させようかなと」



斜め上にある空調機を見つめながら、沙羅は平門の視線が同じように空調機へ向かったのを確認すると、さっと端末機を何食わぬ顔で後ろ手に隠した。

その仕草を見ていた喰は片頬を引きつらせてぎこちない笑みを浮かべることに精一杯だった。
むしろ今すぐこの場から知らぬ存ぜぬを決め込んで立ち去ろうかとも思ったが、沙羅から発せられる「逃げたらどうなるか分かってるわよね?」と言わんばかりのオーラを感じ取り一歩を踏み出せずにいたのだ。





「沙羅、空調機の葉がフードに入っているぞ」

「え?」




え。



喰は平門の言葉にハッとなり思わず沙羅のフードに視線を送った。

しかしフードには空調機の葉なんて入っていない。
空調機の実験なんて嘘だから当たり前なのだが。


ではいったいどういうことだろうか。


そんな喰の疑問をよそに平門は話を進めていく。




「多分空調機を弄っているうちについたんだろう」



そう言いながら平門は沙羅へずいと近付き正面から抱く様にフードを覗き込んだのだ。



「……」



沙羅はいきなりのことに成されるがままじっとその身を固くしていた。



「……」



そしてそっと空調機の葉を取ろうとフードに手が伸ばされた瞬間、喰は平門の視線とかち合った。
とてもずる賢そうな狩人の瞳と。






「……」



「……!」



平門が「黙っていろよ?」といった瞳でとても楽しそうに指先を自身の唇に持っていきシッと笑みを零した。
喰はその行動の正体に気付き更に笑みを引きつらせることしか出来なかった。





この人もタチが悪い。





「ありがとう。直しておくわ」


「いや、気のせいだったみたいだ。悪いな」



取れた空調機の葉が手元にこない沙羅は首を傾げたが、平門の気のせいという言葉に特に気にすることもなかった。



「じゃあ俺は仕事に戻るとしよう」

「あんまり部屋に篭ってばかりじゃだめよ」



沙羅の言葉に平門は振り返って答えた。



「良い息抜きに連れ出されたから心配ない」



「……?」



理解出来なかった沙羅は不思議そうにダークブルーの瞳を見つめ返す。

喰は平門によって口止めされた手前何も言えず、もう面倒だとばかりに肩を落とした。





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